農家アート
テーマ:まちづくり
2013/11/18 09:43
先日、神無月さんがAIN2013の反省会についてレポートされていましたが、確かに今年のアートインナガハマは「農家アート」の試みが斬新かつ新鮮で、一番の立役者であったように思います。
そう言えば「商人」や「職人」と言うのに「農人」とは言わんのは何でやろ?とかつまらんことを考えてしまったのですが、やっぱり「アート」という言葉とくっつけるには「農家」というのが一番スマートなんでしょうか。
農業に携わる人を表すのに、他にも「農民」や「農夫」、「百姓」といろいろな言い方があるのですが、これらはどういうニュアンスの違いがあるのか、「語感の辞典」で引いてみますと、
「農民」: 謙遜して「農民の出」などというケースもまだ見られるが、一方で「農民文学」「農民としての自覚」のような例もあり、悪い語感をひきずっている「百姓」に代わって、会話にも文章にも普通に用いられる。
「農夫」: 「農民」に比べ、昔ののんびりした時代の空気を感じさせ、古い絵の画題などに用いられそうな懐かしい雰囲気がある。そのため「農民が立ち上がる」というような例で置き換えると多少の違和感が生ずる。
「百姓」: 以前、「どん百姓」「水呑み百姓」「百姓の出」などと軽蔑の気持ちを込めて使われることがあったため、現代では職業に対する不当な差別意識を伴う語としてその使用を控える傾向にあるが、誇りをもって自称したり、農業問題を自ら提示するときに用いる例もある。
と書かれています。ちなみに「百姓」は元々は「ひゃくせい」と読み、「百」=「もろもろの」、「姓」=「かばね」を持つ公民という意味だったのが、やがて一般庶民、さらに農民という意味に固定されてきたらしい。
横文字を使った「ファーマーズアート」とする必要はないけど、どうなんでしょう?語感からいって、アートと一番相性のいいのはむしろ「百姓」ではなかったのかな、という個人的感想。「百姓アート」にこそ「いっちょやってやるぞ」という、エネルギッシュかつ内に秘めた強烈なプライドが感じられると思うのは私だけか。
名称はともかく、「農家アート」さんの活動は、Konefaさんのブログや農家アートのFacebookをご参照下さい。今後のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
そう言えば「商人」や「職人」と言うのに「農人」とは言わんのは何でやろ?とかつまらんことを考えてしまったのですが、やっぱり「アート」という言葉とくっつけるには「農家」というのが一番スマートなんでしょうか。
農業に携わる人を表すのに、他にも「農民」や「農夫」、「百姓」といろいろな言い方があるのですが、これらはどういうニュアンスの違いがあるのか、「語感の辞典」で引いてみますと、
「農民」: 謙遜して「農民の出」などというケースもまだ見られるが、一方で「農民文学」「農民としての自覚」のような例もあり、悪い語感をひきずっている「百姓」に代わって、会話にも文章にも普通に用いられる。
「農夫」: 「農民」に比べ、昔ののんびりした時代の空気を感じさせ、古い絵の画題などに用いられそうな懐かしい雰囲気がある。そのため「農民が立ち上がる」というような例で置き換えると多少の違和感が生ずる。
「百姓」: 以前、「どん百姓」「水呑み百姓」「百姓の出」などと軽蔑の気持ちを込めて使われることがあったため、現代では職業に対する不当な差別意識を伴う語としてその使用を控える傾向にあるが、誇りをもって自称したり、農業問題を自ら提示するときに用いる例もある。
と書かれています。ちなみに「百姓」は元々は「ひゃくせい」と読み、「百」=「もろもろの」、「姓」=「かばね」を持つ公民という意味だったのが、やがて一般庶民、さらに農民という意味に固定されてきたらしい。
横文字を使った「ファーマーズアート」とする必要はないけど、どうなんでしょう?語感からいって、アートと一番相性のいいのはむしろ「百姓」ではなかったのかな、という個人的感想。「百姓アート」にこそ「いっちょやってやるぞ」という、エネルギッシュかつ内に秘めた強烈なプライドが感じられると思うのは私だけか。
名称はともかく、「農家アート」さんの活動は、Konefaさんのブログや農家アートのFacebookをご参照下さい。今後のますますのご活躍をお祈り申し上げます。