感謝と責任

テーマ:よもやま話
昨日のメディア報道は、京都大学山中教授のノーベル賞受賞に関するニュースのオンパレード。受賞に当たって「感謝」と「責任」を口にした同教授。

昨晩は7時から曳山博物館で伝承委員会主催の楽衆塾。曳山祭振付師としてお世話になっている岩井小紫、市川団四郎両先生が講師。子どもに対する指導、曳山という制約された中での演出などの苦労話を聞かせていただく。

三役修業塾生の曳山祭起用に最初に応じて下さった振付師が市川団四郎先生。三役塾の取組に対する評価はしていただきつつも、皆どこかに「自分は所詮素人だから」という甘えがある。プロ意識を持って稽古に精進せよ、との叱咤激励。ご本人曰く、これは叱咤激励ではなく、「叱咤、叱咤、叱咤」だと。

本音での叱咤激励に感謝するとともに、三役塾生の一人として感じる大きな責任。それにしても、最後に見せて下さった「矢口の渡し」の一場面、頓兵衛とお舟の絡み。これぞプロという迫力に見入ってしまう。

終わって家に戻ると、テレビは阪神金本選手の引退セレモニー。ファンに「夢をありがとう」と感謝の言葉で閉めた鉄人。ベンチ前で並ぶ阪神選手と次々と握手を交わす金本の目にはもはや勝負師の輝きはない、と解説の鈴木啓示氏。責任という名の大きな荷物をようやく降ろし終えた男の安堵か。

これらに先立ち、6時から参列した同業者のご母堂のお通夜。正信偈と白骨の御文と説話。iPS細胞が一般化した未来には、「朝に紅顔あるも夕べには白骨の身となれり」ということすら無くなるのではないのか?その時、宮台真司氏のいう「前提を欠いた偶発性に馴致させる仕組み」としての宗教はどうなるのかと考える。

人は老い、後継にその座を譲り、そしてにおいを残してこの世を去っていき、残されたものはその残香にすがりながら後を襲い、やがて同じように老いて、同じように去っていく。希望としてのiPS細胞は、もしかしたら人類がこれまで営々と繰り返してきた、そうした営みさえも根本から変えうるものなのではないか?

「感謝」と並んで「責任」を口にした山中教授。そうした未来を予見し不安をも込めた「責任」であるとすると、この言葉は重い。

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