天長地久

テーマ:よもやま話
以前、たかじんの番組で、中国人でありながら日本に帰化した学者である石平氏が「孔子と論語は日本で開花した」といったような話をされたのが印象に残っていて、その後「私はなぜ中国を捨てたのか」という著作を手にとってみました。

中国の思想家として、我々はまず孔子を思い浮かべ、昔の人たちほどは「論語」に対する造詣も深くはないものの、その教えは格言や四字熟語などで聞いたことがあったり、何より日本人の道徳観の骨格をなすといっても過言ではないかもしれません。

しかし、かの孔子の思想は毛沢東の文化大革命で完膚なきまでに捨て去られ、「共産主義教育」によって「論語」も葬り去られた状態だとか。幼い時に祖父から学んだ「論語」の研究が多くの日本人によって行われ、その思想が日本に息づいていることに石平氏は感銘を覚えたようです。

さて、今日は天皇誕生日ですが、かつては「天長節」と呼ばれておりました。この「天長節」という言葉の出典は「天長地久(天は長く地は久し)」で始まる老子の中の「韜光第七」という節だそうです。

「天地は長久である。天地が長久であり得る訳は、自ら生きようという意識がないからである。故に、よく長久でありうるのである。

だから、天地のこの無私の態度にならう聖人は、自分の身を後にして、他の人々を先に立てようとするが、かえって人々から慕われて、その身が先に立てられるようになり、自分の身を考慮の外に置いて、人々のために尽くすが、かえって人々から大切にされて、その身が存続される。

それは聖人の無私の態度からそうなるのではないか。無私だからこそ、その大我が完成されるのである。」

石平氏は、ここで語られる「天地長久」の摂理と、それに適った「無私」の聖人の道は、それはそのまま万世一系の日本の皇室のあり方そのものではないか、と指摘しています。無私だからこそ長久。いくら政権が変わっても日本国が安泰であるのは、皇室があるからと。

中国人が捨てた、中国の智慧。英語も大切でしょうけれど、日本人は孔子や老子の思想をもう一度学び直すべきではないでしょうか。最後になりましたが天皇陛下のご健康を心よりお祈り申し上げます。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2011/12      >>
27 28 29 30 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧