山中さんからの喪中葉書
テーマ:油甚本店
2011/12/16 09:19
京都に山中油店さんという油屋さんがございます。私どものようにいわゆる油の専門店というのは全国的にも極めて稀なのですが、山中さんはそうした「油屋」の中でも歴史、風格、品揃え、どれをとっても別格の存在です。
私どもは平成8年に店舗改装を行い、現在の小売形態を整えたのですが、実はそれまでは、古い道具や看板は残っていたものの、食用油の店頭販売は限りなくほとんど無いに等しい状態でした。
ちょうどその頃、県から派遣されたコンサルタントさんから「京都の山中油店さんが店作りの参考になるかもしれない」と助言され、高校の同級生で当時市の商工観光課にいたO君に同行を依頼し、山中さんを訪れました。
今と比べると随分スマートな私
間口がおそろしく広い店舗で、店の端の方には池があって鯉が泳いでいます。同業者であることを伝えると、五代目ご当主が「それなら無下にはできませんな」と、店をくまなく見せて下さり、自ら作成された回転式陳列台や彎曲したレールを滑って出し入れできる雨戸などを披露して下さいました。
何しろ、かつては山中さんところの敷地だけを通って亀岡市まで行くことができる、と言われたほどの大地主で、支払っている固定資産税も莫大だとおっしゃっていたのが印象的でした。それでも、身なりや調度品は決して派手なものはなく、いわゆる「こうとな」感じを受けました。
その後、大企業にご勤務だった娘さんご夫婦が家業を継承される形となり、現在では欧州勤務時の経験からオリーブオイルの展開、古い町家を利用したショップ&カフェの経営など手広く活動されており、いつも京都の地から「油甚さん、いつまでも油売ってたらあきまへんで」と叱咤されている気がいたします。
テレビや雑誌に何回も登場されている素敵なご夫婦で、数回当店にもお越しいただきましたし、私どもも一度妻と二人で山中さんが主催された「油のセミナー」に参加したこともあります。その山中さんから喪中葉書が届いたのが昨日のことでした。
私たちを温かく迎えて下さったお父様が5月に亡くなられた旨が書かれておりました。確か誕生日がうちの母の翌日だったと思いますので、米寿の寿ぎを迎えることなくお亡くなりになられたのですね。急逝されたとありますので、間際まではご壮健であったに相違ありません。実に残念です。謹んでご冥福をお祈りいたします。
私どもは平成8年に店舗改装を行い、現在の小売形態を整えたのですが、実はそれまでは、古い道具や看板は残っていたものの、食用油の店頭販売は限りなくほとんど無いに等しい状態でした。
ちょうどその頃、県から派遣されたコンサルタントさんから「京都の山中油店さんが店作りの参考になるかもしれない」と助言され、高校の同級生で当時市の商工観光課にいたO君に同行を依頼し、山中さんを訪れました。
今と比べると随分スマートな私
間口がおそろしく広い店舗で、店の端の方には池があって鯉が泳いでいます。同業者であることを伝えると、五代目ご当主が「それなら無下にはできませんな」と、店をくまなく見せて下さり、自ら作成された回転式陳列台や彎曲したレールを滑って出し入れできる雨戸などを披露して下さいました。
何しろ、かつては山中さんところの敷地だけを通って亀岡市まで行くことができる、と言われたほどの大地主で、支払っている固定資産税も莫大だとおっしゃっていたのが印象的でした。それでも、身なりや調度品は決して派手なものはなく、いわゆる「こうとな」感じを受けました。
その後、大企業にご勤務だった娘さんご夫婦が家業を継承される形となり、現在では欧州勤務時の経験からオリーブオイルの展開、古い町家を利用したショップ&カフェの経営など手広く活動されており、いつも京都の地から「油甚さん、いつまでも油売ってたらあきまへんで」と叱咤されている気がいたします。
テレビや雑誌に何回も登場されている素敵なご夫婦で、数回当店にもお越しいただきましたし、私どもも一度妻と二人で山中さんが主催された「油のセミナー」に参加したこともあります。その山中さんから喪中葉書が届いたのが昨日のことでした。
私たちを温かく迎えて下さったお父様が5月に亡くなられた旨が書かれておりました。確か誕生日がうちの母の翌日だったと思いますので、米寿の寿ぎを迎えることなくお亡くなりになられたのですね。急逝されたとありますので、間際まではご壮健であったに相違ありません。実に残念です。謹んでご冥福をお祈りいたします。