中河内での回想

テーマ:よもやま話
昨日、とある用事で余呉町の中河内を訪ねた。滋賀県最北の集落か?地図で確認してびっくりしたのだが、ここは地理的に敦賀よりさらに北に位置するのだ。

普段来る用事は全くないわけで、ここへ来たのは高校生の夏以来。中河内に向けて北上する車の中、自然とその時の記憶がよみがえって来る。

私の母校、虎姫高校では毎年1年生の夏休みに富士登山が行なわれていたのだが、前年に落石事故があったせいで私たちの年には中止になってしまった。しかし、それではつまらん、ということで、私の高1の担任で前長浜市教育長の北川貢造先生が「夜行軍」という行事を提唱し、半ば強引に強行。

北陸線で福井県の今庄まで行き、夜の8時頃出発。夜間北国街道(365号線)を歩いて虎姫高校まで帰って来る(約50km)という、まあ今風に言うと「ナイトウォーク」。うちのクラス行事として行なわれたのだが、うわさがうわさを呼び、他クラスからもかなりの人数の生徒が参加。同学年の先生たちも北川先生の提案に大乗り気。

この行事、結局その後も毎年続けられ、特に3年生の時のことは一生忘れられない。その年は天候に恵まれ、栃の木峠や椿坂あたりでの夜空のすごいこと。とにかく見渡す限り「☆、☆、☆」。天の川が本当に見えることを知ったのもこの時。流れ星もそのうち数がわからなくなるほど流れた。

その時のことを平成11年に読売新聞が取材してくれた時の記事が残っている。「深夜、中河内の集落に入ると、公民館前で地域の人が温かく出迎えてくれた。『夜行軍頑張れ』の文字が嬉しかった」などという文面を今読み返すと、往時の記憶がまた沸々と湧き出て来る。
深夜、中河内での休憩
昨日見た中河内の集落は、その頃より一回りも二回りも小さくなっていたような気がした。人口流出が進んでいるのだろうが、しかし人々の優しさはやはり変わらない。
昨日の中河内
それにしても、今夜行軍をやろうとしても、夜中に子どもを歩かせることに教師や親は同意するだろうか?当時とは異なる交通事情。さらに猿や鹿、猪などに加えて、熊の出没さえ懸念される昨今だ。

中河内より少し南に下った上丹生で95歳の老婆が声を張り上げて言った言葉は切実だった。「ここら見てみい。小学校はなくなるし、農協はなくなるし、わしら、けものと一緒に取り残されていくばっかりや」。驚くばかりの冬季の積雪に加えて、獣たちが作物をことごとく食い荒らす夏場の獣害は年々その深刻さを増している。

これらの地域も、今や私たち長浜市の一部なのである。

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