四十八手

テーマ:言葉・漢字
最近、「飛びきりの美女現る」とか「男を作りに大阪へ」とか「夫婦バトル」とか「チューチュー」といったような、思わせぶりなタイトルでつい釣られてしまうブログが散見されますが、今日の私のブログもその類でございましょうか。

「四十八手」とは、辞書によりますと①相撲で勝負を決める技の総称、②目的をとげるための種々の手段・駆引き、と書いてありまして、一部の方がご期待されているであろう意味は当然の如く記されておりません。

昨日、48歳のことを「桑年」もしくは「桑寿」という、という話をいたしました。書いた後に、48という数字をつかまえて特定の称号を与えるというのは、それなりの意味があるのではないか?とふと疑問を持ったわけであります。

さて相撲の四十八手は、何と室町時代からその名が見られたそうですが、どうやら「四十八」という数字は、古来我が国で「縁起のよいたくさんの数」として使われていたようでありまして、実際に相撲の決まり手が48あったというより、技の数が多いことを縁起のよい数を使って「四十八手」と呼んだようです。

wikipediaによれば、江戸時代になると大岡忠相が定めた町火消しを始め、様々なものの数を48で定めることが多くなったというようなことが書かれておりますが、48という数字は、1,2,3,4,6,8,12,16,24,48と約数が非常に多く、何かと使いやすいことも多用された理由ではないかと推測いたします。

さて、このように割り切れることばかりであればよいのですが、この年齢になりますと社会の割り切れないことに色々と遭遇して参ります。だからこそ、桑が「蚕(懐古)に蝕まれる」かの如く、昔を懐かしむようになるのかもしれませんね。

今年の正月、虎姫高校の学年同窓会が行なわれましたが、その後専用掲示板が設けられ、のみならず各地でミニ同窓会が頻繁に開催されているようで(京都、名古屋、彦根、大阪等)、参加者の嬉々としたレポートが連日掲示板を賑わせております。

以前読んだ「時間旅行の愉しみ 『超』整理日誌3」(野口悠紀雄/ダイヤモンド社)という本に、「人間の記憶は、苦しかったことや辛かったことは大方忘れ、楽しかったことや嬉しかったことは実際より強調して覚えている。だから過去の回想は楽しいのだ」というようなことが書かれておりました。

それに、色んな人生を歩んできた色んなタイプの人間がしがらみもなく再会するというのが楽しいのでしょうね。堂々と「寄り切り」の人生を歩む者、豪快に「上手投げ」で勝負する者もあれば、「肩透かし」や「はたき込み」をくらったもの、土俵際まで追い詰められても「うっちゃり」で逆転する者もあり。人生もまた「四十八手」かな。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2009/07      >>
28 29 30 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 1

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧