<<最初    <前    1  |  2  |  3  |  4  |  5    次>    最後>>

結婚式の意義

テーマ:よもやま話
義弟の結婚式に出席するために、一昨日より妻と博多へ行って参りました。結婚式はバプテストの教会で挙行されました。

司式を務められました牧師さんが、聖書の一節を引用しながら、「近年結婚をするのを躊躇する若者が増えておりますが、家庭を持つということは船が帰る港を持つように、私たちが生きていく上で欠かせない安心をもたらすものであり、神も結婚という行為を祝福しています。」と述べられ、

「結婚式をしなくても入籍していれば、あるいは籍は入れてなくてもずっと一緒に暮らしていれば、社会的には夫婦と見なされますが、結婚式というのは、多くの人を証人として神に対して『誓約』する、言葉にして約束する、ということに重要な意味があるのです。」とキリスト教における結婚式の意義を説かれました。

一方、偶々行きの新幹線の中で読んでおりました、「これも経済学だ!」(中島隆信/ちくま新書)という本の中には次のようなことが書かれておりました。

「結婚式をあげる理由としてすぐに思いつくのは、『愛し合う二人にとって人生最大のイベントだから』ということになるが、これは奇妙な解答である。それなら、二人だけで愛を確認すれば済むし、日常的に愛を確認しあっているならばあえて儀式をするまでもなかろう。大勢のゲストを招いて祝福を要求する意味はどこにあるのだろうか?」

結婚式や披露宴の目的を『経済学的に』説明すると、「離婚のコストを高めること」あるいは「後戻りできなくするため」となるようであります。つまり、大勢の客を招き賑々しく式をあげてしまったら、簡単に離婚はできなくなる。歯の浮くような祝辞、花嫁の派手な衣装、皆で歌う愛の賛歌、親の感謝の言葉....。こうしたものを無に帰することは非常な困難を伴うであろう、というわけです。自らを「背水の陣」に置くのが結婚式だと。

昨日の新郎、新婦、実は共にover forty なのですが、共に初婚。新婦の友人が祝辞の中で引用した「結婚に適齢期はありません。結婚した時が適齢期なのです」という言葉に万雷の拍手。結婚したいけど、まだいい相手にめぐり合えない、あなた。あきらめないで適齢期を待ち、適齢期が来たら迷わず「背水の陣」を敷きましょう。


-愛は結びの帯として完全なものです。 コロサイ 3:14

今だから笑える

テーマ:よもやま話
平成16年の3月19日、つまり5年前の昨日のこと、母が肺炎をこじらせ様子がおかしくなりましたので、救急車を呼びそのまま入院いたしました。ちょうど私どもの町(翁山)が曳山祭の出番で、翌20日が稽古場開き。しかも私が若衆筆頭、息子が主役だったわけで、もし万が一の事態になっていたらどうなっていたことかと思います。

幸い、10日間ほど入院して、事なきを得ましたが、その時の事が話題となって...。



母: 「あの時なあ、もうあかんのやろなあって思てやったらしいわ」

妻: 「誰がですか?」

母: 「向かいさん」

私: 「えっ!もう死んでもたて思われてたん?」

母: 「おん、ピーポー(救急車)が来てから、あんまり長いこと出てこんもんやでな、こらあかんのやなと...」

私: 「なんまんだ、って拝んでやったんやろな(笑)」

妻: 「ほんでもお母さん、救急車出る時、『行ってきま~す』って手振ってましたやん」

母: 「ほれが全然覚えてないんよ。気がついたとき、お医者さんに『私死んでましたんか?』て聞いたんや」

妻: 「それで?」

母: 「お医者さんが、『いやいや、死んではいんけど、酸欠と貧血やったんや~』て」

私: 「なるほど」

母: 「ほんでな、私 『金欠ですでホンマの三ケツですなあ』って(笑)」


そんなオモロイこと言うてたら、死ねましょかいな。


フォトコンゲット

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日の朝10時過ぎ、若くてきれいな女性が「フォトコン」という写真雑誌を届けてくださいました。普段はあまり店頭にはいないのですが、気配を察知したのか偶然居合わすことが出来ました。「油甚さんもいよいよ写真のお勉強ですか?」と賤ヶ岳の近くから声が聞こえてきそうですが、私はとてもとてもそこまでは....。

3/11の竹内書店さんのブログを読まれた方はご存知かと思いますが、「フォトコン」に私どもの翁山の祭り風景の写真が登場するというご紹介をいただきまして、即時注文させてもらったのですが、昨日竹内さんが直々に配達して下さったんです。

表紙にも「差をつけるならこれしかない 祭り写真はタイミングだ!」と書かれてありますように、竹内さんの叔父さんであるプロカメラマン「タカオカ邦彦氏」が、祭りの写真を撮るタイミングをご自身の写真を例示しながら、懇切丁寧に解説なさっておられます。

例えばこの写真は『御幣を持った子どもが慣れない衣装と雰囲気に、ややお疲れ気味の様子をスナップ。周りが華やかなので、どうしてもそちら側に目がいってしまいがちだが、全体の様子を早めに撮影してからターゲットを絞り込んで集中すると、こういう一瞬の表情が撮れる』といったような解説がなされております。

25枚ほどの写真が掲載されておりまして盛りだくさん。一番最後の写真に私も登場いたします。ただし後ろ姿で、主役はハッピの背中の「翁」の文字。よろしければ書店でペラペラとご覧になって下さいませ。べっぴんさんの配達ご希望の方は是非ご注文も...。

パウワース物故者追弔会

テーマ:まちづくり
「パウワース」いや「パウ」と呼んだ方がなじみがあるかもしれません。曳山博物館の前に立つ5階建てのビル。かつては中心市街地のまさに商業の中核として殷賑を極めた時代がありました。

同ビルを運営しておりました「株式会社パウワース」が約1年前に破産し、40年弱の歴史に終止符を打ちました。法に則った適正な破産処理が行なわれ、債権債務は「新長浜計画株式会社」に引き継がれ、ビルの運営は何事もなかったかのように継続されております。

私自身はパウワースの経営とは無関係だったのですが、亡父が役員をしていた関係もあり、帰省後ほどなくして図らずも監査役を拝命することになりました。そして、この度会社整理後1年を経過したところで、パウの旧取締役3名の方と私で、旧体制のけじめをつける意味と、パウに関係されて既に鬼籍に入られている方へのご報告を兼ねて、「パウワース物故者追弔会」を計画いたしました。

ちょうどお彼岸の入りである昨日3月17日をその日と定め、大通寺桜の間で法要を執り行なわさせていただきました。25名ほどの関係者の皆様に列席をいただき、大通寺輪番さんを始め3名のお坊さんによる読経を頂戴いたしました。私は信仰心厚い者ではなく、お経といえば葬儀に参列した時に唱和するくらいのものですが、これほど格調高い正信喝を聞いたのは生まれて初めてでした。

輪番さんが講話の最後に「本日の追弔会の主役はどなただと思いますか?」とお尋ねになりました。「主役は亡くなられた方ではなく、生きている皆様方です。亡くなられた方をご縁に皆様方がお集まりになられたということが大事なのであり、それが亡くなられた方の力なのです」とおっしゃいました。

まさにその力たるや凄まじいもので、法要後設けました一席では、同窓会さながらに出席者が思い出話に花を咲かせ、いつ終わるとも知れぬ楽しい再会の席となったようです。

「パウワース」という一大事業は結果だけを見れば失敗に終わったと結論付けざるを得ませんが、それは疑いもなくかつての商店街のまさに『POWER』の象徴であり、その事業に携わった者たちにとっては(年齢には関係なく)青春の発露の場であり、その仲間達は戦友だったのです。

直接携わったわけではない私も、皆さんの姿を通して父がパウワースに傾けた情熱を再認識することのできた一日でありました。ありがとうございました。

急場を凌ぐ

テーマ:スポーツ
神様

仏様





まっさかさま
<<最初    <前    1  |  2  |  3  |  4  |  5    次>    最後>>

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2009/03      >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 1 2 3 4

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧