パウワース物故者追弔会

テーマ:まちづくり
「パウワース」いや「パウ」と呼んだ方がなじみがあるかもしれません。曳山博物館の前に立つ5階建てのビル。かつては中心市街地のまさに商業の中核として殷賑を極めた時代がありました。

同ビルを運営しておりました「株式会社パウワース」が約1年前に破産し、40年弱の歴史に終止符を打ちました。法に則った適正な破産処理が行なわれ、債権債務は「新長浜計画株式会社」に引き継がれ、ビルの運営は何事もなかったかのように継続されております。

私自身はパウワースの経営とは無関係だったのですが、亡父が役員をしていた関係もあり、帰省後ほどなくして図らずも監査役を拝命することになりました。そして、この度会社整理後1年を経過したところで、パウの旧取締役3名の方と私で、旧体制のけじめをつける意味と、パウに関係されて既に鬼籍に入られている方へのご報告を兼ねて、「パウワース物故者追弔会」を計画いたしました。

ちょうどお彼岸の入りである昨日3月17日をその日と定め、大通寺桜の間で法要を執り行なわさせていただきました。25名ほどの関係者の皆様に列席をいただき、大通寺輪番さんを始め3名のお坊さんによる読経を頂戴いたしました。私は信仰心厚い者ではなく、お経といえば葬儀に参列した時に唱和するくらいのものですが、これほど格調高い正信喝を聞いたのは生まれて初めてでした。

輪番さんが講話の最後に「本日の追弔会の主役はどなただと思いますか?」とお尋ねになりました。「主役は亡くなられた方ではなく、生きている皆様方です。亡くなられた方をご縁に皆様方がお集まりになられたということが大事なのであり、それが亡くなられた方の力なのです」とおっしゃいました。

まさにその力たるや凄まじいもので、法要後設けました一席では、同窓会さながらに出席者が思い出話に花を咲かせ、いつ終わるとも知れぬ楽しい再会の席となったようです。

「パウワース」という一大事業は結果だけを見れば失敗に終わったと結論付けざるを得ませんが、それは疑いもなくかつての商店街のまさに『POWER』の象徴であり、その事業に携わった者たちにとっては(年齢には関係なく)青春の発露の場であり、その仲間達は戦友だったのです。

直接携わったわけではない私も、皆さんの姿を通して父がパウワースに傾けた情熱を再認識することのできた一日でありました。ありがとうございました。

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