伝統を守った「たあけ」

テーマ:曳山・歌舞伎
昨日、岐阜県中津川市にある「東美濃ふれあいセンター歌舞伎ホール」まで「四代目中村津多七襲名披露公演」を見に行って参りました。東濃地区は日本で最も地歌舞伎(アマチュア歌舞伎)が盛んといわれている地域で、「中村津多七」は同地区の歌舞伎の指導者としての由緒ある名跡です。

私は昨年5月に岐阜県垂井町の曳山祭に中町紫雲閣の太夫として出場させていただいたのですが、その時の振付師が津多七(当時は津多若)師匠であり、以後親しくお付き合いさせていただいております。

会場となった歌舞伎ホールは廻り舞台や花道もある本格的なもので、広大な工業団地の一角に野球場、陸上競技場、土俵、体育館等とともに配置されており、この近辺でいうなら浅井の文化・スポーツ公園を巨大化して、さらに極めて立派なホールを付け足したようなイメージです。

役者経験もお持ちの師匠は、振付の他に太夫、化粧師もこなされますが、今回は襲名披露ということもあり、役者として2役を演じられました。他の役者さんには失礼ですが、セリフ、所作ともさすがに数段飛び抜けていることが、我々の眼でもはっきりとわかりました。

さて、くどくどと歌舞伎の解説をするつもりはありません。私の興味は、なぜその家系でなかった彼がこの道に入ったかということでした。襲名の御祝の返礼の中に「地芝居三昧 たあけといわれ四十余年」という本が入っておりました。

「そもそもたあけの始まりは」という最初の章に書かれていたのは、中学校の夏休みの宿題、いわゆる自由研究についてでした。「天候記録や昆虫採集は面倒くさい、もう少し手間がかからず、それでいて他人のやらない目だったものはないか」という思いつきでやったのが、近郊の「恵那文楽人形」の調査だったとか。長浜でいえば「富田の人形浄瑠璃」のようなものです。

文楽人形を研究する中学生などは珍しいものだから、かえって地元の専門家達が懇切丁寧に教えてくれ、ますます興味が湧き、結局1ヶ月弱で95頁にわたる冊子ができあがったそうです。こうして芝居への興味がだんだん高まり、勉強そっちのけで地芝居を見に行き、ついには劇団入団という経緯をたどり今日があるようです。

現在の教育は受験教育中心で、好きなことをやらせる、長所を伸ばすというよりも、いい大学に入れるようにとどの親も願います。それはある意味やむを得ないことかもしれませんが、一人の子どもの突拍子もない興味や関心によって、衰退の危機に瀕する伝統が守られていくこともあるのです。

それは偶然だったのか必然だったのかはわかりません。彼なしで東濃歌舞伎の現在も未来もなかったのでは...。そんな気がするのです。


(注)たあけ: たわけ(戯け)のこと。ここでは芝居きちがいの意

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