結婚式の意義

テーマ:よもやま話
義弟の結婚式に出席するために、一昨日より妻と博多へ行って参りました。結婚式はバプテストの教会で挙行されました。

司式を務められました牧師さんが、聖書の一節を引用しながら、「近年結婚をするのを躊躇する若者が増えておりますが、家庭を持つということは船が帰る港を持つように、私たちが生きていく上で欠かせない安心をもたらすものであり、神も結婚という行為を祝福しています。」と述べられ、

「結婚式をしなくても入籍していれば、あるいは籍は入れてなくてもずっと一緒に暮らしていれば、社会的には夫婦と見なされますが、結婚式というのは、多くの人を証人として神に対して『誓約』する、言葉にして約束する、ということに重要な意味があるのです。」とキリスト教における結婚式の意義を説かれました。

一方、偶々行きの新幹線の中で読んでおりました、「これも経済学だ!」(中島隆信/ちくま新書)という本の中には次のようなことが書かれておりました。

「結婚式をあげる理由としてすぐに思いつくのは、『愛し合う二人にとって人生最大のイベントだから』ということになるが、これは奇妙な解答である。それなら、二人だけで愛を確認すれば済むし、日常的に愛を確認しあっているならばあえて儀式をするまでもなかろう。大勢のゲストを招いて祝福を要求する意味はどこにあるのだろうか?」

結婚式や披露宴の目的を『経済学的に』説明すると、「離婚のコストを高めること」あるいは「後戻りできなくするため」となるようであります。つまり、大勢の客を招き賑々しく式をあげてしまったら、簡単に離婚はできなくなる。歯の浮くような祝辞、花嫁の派手な衣装、皆で歌う愛の賛歌、親の感謝の言葉....。こうしたものを無に帰することは非常な困難を伴うであろう、というわけです。自らを「背水の陣」に置くのが結婚式だと。

昨日の新郎、新婦、実は共にover forty なのですが、共に初婚。新婦の友人が祝辞の中で引用した「結婚に適齢期はありません。結婚した時が適齢期なのです」という言葉に万雷の拍手。結婚したいけど、まだいい相手にめぐり合えない、あなた。あきらめないで適齢期を待ち、適齢期が来たら迷わず「背水の陣」を敷きましょう。


-愛は結びの帯として完全なものです。 コロサイ 3:14

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