油買うもよし、売るもよし。楽しく老いるためのオイル日記
菅浦再訪
テーマ:まちづくり
2013/06/29 08:58
昨日の続きなんですが、あの後、菅浦に向かいまして、資料館と菅浦集落を視察。ここへ来るのは3回めですが来るたびごとに新しい発見があります。長浜市文化財保護センター所長のお話によると、菅浦って漁業が主要産業では無かったんだそうです。
むしろ、山が迫っているので林業や、大浦と争奪戦を繰り広げた山間地の農業、そして何より油桐の種から絞る油を燈明用に供給していたんだそうです。
石碑の後ろが油桐の木
資料館入口の右側に置かれた油桐の実の写真。これがやがて茶碗の中の黒い実状になり、これから油を絞るらしい。菅浦文書や神社の鰐口など貴重な資料が沢山展示されていたのですが、個人的には油桐が一番気になりましたわ。
しかし、菅浦のまちなみは本当に「ホッ!」としますね。日本の原風景とよく言われますが、そんな言葉がしらじらしく感じることがない数少ないスポットではないでしょうか。
50年前ここにいた彼が
今や教育長
いやいや、それは嘘ですけど、この写真50年前とほぼ同じ位置で撮ってるんですが、確かに同じような風景が残っているんです。この写真の子どもさんは「ひとし君」だそうで、現在は60歳前後で今も菅浦でお暮らしだそうです。
前回訪れた時は西の四足門だけしか見られませんでしたが、今回は東端まで歩いて東の四足門も確認いたしました。
四足門と長浜城歴史博物館長
散策を終えて、つづらお荘にて懇親会。美味しいお料理とお酒に舌鼓を打ちながら、教育委員会事務局の皆さんとの楽しい懇親の場となりました。帰りは、つづらお荘のバスで送って頂いたのですが、菅浦から大浦に至る道路がまさにサファリーパーク状態。
鹿の群れに何度も出くわしました。一匹や二匹じゃないですよ。何十匹よぉ~。ここを車で通行される方、ぜひとも一般車両保険にご加入下さい。あ~ぁ、それにしても、菅浦のデパート「大八商店」に売っていた小鮎の炊いたん、新鮮さ、艶、照りとも申し分無かったのに、買って帰らなかったのは一生の不覚。
むしろ、山が迫っているので林業や、大浦と争奪戦を繰り広げた山間地の農業、そして何より油桐の種から絞る油を燈明用に供給していたんだそうです。
石碑の後ろが油桐の木
資料館入口の右側に置かれた油桐の実の写真。これがやがて茶碗の中の黒い実状になり、これから油を絞るらしい。菅浦文書や神社の鰐口など貴重な資料が沢山展示されていたのですが、個人的には油桐が一番気になりましたわ。
しかし、菅浦のまちなみは本当に「ホッ!」としますね。日本の原風景とよく言われますが、そんな言葉がしらじらしく感じることがない数少ないスポットではないでしょうか。
50年前ここにいた彼が
今や教育長
いやいや、それは嘘ですけど、この写真50年前とほぼ同じ位置で撮ってるんですが、確かに同じような風景が残っているんです。この写真の子どもさんは「ひとし君」だそうで、現在は60歳前後で今も菅浦でお暮らしだそうです。
前回訪れた時は西の四足門だけしか見られませんでしたが、今回は東端まで歩いて東の四足門も確認いたしました。
四足門と長浜城歴史博物館長
散策を終えて、つづらお荘にて懇親会。美味しいお料理とお酒に舌鼓を打ちながら、教育委員会事務局の皆さんとの楽しい懇親の場となりました。帰りは、つづらお荘のバスで送って頂いたのですが、菅浦から大浦に至る道路がまさにサファリーパーク状態。
鹿の群れに何度も出くわしました。一匹や二匹じゃないですよ。何十匹よぉ~。ここを車で通行される方、ぜひとも一般車両保険にご加入下さい。あ~ぁ、それにしても、菅浦のデパート「大八商店」に売っていた小鮎の炊いたん、新鮮さ、艶、照りとも申し分無かったのに、買って帰らなかったのは一生の不覚。
コメント
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よこちん2013/06/29 10:15パークウェイが出来るまでは一車線のガタゴト道、ほんまに秘境でした。
むかしは大浦の小学校まで歩いて通ったそうですネ
一時、半島の山頂から竹生島までロープウェイを架ける計画を西武が考えたそうですが、ほんま無くなって良かったです…
つづらお荘もいいですが、菅浦のひっそりとした民宿で湖魚に舌鼓を打つってのもいいですョ。
ぜひ、お忍びで~笑 -
2013/06/29 13:34ひとしくん
知ってます
小学校の時は
菅浦の人は、大浦の小学校に通ってて後ろの方に何人か座ってました
私も、同じ世代だから(^_-)-☆ -
は〜2013/06/29 13:58菅浦には貴重な菅浦文書がありますね。
徳川家の先祖の系図の信用を高める文書もあるそうな(松平益親の実在を証明したから、古い系図全体の信用が上がった)。
>鹿が何十匹
ぜひぜひジビエ料理を出して下さい。鹿肉好きです。エゾシカだったけど。 -
2013/06/29 15:57そういえば高校の時、クラスは違ったと思うけど菅浦の人がいたような・・・。
木之本のどこかに下宿していたんじゃなかったかな?
金居原の人も確か下宿だったような。
バスで出てくるのは大変だったでしょうね。 -
2013/06/29 16:25ちょい前まで月一で行ってたんですわ しかも大八さんに(笑)
ちなみに私の上司は菅浦の人です 説明ややこしいけど(笑)
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2013/06/29 17:09>よこちんへ
そうですか。船で登校したと聞きましたけど。菅浦の民宿にお忍び?経験あるんかぁ?(笑)
>minoriさんへ
そうかぁ(爆)。まさかこのお坊ちゃんとminoriさんが同世代だとは。この写真は菅浦のパンフレットの表紙なんですよ。
>は~さんへ
はい、コピーが資料館に展示されていました。この文書のおかげで中世の時代劇が忠実に再現できるそうです。ジビエ、確かに可能性有りですね。ほんま無茶苦茶ぎょうさん居ましたわ。
>MashiToshiさんへ
やっぱり水運でしょうね。でも、意外と山道を歩いて移動したそうですよ。
>えべっさんへ
あ、そうなんですかぁ。今年は須賀神社1250年祭で10月の祭は盛大に行われるようですよ。しかし、大八さんの小鮎、返す返すも心残り(笑) -
2013/07/01 08:26アッ違ったかも
この人の様に頭剥げてないし)^o^(
この日と違います
コンな歳じゃないわぁ(*_*) -
2013/07/01 09:08>minoriさんへ
だからぁ、下の写真の方は現教育長ですって(笑)。ハゲにコンな歳、教育的警告!(笑)