雙だったのか

テーマ:言葉・漢字
朝日新聞に「漢話字典」というコーナーがあって、私が漢字について書いているようなことが、もっと学術的にまじめに書かれています。てことで、適当に読み流すことが多いのですが、この間の「双」という字の成り立ちにはちょっと「へぇ~」でした。

「双」とは「双子」とか「双葉」など、同じようなものが二つ対であるような状態を指す字ですが、「又」が二つで「またまた」ってことでもないようですね。

実はこれの原字は「」。「隹」は鳥を、「又」は右手をあらわしておりますので、この字は「二羽ひとつがいの鳥を右手で持つこと」を示しているんですね。私たちが普段使っている「双」は手を二つ書いた略字なんだそうです。

さて、「雙」とよく似た字に「」があります。そう、船の数を「一隻、二隻」と数えたりいたします。しかしこの字は、鳥一羽を右手で持つことを表し、そこから「ひとつだけの」という意味にもなるんですね。

伊達政宗は「独眼竜」という異名で呼ばれましたが、通常片目のことを「独眼」という言い方はあまりしないように思います。むしろ小説などで「隻眼(せきがん)」という言葉がよく出てまいりますが、これが片目を意味することは漢字の成り立ちからも頷けるところです。

もっとも「隻眼」には「他の人とはちがった目」「物事の善悪・真偽などを見分けるすぐれた見識」という意味もあるようで、軍師官兵衛の家康が片目を閉じたような仕草をよくするのは、まさに「一隻眼を有する」ことを表現しているのかもしれませんね。

それに双眼の男だと、変なもの覗いていそうな感じですしね。

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