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大相撲の経済学

テーマ:スポーツ
最近は大相撲のテレビ中継を見ることがすっかり無くなってしまっていたのですが、不思議なもので先日名古屋場所を生で観戦する機会に恵まれたおかげで、また興味が復活しテレビでも見てみようという気になってきました。

さて近年の大相撲人気の低迷は、とにかく相撲が文化からスポーツ(格闘技)として捉えられるようになったことにより、無闇矢鱈に外国人に門戸を開放してしまったことが私は原因だと思っていました。

しかし、幕内力士の1/3を外国人が占めるようになった現状を見ると、最早そんなことを言っても手遅れ。協会が仕組もうとしているように外国人力士を投げ倒す勧善懲悪ストーリーのヒーローとなる日本人力士の一刻も早い誕生が望まれるところです。

稀勢の里がその一番手と言うか、目下唯一の候補なのでしょうが、今場所十両優勝を果たした遠藤は大きく期待できるような気がします。相撲のうまさ、速さ、体型、そして顔つき、雰囲気、どれを取ってもいずれ綱を張る匂いを醸しだしています。
えんどうだけにマメ
さて、大相撲の世界はなかなか一般人には理解されない部分が多いのですが、中島隆信氏が「大相撲の経済学」という本の中で、一般人が知らない相撲協会の仕組みを経済学的観点から判り易く書いておられます。

例えば、「相撲協会は、65歳定年の終身雇用制つまりかつての日本的経営そのものである」と。つまり、番付は人事、力士は社員で年寄(の一部)が管理者と言える、というわけです。昇進は完全に実力主義ですから、一般企業よりもはるかに透明で公平ではありましょうが。

給与については、実はちょっと複雑で2段構えとなっているようです。つまり、一つは「地位別給与」つまり十両、前頭、三役等地位が上がるに従って増える給与ですね。

もう一つが「力士褒賞金(持ち給金)」つまり優勝、殊勲・技能・敢闘の三賞、金星等に応じて支給されるもの。「力士褒賞金」は成績が良ければ増えるが悪くても減らない、という特徴があるそうです。つまり一時金ではなく実績が以降の給与に反映されるということ。

体がぼろぼろになった力士がいつまでもやめずに現役で留まろうとしている姿がよく見かけられますが、確かにそうした力士の多くは三賞や金星を多く獲得した力士に多いような気がいたします。現役を続ければ過去の手柄を反映した高給が維持されるわけですもんね。

他のプロスポーツと比べて給料が低く、廃業したら只のデブとなり、転職等つぶしのききにくい大相撲の世界。やはり、維持するためには相互扶助的な独特の構造が必要なんだと思います。

ま、相撲には興味の無い方がほとんどだとは思いますが、ご興味お有りの方は是非上記著書のご一読を。しかし、昨日の稀勢の里は強かったですな。でもまた今日琴奨菊に負けたりして....。

さんぎいん

テーマ:政治
いよいよ明日は参議院選挙ですね。「いよいよ」ということばが全く似つかわしくないほど盛り上がりませんな。西部邁氏が「昔、言葉は思想であった」という本の中で「選良たる代議士は多数の人『衆』ではなく、立派な人間『参』を頼みとすべし」と書かれていましたが、その名に恥じない立派な方が何人いらっしゃるのでしょうか。

でも何で「参議院」という名前なんでしょうね?その前に「参」という字は元々「三つ」という意味で、「三つの玉のかんざしをきらめかせた女性の姿を描いた」象形文字だとか。確かに、太陽の下で集団労働する意味の「衆」の字と比べると高級感がありますな。

まあ、昭和22年に貴族院に代わって設置されたわけですが、どういう名前にするか苦労したんでしょうね。そもそも「参議」というのは奈良時代の大臣、納言に次ぐ官職で、明治時代は現在の内閣にあたる太政官の補佐役を現す用語だったと。

ですから議会で、「なんで今さらそんな古めかしい名称を使うねん?」という指摘があったそうで、それに対し当時の憲法担当相が「衆議院を補完する知恵を出し、議会の働きを達成しようとする意味だ」と答えたとか。

ちなみに英語で衆議院は「The House of Representatives of Japan」つまり「選ばれし者達による議院(だから、衆議院議員は代議士と呼ばれる)」ですけど、参議院は「The House of Councillors」。Councillorは参議の直訳なんでしょうけど、英英辞典で引くと地方議会の議員と書いてますな。ややこし。

カウンセラーという言葉よく聞きますでしょ。発音が多分全く同じなんですが、あっちは「Counsellor」と綴りまして「相談役」とか「顧問」という意味もあります。わぁ~、何かやありますな。社長や会長を終えた後さらに会社にとどまって、いらん事だけ言うてお金がっぽりもらうえらいさん。

う~ん、今の参議院はむしろこっちのカウンセラーに綴りを変えたほうがええんでは。いやいや、いっそ「参」という字の原義に戻って「三議員」くらいに人数減らしたらどう?

てなアホ話は無視して、皆さん投票に行きましょうね。

「苦手なこと」の証明

テーマ:よもやま話
ゆうこりんさんが早朝余呉湖を走っておられるのはコブログ界では既に有名な話。6月26日のブログに前日から始められたと記されておりますから、間もなく1ヶ月になりますね。

さて、その時のタイトルが「苦手なこと」で、出だしの文章が、「私ね、すごく苦手なことがあります。それはマラソン。短距離走は幼稚園の頃から大好きだったんだけど長距離走になるといつも後ろから数えたほうが早い。小学校でも中学校でもマラソン大会が大嫌いでした。」

そんな彼女が、何を思ったのか早朝ジョギングを始めたわけですが、私冗談で「>小学校でも中学校でもマラソン大会が大嫌い→証明できるような日記の記事を探してみますわ(笑)」 とコメント。

そう宣言した限りは一応探してみました。果たしてあるのか?まあ、こういう話題は秋やろ、と目星をつけて読んでいくと、お、「記録会のれんしゅう」という記事が。確か、学年で一番の記録を出すと市の記録会に選手として出場 できる、ということだったと思います。

で、最後先生のコメントに「学年代表選手になれるようがんばってください。(同じ4年い組の)Y君やC子さんは走り幅跳びの学年代表になりましたね。君やゆうこりんさんが走りの代表に選ばれるようにいのっています」と。

おかげさまで私は4年男子80m走の学年代表になれたんですが、それよりも何より、このコメントはゆうこりんさんがクラスの女子で短距離走が一番速かった、ということを意味してるではあ~りませんか。ほら知らなんだぁ。

さて肝心の長距離走は?と思ってもう少し調べてみると、何とあった!(笑)。6月12日の日記、題は「えきでん競争」で、「体育の時、走りのえきでん競争がありました。はんごとの競争です。ぼくらのはんは、ゆうこりんさんが一番に走りました。でも、帰って来た時は、げべでした」

6班に分かれて各班6人ずつ走ったようで、私とゆうこりんは同じ班だったみたい。ちなみに私はラスト(6番目)に走り、3人抜いて3番になったと書いてありました。う~ん、ゆうこりんが「げべ」でなかりせばぁ~。やっぱり彼女の「苦手なこと」、ホンマでしたわ。

学級目標と学級歌

テーマ:よもやま話
先日、母校長浜西中のよこっぺさんの学年の同窓会が催されたとか。それで思い出したわけでもないんですが、私たちの頃の西中には各クラスの学級目標と学級歌がありました。今はどうなんでしょう?

学級目標は、全員から募集して多数決で決めたのかよく覚えておりませんが、先生の意向がかなり大きかったように思います。私の場合、確か中1が「自主と協力」、中2が「激流」、中3が「大塊(たいかい)」だったと記憶しています。3年の時は先生のあだなの「知武流(チブル)」を提唱したんですが、却下されました。

亀仙人さんによれば、翌年の3年D組の学級目標は「誠意」だったとか。随分普通になっちゃいましたね(笑)。学級歌は音楽の授業の一環で、歌詞も曲も全員から募集でした。で、学級目標が必ず歌詞の中に入ってる、というかサビの部分に盛り込まれていましたね。

「♪ぼくらの1F 希望に燃えて 胸に輝くマークは勝利 自主と協力目標に きっと作るぞ 友情とりで」

1年の時は、歌詞が1~3番でごちゃまぜになっているかもしれませんが、こんな感じでした。2年の時のはちょっと忘れましたけど、最後のところが「♪進め~、進め~、激流となって~」だったことは覚えています。

3年の時は、「♪燃えよ 大塊となって 若い3D 活気にあふれ いつも誠実に前進する 我らはいつも大きなかたまり 偉大な歴史を築くんだ」

とちょっと偉そうな歌詞。私が作詞したのを担任のSirMurai先生が手直しして下さいました。学級歌は音楽の時間に歌う練習をして学年ごとに発表会があったような...。音楽のK女士に「こら~、もっとまじめに歌え~!」と高音でしょっちゅう叱られていたことを思い出します。

可惜

テーマ:言葉・漢字
「可愛やあったらもののふをむざむざ殺しにやりました」。これ、歌舞伎絵本太功記尼ヶ崎の場に出てくる光秀のお母さんのセリフなんですが、「あったら」ってどういう意味なのかとずっと疑問に思っておりました。

疑問に思ったことはすぐ調べるんとちごたんかい、と思われるかもしれませんが、歌舞伎や浄瑠璃の言葉をいちいち調べているとキリがないのも事実。で、わからないまま放っておいたんですが...。

先日、Qさまを見ていて漢字の読みを当てる問題でどうしてもわからないのが一つありまして、それが「可惜」。「かせき」か?と思ったんですが、そんなまともな読みが正解なわけない。何やろ?

と考えているうちに、若い女性アナか誰かが「あたら」と書いて正解。Fine Playですよね、これは。もしかして、この「あたら」って、冒頭の「あったら」と関係あるんでは。いや、関係あったらどうしょう。としょうもないダジャレは措いといて。

調べてみますと、「可惜(あたら)」とは「あったら」とも言い、「惜しくも、残念なことに」とあります。確かに「可惜」は「惜しむ可き」と書きますわな。

で、この「あたら」は元は「あたらし」という形容詞から来てるんですね。「可惜し(あたらし)」は「そのままにしておくには惜しいほどりっぱだ。すばらしい。」または「 それにふさわしい扱い方をしないのは惜しい。もったいない」という意味。

「あったら」は立派な武士に育った孫がむざむざと戦場に送り出される瞬間の、老婆の絞りだすような感情の迸りだったのでしょう。現在は「あたらし」といえば、もっぱら「新しい」ということになり、本来の意味で使われることはほぼ無くなりました。

でもね、前にも書いた気がしますけど、「新しい」は元々「あら(新)たし」が「あたら(可惜)し」と混同して音変化して生じた言葉なんだとか。偽物がいつの間にか本物に成り代わってデカイ顔をしてのさばっているわけで、本家の「可惜し」さんとしては、それこそ「あたらし」極まりない気分でしょうな。
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