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田舎もんからのお願い

テーマ:よもやま話

最近よく見かけるんだども、観光のお客さん、便所履きで長浜来るのやめてくんろ。

ビア(Beer)でルーチェ

テーマ:まちづくり
今年も8月30日(土)に大手門通り商店街を中心に「ビアレルーチェ(あかりの並木路)」というイベントが開催されます。毎年わが博物館通り商店街も通りに大きな灯篭を並べて協賛いたしておりますが、今年は若手から、エコブームにのって蝋燭の灯りで演出しようという提案がなされました。

決れば即実行です。面倒くさがりの私は渋々ついていくだけなのですが、こういう際H理事長さんが自らの頭の中で設計図をこしらえ、試行錯誤の後、アイデアを現実のものとされます。本業は化粧品、小間物屋さんなのですが、工具等はプロ並に備えていらっしゃいますので、商店街のメンバーは「H工務店さん」、あるいは「アヤハブチさん」と呼んでいます。

昨日、一昨日と二晩連続で作業をいたしました。

ちなみに材料はこのように何の変哲もない安価な物(アルミ缶、ろうそく、くぎ、クリアファイル、色紙)ですが、まず缶ビールを空にすることからスタート。文字通り「加油(ジャーヨウ)」でエネルギー充填です。

アルミ缶を切って底の部分にくぎを両面テープで仮止めした後(左)、セメントを流し込んで固定(右)します。重みがついて風で倒れません。クリアファイルに色紙を入れて切断し貼り付けたものが筒となります。

燭台にろうそくを立てて、筒をかぶせて完成です。

ビールの空缶を使ったあかり「ビアでルーチェ」。当日は博物館通りに200個並べる予定ですので皆さん是非お越し下さい。(お墓のろうそく立てにいかがでしょう、これ)

伊部町の先人達

テーマ:よもやま話
昨日、桜田門外の変に際しての、長浜から彦根藩への上納金の話をいたしました。「長濱町志」によりますと上納金の要請は一度ならず、事あるごとに度々あったようです。ちなみに同じ上納金でも、一般の町家へ課せられるものを「御用金」、特に富豪へ命ぜられるものを「御調達金」、富豪又は一般篤志をもってするものを「御献金」と呼んだそうです。

安政三年には七千余両の大金を五ヵ年賦にて上納すべき「御用金」があったそうで、当時その金額を負担した町内の資産家を相撲番付に組したものがあったとして町志に添付されてありました。(河路豊吉氏所蔵とあります)

最も多額の上納を行なったのは三百両の伊勢屋さんと敦賀屋さんでそれぞれ東西の大関として掲げられております。さて四居氏はどうかと申しますと、東の二段目(前頭)に「油屋治兵衛」と記されており百二十両上納されております。さらに同じ段に「会津屋嘉左衛門」(七十両)とあるのは、現在私ども伊部町で蝋燭屋を営んでおられます会津屋さんの祖先と思われます。

さらに西に目を転じますと前頭の三番目に「銭屋八兵衛」(百五十両)とあります。やはり伊部町で現在は「ここち」という雑貨屋さんになっておりますが、数年前までは「ぜにはち」さんという化粧品屋さんがありました。現在も「ふたばや長浜店」で営業されておりますが、この「銭屋八兵衛」と関係があると推察されます。


去る8月1日に「ぜにはち」さんの当代主人がお亡くなりになり、お通夜に参列して参りました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。




桜田門外の変と四居家

テーマ:よもやま話
NHKの大河ドラマ「篤姫」大人気であります。私も毎週見てます。従来幕末物は視聴率が低いと相場が決まっていたようですが今回は様相を異にいたしております。

高視聴率の要因はいくつかあると言われております。「ホームドラマっぽい」「宮崎あおいの演技力」「大奥の話は女性に受ける」「きれいな着物が次々出てくる」「家定役の堺雅人がよかった」等々。今年は彦根で開国150年祭が開催されておりますが、その主役井伊直弼公は番組では嫌われ役でしたね。

ドラマでは先週「桜田門外の変」を迎えましたが、桜田門外の変に際して彦根藩より長浜に上納金の命が下ったことが「長濱町志」に次のように書かれてあります。

 「万延元年三月三日藩主桜田の変あり、八日夜、苗字御免のもの五人を召寄せ調達金の命令あり、千両は明日上納し、余は追々上納すべしと告諭せり。町民は藩に於る未曾有の大変なれば、争ふて其出金を諾したり。受納金の氏名は左表(下)の如し」

  一  三百両     西御堂前町    西島太左衛門
  一  二百両     神戸町       大塚吉兵衛
  一  二百両     金屋新町      松本藤十郎
  一  百五十両   南伊部町      四居治兵衛
  一  百五十両   下呉服町      西島庄五郎    
    計 千両也

この他にも上納に応じた者が多数あったようでありますが、いずれにせよここに名前の登場する「四居治兵衛」は3/27のブログで紹介いたしましたとおり、これからまさに改修がなされようとしております(観光情報センター)四居家であり、私どもの商売上の主家であります。

このように実際の歴史上の大事件の影響が当地長浜にも及んだという事実は、あるいは当然の事だったのかもしれませんが何やら感慨深いものがあります。四居以外の大塚氏等はその御子孫達が現在長浜経済界の中枢としてご活躍中と察せられますし、西島庄五郎さんというのは初代長浜信用金庫理事長と同姓同名ですが、やはり何か関係がお有りなのでしょうか?

JADO

テーマ:スポーツ
北京オリンピックの柔道が終了いたしました。日本は金4、銀2、銅1という結果に終わりました。今大会の特徴は特定の国がメダルを取るのではなく、メダルを取った選手の国籍が多岐にわたるということだったようです。これは柔道の国際化、グローバル化という意味で大変好ましいことではないでしょうか。

一方多くの方がブログで言及されているように、オリンピックで行なわれているJUDOはもはや柔道ではないような気がします。最後石井が金メダルを取ったのでそんな声もなんとなくかき消されてしまいましたけど...。日本人がメダルを取れないから言っているのではありません。かつてのヘーシンクやルスカのように日本式の柔道でなぎ倒されるのなら悔しいけどあきらめもつきます。

しかし、ボクシングのような組み手の取り合い、出てくる技は「もろ手刈り」と「朽木倒し」に「すみ返し」。少なくとも国内大会でこれらの技で試合が決まる事はありません。前はあの青い柔道着にも嫌悪感を覚えたのですが、慣れると藍染の作務衣だとあきらめたものですが、それはともかく日本選手の成績は別として、これらを柔道と呼んでよいものか?

文句ばかり言っていてもしょうがないので提案します。日本は今オリンピックで行なわれている「JUDO」を「JADO」と改名してもらうべく要請する。外人がそのまま「ジュードー」と呼ぼうが「ジェイドウ」と呼び変えようが、とにかく日本語で「邪道」と読めるものにしてもらう。そして柔道はもちろん従来のルールで行い、「JADO」の出場者は柔道家に限らず広く門戸を開放する。決して背中をつかないようにブリッジで逃れられるプロレスラーも有望かも。

そうすることなくこのまま「柔道」=「JUDO」として変な競技に堕する事を認めるならば、やがて「JUDO」は本当の国際語になることでしょう、「伝統的にすぐれたものを全く別の変な物として定着させる」という動詞として。(過去形: judid、 過去分詞: judone)



 
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