伊部町の先人達

テーマ:よもやま話
昨日、桜田門外の変に際しての、長浜から彦根藩への上納金の話をいたしました。「長濱町志」によりますと上納金の要請は一度ならず、事あるごとに度々あったようです。ちなみに同じ上納金でも、一般の町家へ課せられるものを「御用金」、特に富豪へ命ぜられるものを「御調達金」、富豪又は一般篤志をもってするものを「御献金」と呼んだそうです。

安政三年には七千余両の大金を五ヵ年賦にて上納すべき「御用金」があったそうで、当時その金額を負担した町内の資産家を相撲番付に組したものがあったとして町志に添付されてありました。(河路豊吉氏所蔵とあります)

最も多額の上納を行なったのは三百両の伊勢屋さんと敦賀屋さんでそれぞれ東西の大関として掲げられております。さて四居氏はどうかと申しますと、東の二段目(前頭)に「油屋治兵衛」と記されており百二十両上納されております。さらに同じ段に「会津屋嘉左衛門」(七十両)とあるのは、現在私ども伊部町で蝋燭屋を営んでおられます会津屋さんの祖先と思われます。

さらに西に目を転じますと前頭の三番目に「銭屋八兵衛」(百五十両)とあります。やはり伊部町で現在は「ここち」という雑貨屋さんになっておりますが、数年前までは「ぜにはち」さんという化粧品屋さんがありました。現在も「ふたばや長浜店」で営業されておりますが、この「銭屋八兵衛」と関係があると推察されます。


去る8月1日に「ぜにはち」さんの当代主人がお亡くなりになり、お通夜に参列して参りました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。




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