浅井けど深い、そして今日はちょっと長くて遅い

テーマ:よもやま話
昨日、旧浅井町方面へ集金に行ったのですが、北近江あわあわ記というブログに浅井歴史民俗資料館で終戦記念展をやっている、と書いてあった事を思い出し、立寄って見て参りました。

戦争関連の貴重な資料やなまなましい体験談が展示されており、特に「北近江あわあわ記」にも書かれておりました西邑孝太郎さんの体験談は印象に残りました。中国でスパイ生活をしていた後、戦後ふるさとに逃げ帰るまでの話が記されているのですが、悲しみと恐怖、強靭な生命力、そして絶望の中での信じ難い幸運と、ドラマチックという以外言葉がみつからないようなお話でした。

自分を指名手配するポスターを見つけ上官から逃げるよう指示されたこと、豚や人の糞を食べて生き延びたこと、中国語を話すと日本なまりがあるのでばれるため聾唖者のふりをしたこと、命からがら上海で乗り込んだ船がたまたま日本行きだったこと、紀伊田辺港で親切な人に出会いズボンと30円もらったこと、しかし虎姫駅に着いた時に「おまえら兵隊が不甲斐ないから戦争に負けたんだ」と数人にこっぴどく殴られたこと、帰ったら既に自分の墓があったこと等々。

その他、原爆で焼け溶けた軍刀も展示されておりましたが、それが偶然私どもの向いの金物屋さんの奥さんのお兄様の遺品であることもわかりました。

帰り間際に棚に置いてあったチラシを見ると、丁度その晩NHKのBSでこれらの資料を紹介しながら村人達がどのように戦場へ送られ、戦争と向き合ったかを伝える「こうして村人は戦場へ行った」という番組が放映されることがわかりました。

当然番組を見ました。展示だけではぴんとこなかった部分もあったのですが、生還者や遺族の証言で戦争の実態が明らかになり、さらに身近に住む人たちだけに余計にリアリティを感じるものでありました。昨晩オリンピックを見ていて見逃された方は、再放送があれば必ず見てください。

さて終戦祈念展には戦時中の「サンデー毎日」という雑誌も展示されておりまして、表紙から中身まで戦争一色ではあるのですが、その中に乗り物酔いの「トリブラ」の広告、さらにはやや不謹慎な宣伝文句とともに強精剤の広告が一面に繰り広げられていたのには少し違和感を覚えました(まあ産めよ増やせよだったわけですけど...)。それはともかく、今は権力の批判が仕事のマスコミも戦争遂行に加担していた事は疑いがありません。

裏表紙は太陽光発電と液晶で今をときめく「シャープ」のカラー広告。当時の売り物といえば何と言ってもラジオでありました。「事変に備えよ!! 国旗とラヂオ!!」と書かれています。事変ではなくオリンピックで日の丸が掲揚されるのをテレビで誇らしく見ることができる、そして劇的な西邑さんの体験とは程遠い平凡な生活が送れる現代の幸福をしみじみと感じた一日でした。




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