油買うもよし、売るもよし。楽しく老いるためのオイル日記
堤清二さんと長浜楽市
テーマ:よもやま話
2013/11/30 09:33
セゾングループを牽引し、ビジネスと文化を融合させた特異な経営者であった堤清二さんが亡くなられましたね。もう86歳になっておられたというのがまず驚き。弟の義明氏との確執もあったようですが、てっきりあちらがお兄さんだとばかり思っておりました。
「辻井喬」の名で作家としてもご活躍だったわけですが、結局読んだ作品は堤家のドロドロの内実を明らかにした「父の肖像」だけか。「どてやす」と呼ばれ衆議院議長まで務めた堤康次郎氏は滋賀県出身ですから、西武と滋賀県は何かと由縁がありますね。長浜楽市も堤清二さんの魂が入っていたと思います。
長浜楽市ができたのは平成元年くらいだったでしょうか。当時まだ東京でサラリーマンをしておりましたが、あんなすごいショッピングセンター、いやショッピングセンターという安っぽい名前では呼びたくないような施設ができたのを見て、長浜も捨てたものではないなと思いました。
核店舗の西友と地元出店のテナントからなる商業施設に加え、大規模なゲームセンター、レストラン街、洋蘭園、さらにはドライブインシアター。文化の香り溢れる催し物も開催され、休日には子供を連れてここに来るのが楽しみでもありました。
そうそう、地方のショッピングセンターに置いてある男物のカジュアル服。いわゆるブランドもの(?)というと、クロコダイルにゴールデンベアにアーノルドパーマーの御三家やコシノ某とかに相場が決まっておるわけですが、何と初期の長浜楽市にはラコステの商品が置いてあって感激した覚えがあります。
長浜楽市はその後、平和堂アルプラザやジャスコの出店により、だんだんと文化的な香りのする施設は消滅していくとともに、またお馴染みの田舎のショッピングセンターへと戻ってゆき、当然のごとく「ワニが左ではなく右を向いた」ラコステの商品も店頭から姿を消しました。
堤清二氏はグループ会社の西洋環境開発の特別清算によって一線から身を引き、彼の描いた「文化と企業の融合」という壮大な事業はつい果てたのでした。
ダイエーの創始者中内功氏に象徴される「安さ追求」の流通界の方々にはあまり親近感を感じないのですが、崇高な理念で商業を一段高みへ上げることにトライした堤清二さんは尊敬できる人であったように思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「辻井喬」の名で作家としてもご活躍だったわけですが、結局読んだ作品は堤家のドロドロの内実を明らかにした「父の肖像」だけか。「どてやす」と呼ばれ衆議院議長まで務めた堤康次郎氏は滋賀県出身ですから、西武と滋賀県は何かと由縁がありますね。長浜楽市も堤清二さんの魂が入っていたと思います。
長浜楽市ができたのは平成元年くらいだったでしょうか。当時まだ東京でサラリーマンをしておりましたが、あんなすごいショッピングセンター、いやショッピングセンターという安っぽい名前では呼びたくないような施設ができたのを見て、長浜も捨てたものではないなと思いました。
核店舗の西友と地元出店のテナントからなる商業施設に加え、大規模なゲームセンター、レストラン街、洋蘭園、さらにはドライブインシアター。文化の香り溢れる催し物も開催され、休日には子供を連れてここに来るのが楽しみでもありました。
そうそう、地方のショッピングセンターに置いてある男物のカジュアル服。いわゆるブランドもの(?)というと、クロコダイルにゴールデンベアにアーノルドパーマーの御三家やコシノ某とかに相場が決まっておるわけですが、何と初期の長浜楽市にはラコステの商品が置いてあって感激した覚えがあります。
長浜楽市はその後、平和堂アルプラザやジャスコの出店により、だんだんと文化的な香りのする施設は消滅していくとともに、またお馴染みの田舎のショッピングセンターへと戻ってゆき、当然のごとく「ワニが左ではなく右を向いた」ラコステの商品も店頭から姿を消しました。
堤清二氏はグループ会社の西洋環境開発の特別清算によって一線から身を引き、彼の描いた「文化と企業の融合」という壮大な事業はつい果てたのでした。
ダイエーの創始者中内功氏に象徴される「安さ追求」の流通界の方々にはあまり親近感を感じないのですが、崇高な理念で商業を一段高みへ上げることにトライした堤清二さんは尊敬できる人であったように思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
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2013/11/30 10:21先日の会話
「それって どの辺?」
「サンモールがあった辺」
「サンモール!! あったな~!!」
これをネタにしたろ・・とずっと考えてるとこなんやけど もひとつ話に盛り上がりの欠けるネタやわ・・
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は〜2013/11/30 12:31>崇高な理念で商業を一段高みへ上げることにトライした堤清二さんは尊敬できる人であった
同感,同感。
今の長浜旧市街の商業やいかに?
借り物の横売り?
>ラコステ
これの愛用者どした。
はじめは手頃なブランド品と思って買いました。本当はブランド嫌いでしたから、手頃なのを。
ところが、ラコステのシャツは10年以上着られる丈夫なシャツでした。
元はとりましたでェ。 -
2013/11/30 13:0486才にもなっておられたんですねぇ
私も、この方は近江鉄道に勤めていたので
そのころ、バリバリだったのに
お顔を見て、時の流れの速さに、驚いています
ご冥福をお祈りします -
2013/11/30 14:24オープンしたころの楽市はすごい集客力でした
毎週末必ず行きました
何を買うわけでもないけど、なんか面白いことがあるかもしれないというワクワク感
今まで湖北の人らはどこへ行ってたんやろ?
と思いましたわ
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2013/11/30 14:26わかりませんな、あれだけ巨大企業に育て上げ、倒産したからわかりません。私もよく楽市へいきました。
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は〜2013/11/30 16:05楽市が出来た頃は、三河にある妻の実家でも長浜楽市の宣伝内容を知っていましたでェ。
義兄が観光バスでやって来て、樹脂の接待を受けていた。
その後は、アイデアの貧困やったと思います。それには、地元アイデアも必要かと。
蘭の館ーーもっと立派なのが他所にもありましたからね。
>ラコステ
もっと宣伝したらよかったかも。
「10年以上保つでェ」と。
なお、20年経ったラコステを今も畑で作業服として使っています。 -
メグママ2013/11/30 17:00楽市、昔は帰省するたびに行くのが楽しみでした。行かなくなって何年経つでしょう。^_^;
ラコステ、私も買ってました。でもどれも同じワニのマーク、と思ってる人も多かったような。
明日、南座の顔見世興行に行ってきます。親戚の不幸があって行けるか心配してましたが今日で終わりました。楽しみです。
すぐそこで観られるいい席です。(^_-) -
2013/11/30 18:06日経朝刊”風の生涯”呼んでました。それ以外は同じく”父の肖像”・・・詩はあまり得意分野ではなかったので殆ど読んでません。
下駄やのじさん -
2013/11/30 19:23数年前に大津の滋賀会館で「憲法のつどい」の講演を聞きました。あれだけの企業を運営してこられた方だけれど、同時に作家としての視線も新鮮だったし、平和を守りたいという強い思いを感じました。「父の肖像」はまだ読んでいないです。その時買った本は宮本百合子の評論集でした。夢中で読みました。サイン入りです。
「滋賀会館が平和を守る運動の拠点たれ!」と話されたのですが、残念ながら閉館になってしまいましたね。あの時の講演を聞いたのが、私にとっての滋賀会館大ホールの最後だったかもしれません。 -
よこちん2013/11/30 20:12私らの頃はセゾングループへの就職は花形の筆頭格のひとつでした。
中でも、パルコへ就職が決まったヤツは羨望の眼差しで見られていました。
香港で買ったラコステのポロシャツは日本に帰ったらワニのマークが取れてありませんでした~(笑) -
2013/11/30 23:27>きなこさんへ
サンモールって駅前通りでしたっけ?う~ん、オレンジもあったな、神照に。
>はーさんへ
ご賛同いただきありがとうございます。ラコステご愛用のようですね。クロコダイルも結構丈夫でしたよ。なのでなかなか捨てられなかった(笑)
>minoriさんへ
そうでしょ、86歳って信じられませんよね。自分の齢考えたら信じられちゃうわけですけど(笑)
>くんさんへ
本当に楽しいショッピングモールでしたよね。画期的とはあのこと。楽市の集客に刺激を受けて平和堂はビバシティを作ったそうですね。でも、当時の楽市の方が上だったと思いますわ。
>大王さんへ
結局不動産で失敗したんですね。パルコや無印でとどめておけばよかったのに。
>メグママさんへ
ワニならなんでも一緒って思っている人いますよね(笑)。顔見世は随分行ってないです。南座は一番安い席だと遠いんですよね。特等席ですか。存分に楽しんで来てくださいませ。
>ゲッティさんへ
父の肖像はなかなか衝撃的でしたね。私も詩は苦手分野です。自分で作るとあまりのくささに背中がずずずっとなります(笑)
>アロマなママさんへ
堤清二さん、一時共産党に所属されてたんじゃなかったかな。だから筋金入りの護憲論者じゃないでしょうか。世の中だんだんきな臭くなってきたような...
>よこちんへ
パルコは確かに花形だったかも。香港のラコステはあかんかぁ。rakosteて書いてなかったか?(笑)
>ケンパパさんへ
ウォルマートに変わって食品の値段と品揃えはよくなったのは確か。私も一番近いSCだしユニクロもあるということもあって、ほとんどここを利用しています。昔の楽市とは様変わりですけど。