油買うもよし、売るもよし。楽しく老いるためのオイル日記
胸を打つ会葬御礼
テーマ:よもやま話
2009/01/29 09:17
亡父と同級生のMさんがつい最近お亡くなりになったことを知人から知らされ、実の娘さんのところへ母が後悔みに伺いましたところ、これまで見たこともないような会葬御礼をいただいて参りました。
会葬御礼とはお葬式に来ていただいた方にお渡しする「挨拶状」ですが、通常は葬儀屋さんにお任せして、そこに書かれている文章も(大変失礼ですが)通り一遍のものであることが通常ですが、そこには次のような言葉が書かれておりました。
「神様と共に歩んだ父・・・感謝の心は忘れません」
自分のことは二の次...。人一倍面倒見が良く、気配りを忘れなかった父はいつも多くのお仲間に囲まれておりました。そして常に『感謝』の心を持ち続けた父。長い療養生活の中で、「感謝の言葉をこれほど言ってくれる方はいない」と言われるほどに、お医者様をはじめスタッフの方々にいつも「ありがとう」と申しておりました。
辛くとも前を向き、病に向き合う父が「一歩でも二歩でも歩いてみたい、バリバリと仕事をしたい...」ポツリとこぼした言葉と涙...。いつも母のことを気にかけ、私達に溢れんばかりの愛情と知恵を注いでくれた温かい面影。病に倒れるまでは、ソフトテニスに心傾け汗していた元気な姿。まぶたを閉じれば色鮮やかに思い出されます。父が注いでくれた愛情の分だけ私は親孝行ができたのでしょうか。
父○○○○は、平成21年1月25日、粉雪舞い散るこの日88歳にて、神様へ召され御国へと旅立ちました。父の遺したメモに、『夫婦仲睦まじく長生きして死後も同じ墓に眠ること』と記されておりました。改めて父の深い愛情を知りました。
「ありがとうございました 神様がお守り下さっていることを お父さんの人生を通してまさに見ることができました」
生前ご厚情を賜りました皆様へ、深く感謝を申し上げます。父亡き今後も変わらぬお付き合いを賜りますよう心よりお願い申し上げます。本日のお見送り誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもって厚くお礼申し上げます。 ~娘より
Mさんはクリスチャンでしたが、私の父が末期がんで精神的に不安定になっていた時にも親友として励ましの言葉をかけ、心落ち着かせて下さったそうです。感謝とともにご冥福を心よりお祈り申し上げます。
会葬御礼とはお葬式に来ていただいた方にお渡しする「挨拶状」ですが、通常は葬儀屋さんにお任せして、そこに書かれている文章も(大変失礼ですが)通り一遍のものであることが通常ですが、そこには次のような言葉が書かれておりました。
「神様と共に歩んだ父・・・感謝の心は忘れません」
自分のことは二の次...。人一倍面倒見が良く、気配りを忘れなかった父はいつも多くのお仲間に囲まれておりました。そして常に『感謝』の心を持ち続けた父。長い療養生活の中で、「感謝の言葉をこれほど言ってくれる方はいない」と言われるほどに、お医者様をはじめスタッフの方々にいつも「ありがとう」と申しておりました。
辛くとも前を向き、病に向き合う父が「一歩でも二歩でも歩いてみたい、バリバリと仕事をしたい...」ポツリとこぼした言葉と涙...。いつも母のことを気にかけ、私達に溢れんばかりの愛情と知恵を注いでくれた温かい面影。病に倒れるまでは、ソフトテニスに心傾け汗していた元気な姿。まぶたを閉じれば色鮮やかに思い出されます。父が注いでくれた愛情の分だけ私は親孝行ができたのでしょうか。
父○○○○は、平成21年1月25日、粉雪舞い散るこの日88歳にて、神様へ召され御国へと旅立ちました。父の遺したメモに、『夫婦仲睦まじく長生きして死後も同じ墓に眠ること』と記されておりました。改めて父の深い愛情を知りました。
「ありがとうございました 神様がお守り下さっていることを お父さんの人生を通してまさに見ることができました」
生前ご厚情を賜りました皆様へ、深く感謝を申し上げます。父亡き今後も変わらぬお付き合いを賜りますよう心よりお願い申し上げます。本日のお見送り誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもって厚くお礼申し上げます。 ~娘より
Mさんはクリスチャンでしたが、私の父が末期がんで精神的に不安定になっていた時にも親友として励ましの言葉をかけ、心落ち着かせて下さったそうです。感謝とともにご冥福を心よりお祈り申し上げます。
コメント
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2009/01/29 18:02新聞のご挨拶を読みました。娘のYさんのお気持ちがくみとれます。何も語らず、淡々と、形式のあいさつ文で済ますのが大人とも言われますが、私は、こういう方が故人に成り代わって人々への感謝とお別れの挨拶を述べる大切なことと思います。
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2009/01/29 18:33>ぱんやさんへ
確かにいざ葬式となると、そんなことを考えている場合ではないので、形式どおりせざるを得ないのが実状ですが、今回はある程度覚悟なさっていたのでしょうね。それにしても、故人を存じ上げており、お葬式にも参列できなかった者にとってはとても有難いご挨拶状であったと思います。