油買うもよし、売るもよし。楽しく老いるためのオイル日記
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畳まない屋

テーマ:よもやま話
昨日2階の書斎で仕事をしておりましたら、下から事務員さんに「Y山さんという方がお見えです」と呼ばれまして下りていきますと、胸に「Y畳店」と刺繍の入った作業服を着た凛々しい姿のよこちんが。

「おぉ、あのなぁ、ちょっとK寿司さんの仕事が入って、そのついでにウィンドウの畳がそろそろ換え時でないかと思って見に来たんや。けど全然どうもないなぁ」「換え時ってあんた、この間換えてもらってからまだ2年くらいしか経ってないがな」

そうそう、平成8年に店舗改装して以後、西日の影響で色褪せ劣化していたウィンドウ内の畳を2年ちょっと前によこちんにかえてもらったのです。「最初のやつを15年以上使てたんやさかい、まだまだ行けるやろ」

「ほうか、15年も持ったかぁ。ほしたら、次の交換の時にはうちの店無いかもしれんなぁ」と弱気のよこちん。「なんでよ。後継ぎやんすやろ」「うちは女二人やさかい、あかん」「養子もろたらええがな」「誰が畳屋なんかしてくれるかいな」

よこちんの話では、畳屋さんは近年それこそ店を畳むところが多く、湖北でもかなり軒数が減っているとのこと。「けど残っているところは安泰やろ」と言うと「それがそうでもないんやわ。パイ自体もどんどん縮小してるんよ」

確かに新しく建つ住宅なんか、畳の部屋なんて限られてますもんね。田舎でも畳の部屋の全くない家も増えているのだとか。私なんか畳の部屋のない家なんか考えられませんけどね。

さてしばらく世間話をしていたのですが、今度はよこちん、店の間の上敷きに目が行きまして「これはだいぶん擦り切れとるなあ。裏返したらどうや」とアドバイス。出入りが多いというより、地方発送の荷造りをここで行なうので、段ボール箱が擦れて摩耗したんだと思います。

「あのなぁ、琉球だたみっちゅうのがあってな、ちょっと高いんやけど、それやと丈夫やさかいこんな風にはならんわ」とさりげなく営業も。今度サンプルを持って来てもらうよう約束して別れましたが、何とか後継者を見つけて信頼できる「畳まない屋」さんを続けてほしいなぁ。

獲麟

テーマ:言葉・漢字
自分自身ブログを書き始める前に愛読していたブログが二つありました。一つはメイさんの「北近江あわあわ記」なんですが、もう一方のブログを先日たまたま開きましたら「脱稿」というタイトルで、そのブログの終焉を告げる内容が書かれていました。

事情はよくわかりませんが、ちょっと残念です。とは言うものの、まあ最近全然読んでいなかったんですけど。それにしても「脱稿」とは。「だっこう」と聞くとついお尻の病気を思い浮かべてしまう私は不謹慎。

ちなみに脱稿を辞書で引きますと「原稿を書き終えること」とあり、用例として「長編小説をーする」が書かれていました。ま、これくらい長期で書かれたブログもそうないでしょうし、まさに長編小説と言ってもよしでしょう。

さて、以前に筒井康隆さんかだれかが、もう小説は書かないと宣言されましたが、あれは確か「絶筆」でしたね。筆を置くとも言いますが、「筆を絶つ」となるとより強烈なイメージがいたします。

これの類語で「擱筆(かくひつ)」という言葉があることを知りました。「筆を置いて書くことをやめること。文章をおえること」という意味で、「連載小説は今回をもってーすることとする」というのが用例に。

「擱」は「擱く(おく)」つまり「置く」や「措く」と同義ですから「擱筆」は文字通り「筆をおく」ということなのですが、一見意味がわからない分、何となく高尚なイメージがあり、ちょっと使ってみたくなります。

しかし、世の中さらに上手な言葉があるんですね。それが「獲麟(かくりん)」。麟とは麒麟のことで、孔子がその著「春秋」の「西に狩りして麟を獲たり」の句で筆を絶って死んだところから、「獲麟」は絶筆を意味するんだそうな。

麒麟というのは太平の世に出現すると云われていたのに、太平というのには縁遠い時代に麒麟が現れた上、捕まえた人々がその神聖なはずの姿を不気味だとして恐れをなすという異常事態に、孔子は自分が今までやってきたことは何だったのかというやり切れなさから春秋を絶筆したのだとか。

先の脱稿されたブログの筆者も、もしかして気分的には「獲麟」的なやるせなさからであったのではないかと僭越ながら推量するわけで、いつかどこかで再び筆を執られんことを祈ります。コブログでどうでっか?

親指を隠す

テーマ:よもやま話
何かどこかで見たタイトルやなぁ、と思ったあなたは、きっときなこさんのブログの愛読者でしょう。そう、そのきなこさんが先日「親指隠せ」というブログの中で、「ヘビを見たら親指隠せと親に言われて未だにそうしていると書かれていました。

私はヘビを見ても親指は隠しませんが、子供の頃に霊柩車や葬式を見たら親指を隠していた覚えがあります。と言うか、かなり年齢を重ねてからもそれを続けていたかもしれません。お葬式に参列するようになってからは、親指隠し続けているわけにもいきませんので、やらなくなりましたけど。

どうも、この習慣は全国的なもののようで、「霊柩車と親指の関係」についてかかれたサイトも発見いたしました。親指を隠さないと、「親が早死にする」と言われていた覚えがあるのですが、親指=親、つまり親指を隠すことによって、死やケガレから親を守るという意味があるわけですね。

さらに元々は、「親指の先が霊的なものとの接触箇所であり、古くからその出入り口として認識されていた」ようで、「親指は体の中で邪悪なものに狙われやすい場所」であるから「親指を隠すという行為によって災厄を防ぐ」という発想が生まれてきたようです。

ですから、邪悪の象徴であるような「ヘビ」を見たら親指を隠せ、というきなこ家の伝承もこれに従ったものと言えるのではないでしょうか。

Yahoo!知恵袋の質問に対する回答の中に「私も子供の頃、霊柩車を見たら親指を隠していました。今は霊柩車の運転手をしています。」というようなのがありました。さすがに親指隠しながら運転してたら事故起こしてしまうでしょうね。

そう言えば、最近は葬儀場でのお葬式が増えて、まちなかでお葬式や霊柩車はほとんど見なくなりました。霊柩車も昔は立派なお仏壇のような構造でしたよね。親指が大手を振って生きられる時代になりました。

津多七先生ご逝去

テーマ:曳山・歌舞伎
6年前に「伝統を守った『たあけ』」というタイトルで書いたことがありましたが、日本で最も地歌舞伎が盛んと言われる東濃地域で振付師そして保存会の事務局長として活躍されてきた中村津多七先生が一昨日64歳の若さでお亡くなりになりました。

先生との出会いは今から7年前。垂井の曳山祭に初めて太夫として出場させていただいた時の振付さんで、以来垂井で4回ご一緒させていただきました。御自身太夫もなさっていたこともあり、助言をいただいたり昔の文楽の大夫さんのCDを頂いたりもしておりました。

ご自身の著作にも書かれていた通り、重度のアル中を克服され歌舞伎道に没頭されて来たわけですが、昨年垂井祭の後、体調不良で受診されたところ咽頭がんであることが発覚。抗癌剤と放射線治療を続けて来られましたが、去る4月14日に呼吸困難で地元中津川市民病院に緊急入院。

ちょうど長浜曳山祭の真っ最中でしたが、奥様から三役修業塾生の一人に、「顔を見せに来て下さるのなら意識があるうちに」と先が長くないことを示唆する電話連絡が入りました。

祭が終わった後の土日は事務員さんが休暇を取っておられたので店を空けられず、今週火曜日に行こうと思っていたところ、息子が免許書換ついでに帰省したため、三役塾同僚のIさんと急遽18日の土曜日にお見舞いに行ってまいりました。

喉は癌でふさがっており経鼻チューブで苦しそうに呼吸をされており、瞳孔は半開き。私たちのことはわかって反応して下さり、何か言葉を発しておられるのですが残念ながら理解することはできませんでした。

今年の垂井祭も振付をすべく準備をされて来たのですが、とてもその状態にはなく、長年ゆう歌舞伎で役者として活躍、三役修業塾生でもある七里八須子(岩井小紫八)さんが代理で振付をされることに。以前、曳山博物館子供歌舞伎の振付経験もあり、近年は長浜祭でも三番叟の振付指導を行っておられます。

津多七先生のご冥福を祈るとともに、最後まで気がかりにされていた垂井の曳山祭、立派な芸に仕上げて旅立ちの手向けとしていただきたいと切に願わざるを得ません。津多七先生、長い間本当にありがとうございました。安らかにお眠り下さい。

身体髪膚

テーマ:よもやま話
身体髪膚(しんたいはっぷ)之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは考の始めなり。

4/11の朝日新聞「折々のことば」に取り上げられていたものですが、中国の古典「孝経」が出典だそうです。中国の古典に詳しくない私もこの言葉は知っていました。

意味は「体は髪から皮膚までみな両親から授かったものだから、壊したり傷つけたりしてはならない」ということなのですが、自分がこの言葉を知っているのは、はっきりとした記憶はないものの、親(多分父)から常々そう言われていたからだと想像します。

で私も、子供が髪を染めたいだの耳にピアスの穴を開けたいだのとほざくと、この言葉を発して戒めておりました。残念ながら馬耳東風で効果はあまりなかったようですが。

私自身は、耳に穴どころか、髪の毛にパーマをかけたことすらございません。いわんや髪染めをや。実は最近白髪がかなり増殖してきましたので、おしゃれ染めには若干興味が...。

それはともかく、旧制高校の寮には、この言葉をもじった「寝台白布之を父母に受く。敢えて起床せざるは考の始めなり」と自室の扉に貼り紙をする輩がいたそうな、とコラムには書かれていました。

これもどこかで聞いたことがあったような覚えがありますが、確かにうまいこと言い換えてますよね。しかし、学生の頃って何であんなに眠れたんだろうと思うほど、よく寝てましたわ、私。

最近は、身体発奮でもないけど早朝に目が覚めて、敢えなくも起床して新聞を読んでおります。これこそ考の、いや「老の始まり」でしょうな。
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