悪魔の証明
テーマ:よもやま話
2014/07/23 09:03
STAP細胞に関する論文が撤回されただけでなく、早稲田大学大学院の博士論文にまでケチがつけられた小保方さん。その一方で、彼女が検証実験に参加するとの報道。
彼女はインチキなのか?それとも、理研という伏魔殿のような組織に振り回されている気の毒な美人科学者なのか?どっちやわからへ~ん、と思いながら半信半疑で見てる人も多いのではないでしょうか。
ことに、様々な科学者たちが「STAP細胞はないとは言い切れない」と答えておられるのを聞くと、「なんだ、やっぱりあるのか」とついつい思ってしまいますよね。
ところが日経新聞のコラム「池上彰の大岡山通信・若者たちへ」を読んでいましたら、理科系の人たちにとっては、STAP細胞が存在しないことを証明するのは、ブラックスワンが存在しないことを証明するのと同じ「悪魔の証明」と呼ばれているそうです。
ブラックスワン(黒い白鳥)が存在することは世界のどこかで発見すれば証明できるが、存在しないことを証明するには世界中を隈なく探さなければならず、結果見つからなくても「探し方が悪かっただけだろう」と言われる恐れがあり、いくら努力をしても報われない。こういうのを「悪魔の証明」と表現するそうな。
STAP問題に詳しい科学者たちはオフレコでは「ないと言い切っていいと思う」と答える人が多いものの、表に出ると厳密さを重視する方々だけに「ないとは言い切れません」と言っちゃうそうです。
一方で、科学行政を司るトップの下村文科相の「小保方氏がいなければSTAPの検証をするのはほぼ不可能に近い」とか「理研において小保方氏の活用を考えながら、STAP細胞を証明する努力をする必要がある」という発言。
「本当は誰がやっても実験結果を再現出来て初めてそれが存在すると言える」とわかっている科学者たちも、大臣の発言には従わざるを得ず、結果ブッラクスワン探しが税金を使われながら続けられる、という池上氏の論評。
中には小保方氏を弁護する有名弁護士もいるそうですが、悪魔の証明のことを知っているからこその支援なんでしょうかね。そうは言っても、まだ心のなかで「あるかも知れん」と思わせるところが小保ちゃんの魅力なんでしょうか。まあ、ブラックスワンは結局見つかったしね。
(注)英語にはかつて、無駄な努力を表す言葉として、「黒い白鳥を探すようなものだ」という諺があった。それゆえ1697年に実際にオーストラリアでコクチョウ=「黒い白鳥」が発見された事は、当時人々から驚きをもって迎えられた。(wikipediaより)
彼女はインチキなのか?それとも、理研という伏魔殿のような組織に振り回されている気の毒な美人科学者なのか?どっちやわからへ~ん、と思いながら半信半疑で見てる人も多いのではないでしょうか。
ことに、様々な科学者たちが「STAP細胞はないとは言い切れない」と答えておられるのを聞くと、「なんだ、やっぱりあるのか」とついつい思ってしまいますよね。
ところが日経新聞のコラム「池上彰の大岡山通信・若者たちへ」を読んでいましたら、理科系の人たちにとっては、STAP細胞が存在しないことを証明するのは、ブラックスワンが存在しないことを証明するのと同じ「悪魔の証明」と呼ばれているそうです。
ブラックスワン(黒い白鳥)が存在することは世界のどこかで発見すれば証明できるが、存在しないことを証明するには世界中を隈なく探さなければならず、結果見つからなくても「探し方が悪かっただけだろう」と言われる恐れがあり、いくら努力をしても報われない。こういうのを「悪魔の証明」と表現するそうな。
STAP問題に詳しい科学者たちはオフレコでは「ないと言い切っていいと思う」と答える人が多いものの、表に出ると厳密さを重視する方々だけに「ないとは言い切れません」と言っちゃうそうです。
一方で、科学行政を司るトップの下村文科相の「小保方氏がいなければSTAPの検証をするのはほぼ不可能に近い」とか「理研において小保方氏の活用を考えながら、STAP細胞を証明する努力をする必要がある」という発言。
「本当は誰がやっても実験結果を再現出来て初めてそれが存在すると言える」とわかっている科学者たちも、大臣の発言には従わざるを得ず、結果ブッラクスワン探しが税金を使われながら続けられる、という池上氏の論評。
中には小保方氏を弁護する有名弁護士もいるそうですが、悪魔の証明のことを知っているからこその支援なんでしょうかね。そうは言っても、まだ心のなかで「あるかも知れん」と思わせるところが小保ちゃんの魅力なんでしょうか。まあ、ブラックスワンは結局見つかったしね。
(注)英語にはかつて、無駄な努力を表す言葉として、「黒い白鳥を探すようなものだ」という諺があった。それゆえ1697年に実際にオーストラリアでコクチョウ=「黒い白鳥」が発見された事は、当時人々から驚きをもって迎えられた。(wikipediaより)