ぼくたちの地蔵盆(前)
テーマ:まちづくり
2009/08/22 09:16
『私は、子どものころ、「地蔵盆」が来ると、楽しい思いと共に、夏休みも終わりに近づいたという一抹の淋しさを感じたものでした。
ここ長浜の近辺は、地蔵盆の盛んな地方ですが、最近は、その殆どが、大人が飾りつけをして、子どもは遊ばせてもらうといった、子どもの側から見るとお客様地蔵盆が多くなってきているように思います。
私の住むこの町には、昭和の10年代半ばごろまで、大人の手を借りず、子どもたちだけで計画を立て実行していく、男の子たちの地蔵盆が受け継がれていたそうです。お堂洗いや買い物から飾りつけ、後始末、申し送りと、全てを子どもたちだけでやっていたのです。その中で、子どもたちは、さまざまの遊びも工夫し、楽しく遊びました。
大人が作って子どもに与える文化と、子ども自らが創っていく文化とでは、大きな違いがあります。
子どもたちは、自分たちだけで行う地蔵盆の中で、集団生活に必要な社会性や協調性やリーダーシップ、生気と活力に満ちた創造性を、自然な形で身につけていったように思います。また、同じ地域に住むもの同士の、友愛や連帯感も身につけていったように思います。
そうした古き良き時代への郷愁にも似た私の思いを汲み取っていただければと思います。』
この文章は、私ではなく、私の叔母(父の妹)である近藤千代が、近江こども歳時記「ぼくたちの地蔵盆」という絵本をサンライズから出版した時に、したためたものです。平成10年7月と記されておりましたが、この約半年後、叔母は古希を迎える前に病没いたしました。
地蔵盆を前にして、ふと思い出して、この絵本を開いてみたら、上記の文章を記した紙が出て参りました。叔母からのメッセージのような気がして、書かせていただきました。明日は絵本の一部を画像で紹介いたします。
ここ長浜の近辺は、地蔵盆の盛んな地方ですが、最近は、その殆どが、大人が飾りつけをして、子どもは遊ばせてもらうといった、子どもの側から見るとお客様地蔵盆が多くなってきているように思います。
私の住むこの町には、昭和の10年代半ばごろまで、大人の手を借りず、子どもたちだけで計画を立て実行していく、男の子たちの地蔵盆が受け継がれていたそうです。お堂洗いや買い物から飾りつけ、後始末、申し送りと、全てを子どもたちだけでやっていたのです。その中で、子どもたちは、さまざまの遊びも工夫し、楽しく遊びました。
大人が作って子どもに与える文化と、子ども自らが創っていく文化とでは、大きな違いがあります。
子どもたちは、自分たちだけで行う地蔵盆の中で、集団生活に必要な社会性や協調性やリーダーシップ、生気と活力に満ちた創造性を、自然な形で身につけていったように思います。また、同じ地域に住むもの同士の、友愛や連帯感も身につけていったように思います。
そうした古き良き時代への郷愁にも似た私の思いを汲み取っていただければと思います。』
この文章は、私ではなく、私の叔母(父の妹)である近藤千代が、近江こども歳時記「ぼくたちの地蔵盆」という絵本をサンライズから出版した時に、したためたものです。平成10年7月と記されておりましたが、この約半年後、叔母は古希を迎える前に病没いたしました。
地蔵盆を前にして、ふと思い出して、この絵本を開いてみたら、上記の文章を記した紙が出て参りました。叔母からのメッセージのような気がして、書かせていただきました。明日は絵本の一部を画像で紹介いたします。