神谷町逝く

テーマ:曳山・歌舞伎
歌舞伎女形の第一人者であった人間国宝中村芝翫さんが亡くなられました。中村富十郎に続いての訃報、歌舞伎の一時代の終焉を感じさせます。

歌舞伎俳優も現代化し、背が高く顔の小さな人がどんどん増える中、芝翫さんはいわゆる古風な役者体型で、写楽の役者絵から飛び出して来たような風貌が特徴でした。

楷書のような丁寧な芸と評されるように、奇抜さや派手さはなかったかもしれませんが、堅実で風格と気品があって、声も台詞回しも個人的には好きな役者さんでした。屋号は「成駒屋」ですが、住んでいる場所から「神谷町(かみやちょう)」と大向こうがかかることもありました。

「神谷町」と聞くと思い出すのが自分のサラリーマン時代。武蔵小杉(川崎市)の独身寮から西新橋にある会社まで通っておりました。今では武蔵小杉に東海道線の駅ができ新橋まで15分ほどで行けるようになったそうですが、当時は東横線で中目黒まで行き地下鉄日比谷線に乗り換え、霞が関で下車。

確か4~50分かかったように記憶しておりますが、遅刻しそうな時は霞が関の一つ前の「神谷町」の駅で降りてタクシーで会社に乗り付けるというのが武蔵小杉族の鉄則となっており、社内的に「神谷町タクシー」といえば「遅刻寸前」の隠語めいた用語になっておりました。
旧日石本館
さて、当の日石本館は、新日石とジャパンエナジーの合併に伴い本社ビルが大手町(JXビル・旧新日鐵ビルヂング)に移ったため、現在は利用されておらずやがては解体の運命とか。

のっぽビルが当たり前となった現代の東京ですが、重厚で風格と気品を持ち、まさに亡くなられた中村芝翫さんのような建物だと感じます。時代の変遷を感じつつ、芝翫さんのご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

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