青年の芸

テーマ:曳山・歌舞伎
長浜の曳山祭に無くて、垂井のそれには有るもの。その一つが「青年の芸」。青年のゲイではありませんよ。

そう、長浜の「若衆」に相当するものが、垂井では「青年」と呼ばれるのですが、彼らは文字通り「青年」、30歳未満の男たちなのです。長浜では若衆筆頭は最近では40~45歳くらいですが、垂井の総代長は20代なのです。

総代長の下に25~26歳の7~10名の総代が居て、狂言執行と曳山巡行を仕切ります。さらにその下の22~23歳位の青年4名が舞台係(後見)を務め、道具の出し入れ、つけ打ち等を行ないます。そしてその下の世代の5名が紋付袴姿で曳山の屋根の上にのぼり、巡行時に「おっさー」と声を掛けて曳き手を鼓舞するわけですね。

で、高校を卒業したばかりの最も若い世代が芸児係、すなわち役者の世話を担当。このように青年の中でも順を追って階段を上るように年々経験を重ねていくのです。長浜とは違って本当に若い世代が活躍しており、責任を与えられているせいか、皆実年齢よりしっかりしているように見受けられます。

閑話休題。東日本大震災の影響で、長浜の曳山祭も神輿の渡御・還御や夕渡り、裸参りの一部が自粛となりましたが、垂井では「青年の芸」が自粛と相成りました。

「青年の芸」は例年、祭の最終日、後宴の「千秋楽」の一つ前に行なわれるんですが、これがまあひどい。最初は普通の子どもの芸で始まるんですが、途中で青年たちが飛び入りで入ってきて、ちゃかしたり、笑わせたり。

長浜でも一時、千秋楽の芝居を崩してお笑い交じりでやっていたこともありますが、そんな可愛いもんではありません。時には上半身裸の姿で出てきたりと、コメディの範疇を超えた乱痴気騒ぎと言ってもいいかもしれません。まあね、そこが20代の青年なんだ、と言ってしまえばそれまでなんですけど。

年寄り連中は、今回の震災でこれ幸いと止めさせたんでしょうけど、青年たちは実に残念そうでした。しかし、「青年の芸」と名前がついているからには、かつては「青年」が「自ら」芸をしたはずなのです。

近年では、青年連中はGWということもあって、本番には皆集まって来ますが、稽古に詰めることはほとんどありません。かつては、子どもたちの稽古にびっちり付き添い、おそらくセリフや振りも覚えていたのでしょう。ですから、最終日に彼ら自身が子どもたちと同じように芸を演ずる、ということがあったに違いありません。

長浜でも、うちの山組などは打ち上げの時に若衆が子どもに代わって芸を演じてみせることがありましたが、これが公に行なわれていたんでしょうね。子どもと共に稽古を過ごしてこそ出来ること。おふざけではない、本来の意味の「青年の芸」であれば、自粛の対象には決してならなかったことでしょう。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2011/05      >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 1 2 3 4

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧