父ポッポより

テーマ:政治
昨日、内閣総理大臣を辞任いたしました鳩山由紀夫の父、威一郎でございます。何でこんな所で父親が?とお思いでしょうね。そうです!ご明察。息子の辞任で私のことを書いたネタが突然賞味期限切れ、鳩山ロデ夫になりましたもので....
鳩山威一郎
皆さん、鳩山家を華麗なる一族なんておっしゃいますけど、私のこと実はあんまり知らないでしょう。私の父、鳩山一郎は総理大臣でしたから皆さんよくご存知でしょうし、息子達も父を目標にしてきたようですしね。

私はね~、政治家なんかにはなりたくなかったんですよ。ま、もちろん東大ですけどね。鳩山家では東大以外は大学と呼びませんからね。私は病弱でひ弱なイメージ持たれてますけどね、青春時代は野球に明け暮れ、戦争中は軍艦「長良」に乗って、命懸けの海戦も経験してるんですよ。

東大法学部を主席で卒業して大蔵省に入ったんですが、私は生来の口下手でね、演説とかなんてぞっとしますよ。ま、余計なことは言いませんでしたからそれが奏功して事務次官まで登りつめましたがね。

ほんと政治家になる気はさらさらなかったんですが、息子の邦夫が意欲満々でね、田中角栄さんの秘書になってましてね、その関係で角さんから引っ張り出されちゃって、参議院に出馬して当選しちゃいました。

昭和61年の衆参同日選挙では、由紀夫、邦夫と揃って当選して、親子3人議員としてもてはやされたもんです。大臣としての経歴は福田内閣の外相のみ。もっとも私は大蔵大臣になってデノミをやりたかったんだけど。

私の名前「威一郎(いいちろう)」っていうんですけど、随分えらっそうでしょう。親父がね米国のウィルソン大統領を尊敬してましてね。彼のことを当時の新聞は「威爾遜大統領」と記してたんですが、一郎は自分以上の人間になれるようにと、彼の名から一字取って「威一郎」と名付けたようです。

私は逆に「政治家よりも弁護士や学者の方がまし」だと思ってましたから、日本に弁護士業を切り開いた祖父和夫や法学者として名を上げた叔父秀夫に共感してましてね。だから、息子達には「X一郎」ではなくて、和夫や秀夫の「夫」を継いで、由紀夫、邦夫と名付けたんですよ。

次男の邦夫が最初から政治家志向だったのに対し、長男の由紀夫は学者肌だったんですが、息子には「紀一郎」とつけてますからね。やっぱり宇宙人かな、あいつは。

まあ、こんな親から生まれたんで、由紀夫のやつ冗談も言えないカチカチの男だと思われているでしょうけど、この映像見るとちょっと印象変わるかな?(オレの隠し子のことばらしちゃってるよ、この野郎)。もう遅いけど...。


<参考文献> 「鳩山家四代」 梶原 英之 祥伝社新書

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