ビートたけしの東条英機

テーマ:よもやま話
昨晩、ビートたけしが東条英機役を演じた「日米開戦と東条英機」を見た。保阪正康氏著の「あの戦争は何だったのか」の論調をベースに描かれたドラマのようだが、原著を読んでいないので正確なことは言えないが、ドラマを見た感想を述べたい。

西田敏幸演ずる徳富蘇峰と、高橋克典が演じる吉原という新聞記者が、時代を回想する会話の中に作品の主張があったように思われる。ちなみに徳富蘇峰とは、日米開戦まで言論界をリードし、時の政権を裏から見続けてきた人物である。

まず戦争責任についてであるが、徳富は

天皇陛下については、「君臨すれども統治せず、即ちご自身は非戦論者であられ、意見は述べられるが、世論を反映した指導者たちの結論を承認する立場」でしかなかったと述べる。

首相の東條は「天皇の意向に従うのが使命」と考えていた。自身は最後まで外交、避戦を狙っていたが陸軍参謀本部の主戦論を抑えることはできなかった。総辞職による開戦遅延で情勢転換の可能性もあったが、それは彼自身に指導部をまとめてくれという天皇陛下の御意志に反するとして、行なえなかった。

陸軍は開戦主張、海軍は勝算は薄いと見ていたが国論の流れに抗してまで非戦を唱えるほどではなかったようだ。

と述べたうえで、「戦争というものは、どんな動機があろうとも敗れれば悪だ。勝てれば良かったが負ければ悪。その責任は東條たちが負わねばならない」とした。彼自身の意向がどうであったにせよ、開戦を決定した時の首相がその責任を負う必要があると。

さらに戦争を煽った徳富自身やマスコミも悪いとしながらも、しかし「戦争をすべきでないとはっきりわかっていた者たちはほんの一握りにすぎなかったのでは」、と語る。これに対して吉原記者は、心中で「いや何も知らなかったのではなく、知ろうとしなかったのだ」と反駁する。

開戦前は対日戦について国論が二分だったが、日本に先制攻撃をさせるように仕向け、それにより国論を一つにまとめたアメリカの指導者(ルーズベルト)のしたたかさと、ある意味国としては一つにまとまりながらも臥薪嘗胆を受け入れることができず勝ち目のない戦争に突き進んでいった日本、ということか。

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