ふたつの故宮博物院

テーマ:よもやま話
この夏は慌ただしくて旅行に行く時間もなし。しょうがねえ、本でも読むかぁ、って図書館で借りてきた本で面白かったのが「ふたつの故宮博物院」(野嶋剛/新潮選書)

そう言えばちょうど2年前の今頃は台湾に旅行。ほんで当然のごとく故宮博物院に訪れますわなあ。メインは翡翠で作った白菜や豚の角煮で、いわゆる欧米の大博物館のように全世界的なコレクションを有するものとは趣を異にしていて、正直ちょっともの足らなさを感じたというのが本音。
白菜と豚の角煮
蒋介石が中華文明の粋を集めた文物(正確には宋代のものが中心らしい)を台湾へ持ち込んだことは知っていましたが、何でそんなことしたかわかります?。売ってお金に変えようとした?いや、そうでもないようです。

中国は日本と違って王朝が生まれては滅ぶという歴史でしょ。で、歴代王朝で政権が安定するとほぼ必ず、皇帝は文物(つまり書画美術工芸品)を片っ端から集めるのに血道をあげたそうです。それによって中華の王たる権威が格段に高まったというわけ。日本でいうと三種の神器ですが、中国は三種では済まんわけです。

蒋介石はこのロジックを用いて自らの中華民国の正統性を保持しようとしたわけですね。台北の故宮の収蔵品は67万点と北京のそれ(180万点)よりかなり少ないけれども、え~もん持ちだしたんで質的には北京より上というのが定説らしい。

蒋介石が北京の故宮から一気に持ちだしたというわけではなく、故宮の文物は日中戦争の戦禍から避けるために、南方、西方へと中国中を移動し、1947年に南京に再結集した後、北京、台湾と分かれたそうです。そういう意味では、現在2つの故宮が存在することに日本も大きく関わっているわけです。

これに先立つ清王朝の末期には紫禁城に隠されていた皇帝のコレクションは、売買という正当な取引だけでなく、盗難、不法な持ち出しなども含めて、一気に国内外に流出したようで、ラストエンペラー溥儀も自らの生活の資金源や保身のために文物を利用したそうです。そんなシーンが映画にあったような...。

現在中国では、愛国教育ナショナリズムと急速な経済成長による国力向上が相まって、海外に流出した文物返還運動が起こっているようですが、やっぱり現代中国は共産党王朝なのかもしれませんね。

ふたつの故宮博物院の統一はなかなか成りそうにはありませんが、そんな中、両故宮博物院の共同展を日本で開催する動きが2000年を境に2回ほどあったようです。最初は司馬遼太郎氏、後は平山郁夫氏が実現のため奔走されたようですが、お二人とも道半ばで世を去ってしまわれました。はい、お察しの通り「こきゅう困難」で...。

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