万葉びとのこころ
テーマ:よもやま話
2011/08/12 09:00
「出会いってのはこわいですね。今日ね~、長浜来る時に電車の中で、この研修会の案内持ってる4人組に偶然....。その中の一人がね、『何でこんなくそ暑い時に研修会なんかやるんだよぉ~!いい教育するためにはこの時期は休んだ方がいいんだよぉ』。って、なるほどね。それから、別の人が
『ところで、今日の講演って【万葉びとのこころ】やったっけ。俺そんなもん絶対寝るわ。寝たら起こして』。『そんなん、途中で抜けて喫茶店行ったらええやん』。『ほんで、今日の講師、知ってる?』『知らん!』。そこで私がその講師です、って言うわけにもいかないでしょ」
え~、一昨日の「道徳教育研究会」に引き続きまして、昨日は「長浜市教育研究発表会」が浅井文化ホールで。事例発表の後に講演がありまして、講師が奈良大学の上野誠教授。私も存じ上げなかったのですが、万葉集を中心とする古典研究者で、テレビやラジオで活躍中の先生だとか。1960年生まれといいますから、私と同い年。
ご自身が、「私はラジオ番組の評判は頗るよろしくてファンレターももらうんですけど」と言われるだけのセクシーボイスに、「テレビ番組の方には1通も来ません」とおっしゃる通りの風貌。で、冒頭のような枕で講演は始まりました。
「万葉集というのは、日本書紀や続日本紀が表向きの声、まあ朝日新聞や読売新聞だとすると、週刊誌やスポーツ新聞みたいなもので、7世紀と8世紀を生きた人間の生の声。大体、近代教科書の題材は堅くていかんですな。肩に力が入りすぎていて、大切な部分が抜け落ちている。」
と、こんな調子で話は脱線したかと思うと本論とうまく関連していたりと、実に見事な話法で進められていきまして、「日本霊異記」の世界に入っていきます。「このレジュメね、もったいっぶって言うようやけど、わ・ざ・わ・ざ、今日の講演のために作ったの。もったいぶって言うようやけど、NHKの収録前で忙しいのに、わざわざ作ったの」
とおっしゃるこの話。せっかくですので、ご紹介いたしましょう。原文ではなく、先生ご自身の訳文です。(長いよ)
大和国の添上郡、現在の奈良市東部に、通称膽保(みやす)という男がいた。この男は孝徳天皇の時代(645~654)に、大学寮の学生(がくしょう)を務めるくらいの学識を持った男だった。
これは、当時としてはたいへんなインテリということになる。当然、儒教を学び、親に孝養を尽くすということは学んでいるはずなのだが、そんなところはまるでない男だった。
この膽保の実の母親が、ある時息子の膽保に借金をした。借金というのは、稲を借り入れて、後日それに利息をつけて返すという借金である。しかし、あいにく母親は、借りた稲を返すことができなくなってしまった。
ところが、膽保は、怒って返済を迫り、実の母を責め立てたのである。しかも、膽保は床に座り、母親を地面に座らせてである。たまたまいた客人が、見るに見かねて、こう言った。
「君は教養もある人間じゃないか。なのになぜ孝養の道から外れたことをするのかい。第一、君は豊かで今困っているわけではない。母親から稲を返してもらわなくても何の不自由もないはずだ。君が大学寮で学んだ儒教には、ちゃんと孝養の道は説かれていたろう。なのになぜ孝養を尽くさないのだ―」と。
ところが、膽保はこの忠告に従わず、「余計なお世話だよ!」と言い放ったのである。そこで、まわりにいた人びとは、その母親に代わって、借金を返済して、さっさと帰ってしまったのである。
学問によって地位やお金を手にするようになった新しいタイプのエリート膽保。母に借金の返済を迫ったこの話の顛末や如何に?....(明日へ続く)
『ところで、今日の講演って【万葉びとのこころ】やったっけ。俺そんなもん絶対寝るわ。寝たら起こして』。『そんなん、途中で抜けて喫茶店行ったらええやん』。『ほんで、今日の講師、知ってる?』『知らん!』。そこで私がその講師です、って言うわけにもいかないでしょ」
え~、一昨日の「道徳教育研究会」に引き続きまして、昨日は「長浜市教育研究発表会」が浅井文化ホールで。事例発表の後に講演がありまして、講師が奈良大学の上野誠教授。私も存じ上げなかったのですが、万葉集を中心とする古典研究者で、テレビやラジオで活躍中の先生だとか。1960年生まれといいますから、私と同い年。
ご自身が、「私はラジオ番組の評判は頗るよろしくてファンレターももらうんですけど」と言われるだけのセクシーボイスに、「テレビ番組の方には1通も来ません」とおっしゃる通りの風貌。で、冒頭のような枕で講演は始まりました。
「万葉集というのは、日本書紀や続日本紀が表向きの声、まあ朝日新聞や読売新聞だとすると、週刊誌やスポーツ新聞みたいなもので、7世紀と8世紀を生きた人間の生の声。大体、近代教科書の題材は堅くていかんですな。肩に力が入りすぎていて、大切な部分が抜け落ちている。」
と、こんな調子で話は脱線したかと思うと本論とうまく関連していたりと、実に見事な話法で進められていきまして、「日本霊異記」の世界に入っていきます。「このレジュメね、もったいっぶって言うようやけど、わ・ざ・わ・ざ、今日の講演のために作ったの。もったいぶって言うようやけど、NHKの収録前で忙しいのに、わざわざ作ったの」
とおっしゃるこの話。せっかくですので、ご紹介いたしましょう。原文ではなく、先生ご自身の訳文です。(長いよ)
大和国の添上郡、現在の奈良市東部に、通称膽保(みやす)という男がいた。この男は孝徳天皇の時代(645~654)に、大学寮の学生(がくしょう)を務めるくらいの学識を持った男だった。
これは、当時としてはたいへんなインテリということになる。当然、儒教を学び、親に孝養を尽くすということは学んでいるはずなのだが、そんなところはまるでない男だった。
この膽保の実の母親が、ある時息子の膽保に借金をした。借金というのは、稲を借り入れて、後日それに利息をつけて返すという借金である。しかし、あいにく母親は、借りた稲を返すことができなくなってしまった。
ところが、膽保は、怒って返済を迫り、実の母を責め立てたのである。しかも、膽保は床に座り、母親を地面に座らせてである。たまたまいた客人が、見るに見かねて、こう言った。
「君は教養もある人間じゃないか。なのになぜ孝養の道から外れたことをするのかい。第一、君は豊かで今困っているわけではない。母親から稲を返してもらわなくても何の不自由もないはずだ。君が大学寮で学んだ儒教には、ちゃんと孝養の道は説かれていたろう。なのになぜ孝養を尽くさないのだ―」と。
ところが、膽保はこの忠告に従わず、「余計なお世話だよ!」と言い放ったのである。そこで、まわりにいた人びとは、その母親に代わって、借金を返済して、さっさと帰ってしまったのである。
学問によって地位やお金を手にするようになった新しいタイプのエリート膽保。母に借金の返済を迫ったこの話の顛末や如何に?....(明日へ続く)