矢口流恋の表現

テーマ:曳山・歌舞伎
先般垂井祭で語りました芸題は「神霊矢口渡頓兵衛住家の場」。この物語、エレキテルや土用の丑の日を考案したといわれる江戸時代の学者・平賀源内が「福内鬼外」のペンネームで著したもの。

新田義貞の子義興が武蔵国矢口渡で謀殺された後、その弟義峯が恋人うてなとともに同地へ落ち延び、渡守頓兵衛の家に一夜の宿を求めます。そこの娘お舟が義峯とは知らずに、彼に一目惚れし激しく言い寄るわけです。

連れの女(うてな)は女房か妹かと問われて、「妹」と嘘をつく義峯も相当のプレーボーイ。で、あまりの激しいアタックについに義峯さんも据え膳喰わぬは、ということになるわけですが、ここの一連のやり取りの浄瑠璃が一風変わっています。

「♪右よ左と付け廻す、琥珀の塵や磁石の針、粋も不粋も一様に、迷うが上の迷いなり。」とにかく、義峯にしつこくまとわりついたんでしょうね。この後あまりの熱心さに呆れたのか、「♪義峯公も気の毒顔」となります。

そして、もう行こうとする義峯の袂を押さえて「♪惚れられたが不詳と思ふて下さんせ。日陰の木々も花咲けば、岩のはざまの溜り水、澄めばすむ世の思い出に」。惚れられた方が不肖と思えというのはあんまりだと思うんですけど、「♪義峯公も稲舟の、いなにもあらず」と続きます。

稲舟(いなぶね)は「刈り取った稲を運ぶ舟」で、「稲舟の」は軽少な稲舟の意から「軽(かる)」また同音の「いな」を引き出す序詞、と辞書にあります。浄瑠璃を語っていて何で稲舟が出てくるのか疑問だったのですが、義峯公が「否にもあらず」、つまりお舟に迫られて「まあ、しょうがねえか」と軽く受けた気持ちを引き出す言葉だったんですね。

そして、この後互いの気持ちが通じたことを確認し、「♪じっと見つめた目の内は、恋の錠前情けの要、互いに心月草の、(うつろいやすき色糸や)、離れがたなき風情なり」と盛り上がっていき、二人は結ばれます。

さて、「互いに心月草の」部分は「心付き」つまり「心にかなうこと」と「月草(ツユクサの別名)」の掛言葉。「月草の」はツユクサの花で染めたものは色があせやすいところから「うつる」「仮」「消ぬ」にかかる枕詞だそうです。今回、上記(  )内の文言は省略されていましたが、「うつろいやすい」色情に掛かっているんですね。

いや~、私自身もこんな意味がこめられているとはつゆ知らず語っていたわけですから、演じる子どもたちは無論のことご見物の方もちんぷんかんぷんだったんでしょうね。以前「色模様」というタイトルでも書きましたけど、ややもすると下品になりがちな場面を婉曲的に表現する平賀源内さん、そして何より日本語の力に拍手。

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