大丈夫?
鳩山新政権が期待と不安の中で船出して2週間が経ちますが、既に不協和音も聞こえてきます。
そんな折しも、明日(10月1日)は今や超軍事大国となった中国の建国60周年記念日です。超厳戒態勢の中で、あの天安門広場において近代兵器を並べた軍事パレードと胡錦濤国家主席の演説があるとのことです。
今日の新聞報道を見ていますと「夫婦別姓 法案提出へ」(現行民法改正)とありました。これは民主党政策の基本(原理)であるマニフェストにはありませんが、社民党主の福島氏は「民法改正は社民党のマニフェストに記述があり、民主党のマニフェストでもある」と言っています。
勿論この問題について賛否両論があります。平成13年に民間団体が都内の中・高生に調査したところによると両親が別姓になるのは「嫌だ、変な感じがする」との回答が6割を超えています。要は子どもの視点、家族の絆という点をどのように考えるのかと言うことだと思うのです。
法案提出に積極的な法務大臣千葉景子氏は、韓国で死刑囚となった辛光朱(シン・グァンス)の釈放嘆願書に村山富市・土井たかこ・菅直人・江田五月氏らと共に署名し、当時の韓国大統領宛に提出した人です。
辛光朱は北朝鮮拉致実行犯で、宮崎で原勅兆(はらただあき)さんを拉致し横田めぐみさんの拉致にも関わっていたと見られる人物です。
前にも記しましたが、今後慰安婦賠償問題・外国人参政権・国立追悼施設建設問題等々が提出されてくることが予想されます。
新たな自民党の執行部を見ても、とても頼りになるとは思えません。いよいよ日本が左傾化し、中国に抱き込まれて行くのではないかと心配する日々がこれからも続きそうです。
編集委員会
今日(29日)10:00より、先の第3回定例会議の内容を市民に報告する第2回「ながはま市議会だより」編集委員会が開かれました。
議員は28名いるため、編集委員を4っつのグループに分けています。各グループが1年間(9月議会から6月議会まで)責任を持つことになっています。最終回(新市議会4年目)のメンバーは7人で、私もその一人として今回初めて担当することになりました。
この編集委員会に前回も今回も参加されない議員がいます。その理由は明確ではありません。今日の編集委員会終了後、「欠席の議員に出席するよう指導するべきだ」と委員長、副委員長に言っておいたのですが、議員の自覚と責任を疑ってしまいます。
先に「滋賀夕刊」では、長浜市議会における各議員の各委員会等への出席状況を公開して頂きました。したがってご承知の方も多いと思いますが、詳しくは長浜市のホームページを見ていただくとよくわかります。開く手順は“《長浜市議会》→《関連するカテゴリー》→《その他》” 、ここに各議員の出席状況が一覧表になって示されています。
市民の付託を受けた者は、一つ一つの任された物事を責任と誠意を持って果たすことが最も大切なことだと思うのですが?
国技とは?
昨日(27日)は大相撲秋場所千秋楽でした。結びの一番、そして決定戦を見ました。
この大相撲は文部科学省所管の財団法人日本相撲協会にあります。したがってこの協会は日本の伝統文化を保持するために設立されたものです。
そこで思ったことは、結び前も結びも日本人力士は一人も居ません。4人は総べて外国人です。十両優勝も幕下優勝も外国人です。相撲は国技と言われるのですが近年どこが国技なのかとしばしば疑問を感じています。(勿論日本人力士のふがいなさもあるのですが)
しかも優勝した横綱朝青龍に至っては、その伝統文化をぶちこわす日頃の言動。昨日も白鳳に勝った後のガッツポーズ。私はそこでテレビのチャンネルを変えました。
相撲も他のスポーツも、日本で始まったものは礼に始まり礼に終わります。そこには勝っても負けても相手を讃える日本人の“美学”があるのです。これが日本人の心です。このあたりの教育が全くできない高砂親方とそれに甘える朝青龍を私は許せません。
私は私の小学校時代に活躍していた羽黒山・東富士・照国・鏡里・吉葉山・」千代の山の時代からの大相撲フアンです。しかし今日の相撲は国技とはとてもいえないのではないかと嘆いています。
この状況であれば、国籍問わず入門希望者を採り“国技”と“財団法人”を看板からはずせばいいのにと思います。そうでなければ、日本の歴史と文化・伝統を通して日本人の心をしっかり教えてから土俵に上げるべきだと思います。
このままでは大相撲は衰退して行くのではないかと思います。「このままで良いのか相撲協会」と言いたい思いです。財団法人相撲協会の千秋楽が来ないことを念じるばかりです。
モンスター親
今日(27日)ヤフーのトピックスに「万引き現場にもモンスター親」と有り、早速開いてみました。
「なぜ捕まえた」「通報される子どもがショックを受けた」等と保護者が小売店主に理不尽なクレームを付けると言うことです。その他にも「捕まえる前に諭せ」「届くところに置くな」などもあるそうです。
モンスターペアレントで揺れている校・園に於いてはこんな事もあります。例えば
おもちゃの取り合いで喧嘩になると「そんなおもちゃを幼稚園に置くな」、我が子がけがをすると「けがをさせた子どもも休ませろ」等々。
授業中菓子を食べる子どもを注意すると「お腹がすいていたのでかわいそう」、集会等で「気をつけ!」と言うと「軍隊みたいな教育をするな」、携帯を取り上げると「親が買ったのだから親のものだ。教師が取り上げるな」と言う。
朝礼で態度が悪いから名前を呼んで注意すると「みんなの前で叱るな」、ゴミに火を付けて遊んでいた子どもを警察に通報したら「先生がこの事件をもみ消してくれ」等々。
これらは戦後、自由だ平等だという権利主義が60年をかけてこうした社会を構築したのだと思います。権利の前に義務と責任があることを親と教師が教えてこなかったことが最大の問題です。
2002年に訪問したアメリカの教育(ジョージア州とテキサス州)では、各学校に配置されたカウンセラーがこうした問題には総べて対応します。カウンセラーは警察と連携をとり、問題の保護者や児童生徒と教師との対応はほとんどありません。教師は教育そのものに専念できるわけです。
日本では教師が本来の授業以外に、生徒指導はもとより課題のある親や地域の課題など様々な問題に対応しなくてはなりません。これでは教師は本当に大変です。そのような問題に対する学習を大学では学んでいません。今日まで総べて個人の力量に頼ってきたのが現実です。
そろそろ日本も根本的な学育改革に取り組むところに来ているのではないでしょうか。今なら対策は打てます。放置しておくと、近未来には日本国は沈没し隣国の属国となるかも知れません。
国家百年の大計は教育にあるのですから!
外国人参政権
そんな折、今日(26日)の産経新聞に民主党が法制化を目論んでいる外国人参政権について記されていました。この問題は先のブログでも触れましたが日本の将来に極めて重大な問題を有していと思います。
外国人参政権問題は、小沢一郎の持論であり鳩山首相も外国人参政権付与を訴えています。外務大臣の岡田克也氏は「外国人の参政権の実現は悲願」とまでいっています。
今日の新聞では
“民間シンクタンク「国家基本問題研究所」(櫻井よしこ理事長)は25日、参政権を日本国籍に限定するべきだ等と鳩山政権への提言を発表しました。
①参政権行使は日本国籍を有する者に限定されるべきだ
②「特別永住者」への配慮は、特別帰化制度導入でなされるべきだ
提言の柱はこの二つですが、起因するところは、
領土問題や米軍基地問題など「主権と安全保障に直結する選択」に「金正日政権や中国共産党の直接、間接の介入を許すことは、東アジアの平和と安定、日米同盟や日韓友好関係を損なう危険性が高い」と主張。
その上で平成7年の最高裁が「憲法93条にいう(地方選挙権を持つ)『住民』とは、地方公共団体に住所を有する日本国民を意味する」として、外国人の地方参政権要求を退けていると指摘した。
一方、特別永住者の帰化手続きについて、本国の戸籍謄本などでの本人確認と、法律を守り善良な国民となることを誓う宣誓書などの帰化意思確認を簡易化する特例制度の導入も求めている”とありました。
くれぐれも禍根を残さないようにと念ずるばかりです。
今日の町中
今日(25日)も天気が良く、午後13:00頃から久しぶりに一人で長浜の町中に出かけました。まず歩き始めたのは御堂前です。平日でもあり閑散としていました。
次いで大手通に入り西に歩き始めました。間もなくすると安浄寺さんの門前に今月27日午後13:30より蓮如聖人500回御遠忌法要の案内がありました。まことにおめでたいことです。間もなく2011年(平成23年)には親鸞聖人750回御遠忌が本山(東本願寺)において営まれます。
長浜は勿論、湖北一円はまさに真宗のメッカと言っても過言ではないと思います。長い間長浜御坊を中心に今の中心市街地は栄えてきました。以前真如会の紀野一義先生は、湖北の地に立つと宗教の磁場を感じるとよくおっしゃっていました。湖北は先人の心を受け継いだ今も念仏衆の町でもあるのです。
さて、通る度にいつも思っている事があります。昔映画館もあり浜京極と言ってにぎわった通りは今では下の写真のような姿です。何とか黒壁のまちづくりと共に活性化させることができないのかと言うことです。
その後、ひきやま博物館に行きましたが展示物が多くなっただけで1年前とそんなに変わったとは思いませんでした。ただ今日は「いらっしゃいませ」という受付の人の言葉はありました。しかし来館者は平日は数人であるのに、今日も受付には女性二人が座っておられることに疑問を感じました。せめて一人が案内ぐらいすればいいのにと思います。それにしても入館料600円は高いのではないでしょうか。受付の方に訊ねると同じように思っているようでした。さかんに1,000円3館セットのチケット購入案内をしてくれました。ただ最近館内喫茶?の100円サービス券を出すようになったようです。
その後立派な卯建のあがった長浜最古の町屋(築300年)「四居家」に寄りました。改修後初めて訪問したのですが、入館料は無料で建物の中は「ほっとする」空間でした。奥の部屋まであげて頂いて庭を見せて頂きました。正面に見える蔵を元の状況に修復し、抹茶と和菓子等を出せば素晴らしい長浜の迎賓館になるのではないかと思いました。休息には是非お勧めしたいと思います。
この後は「沢田寝具店」で枕の買い物をして、途中「MASAO」に寄りお茶を飲んで帰ってきました。
夜盗虫対策?
昨日(24日)は9:30頃辻種苗さんで少し苗を買い10:00頃から畑へ行きました。
買った苗はブロッコリーです。既に2週間前に植えているのですが今日新たに小さな苗を7本植えました。
その後種まきをして3週間目の今日、白菜の間引きをして1本仕立てにした白菜の下に藁を敷きその後中打ちをしました。続けて大根の中打ちもしました。
中打ちの後に化成肥料を少し蒔いて終わりました。家内も手伝ってくれたので終了は12:00過ぎでした。夕刻には小松菜の種を蒔いて来ました。
畑でのこれからの仕事は虫との戦いです。今朝も畑へ行って水やりをしたのですがキャベツやブロッコリーに青虫が付いていないか見てきました。
白菜にも青虫は付きますが、一番困るのは白菜の奥深くに入ってしまう夜盗虫です。この夜盗虫対策をご存じの方がおられれば是非教えて頂きたいと思います。
ついでながら、写真の左上に少し見えるのはトマトの木です。タターンと桃太郎を8本ずつ植えています。今までお盆過ぎには撤去していたのですが、今年新たに知ったことがあります。
トマトはこの季節まで実を付けることと、少し小さくはなりますが実がしまっていて最盛期より美味しいということです。しかしそろそろ終わりのようです。
ウッディパル余呉
今日(23日)は彼岸の中日で10:00から自坊において彼岸会の法要と永代経を勤めました。
午後13:30に家を出て余呉のウッディパル余呉の「森林文化交流センター」へ行きました。写真はセンターの全体ですが、研修・合宿にはもってこいです。
下はセンターの入り口です。
この会場で15:00より昭和54年6月から始まり今年30年を迎える長浜交友クラブの勉強会が始まりました。講師はいつものように一燈園同人石川洋先生です。
上の写真は講演に先立ち座長の笹原氏の挨拶です。参加者は30名近くでした。
特にテーマはなかったのですが、80歳を前にした石川先生の思いを命を中心に述べられたように思います。テーマを付けるなら「生きる覚悟」「今からだ」等になるかも知れません。
特に心に残っていることは
“失敗を敗北の原因にしてはならない。幾つになっても大切なことは「今からだ」です。人生は綱渡りです。名人は目標をしっか見て歩く。下を見ないことです。迷うからつまずくのです。”と、西田天香(長浜市第1号名誉市民)さんからお聞きになったお話をされたことです。
今日も多くのことを学ばせて頂きました。石川先生、今日は遠いところまで来て頂き本当に有り難うございました。
講演のあと会食をしたのですが、余呉のお米の美味しかったこと。新米のコシヒカリでしたが本当に美味しくいただきました。ただ塩味だけのおにぎりでしたが皆が感動しました。
第2室戸台風の日
昨日(21日)に引き続き今日は第2室戸台風の日のことを記します。この台風は昭和36年9月16日9:00頃室戸岬に上陸しました。
当時大学2年生で、家には祖父と母がおりました。朝のラジオで超大型台風が近畿地方に接近中との情報を得て大学から直接京都駅に行き、11:00頃の電車に乗りました。懐かしいあのオレンジ色とグリーンの電車です。
席に着いていたのですが、石山付近から電車はのろのろ運転で、ほとんど進みません。時々強風で電車は大きく揺れることが何度かありました。
そのうち大相撲秋場所が始まりました。私の前の人がラジオを持っていたのです。電車は近江八幡付近からほとんど動かなくなりました。そのうち大相撲は最後の取り組みが終わりました。
やがて能登川駅に着いたのが19:00過ぎでした。電車はそこで止まり何時発車するかわからないとのことでした。私は下車して駅の外に出ました。
幌を付けた軽トラックが駅前にあったので、どこまで行くのか聞いてみると彦根まで行くとのことでした。お願いをして彦根まで乗せて頂きました。乗ってみると箱に幾つかのパンがありその車はパン屋さんのでした。
彦根の何処か?でおろして頂きました。お礼は言ったのですがどこのパン屋さんであるかは聞くことを忘れていました。台風は通り過ぎたようですがあたり真っ暗でした。その真っ暗な道をどう歩いたかは覚えていませんがとにかく彦根駅まで歩きました。
彦根駅からタクシーに乗り我が家へ帰りました。勿論着払いです。帰ってみると境内の松の木の上の部分が折れていました。翌朝松の木の片づけを一日がかりでしました。
本当に人間は自然の前では無力です。ただその前では謙虚であるべきだととつくづく思います。
あと、小学校2年生の秋に襲来したジェーン台風も覚えていますが記すことは止めておきます。ただこれらは総べて近畿地方を襲った歴史に残る台風です。今後これ以上の台風が何時来るかもわかりません。充分な備えをしておきたいのですが?
伊勢湾台風の日
昨日(21日)新聞を見ていると「伊勢湾台風50年」の見出しが目に入りました。その伊勢湾台風は昭和34年9月26日夕刻から夜にやってきました。その日のことを少し記します。
その頃私は高校2年生でした。朝は姉川に架かった国友橋を渡って学校へ行きました。学校では大型台風が来るということで授業は午前中で終わりました。
学校で弁当を食べ、帰りは友達数人で大映(朝日町にあった映画館で今は駐車場になっています)へ映画を見に行きました。確か石原裕次郎の映画だったように記憶しています。
途中から映画館のあちこちで雨漏れが始まり、間もなく館内放送で上映は中止するからお帰りくださいとの案内がありました。入場料が返金されたかどうかは覚えていません。
私たちは雨風の中を帰りました。帰った道は市役所の東から小堀・田附町に抜ける道です。当時は両側はほとんど田んぼでしたので、強風のため何度も田んぼに自転車ごと吹き飛ばされました。
翌朝いつものように学校へ向かうと、昨日の朝まであった国友橋が中央がV字状に折れ曲がり、川幅一杯に濁流が激しく流れていました。驚いてしばらく見ていましたが、やがて大井橋から学校へ行ったことを覚えています。
当時は情報が今日ほど発達していませんから、台風の被害状況さらに被害者の数等爪痕がわかったのは数日後だったと思います。
伊勢湾台風と第2室戸台風は私の学生時代のことで、それぞれに思い出があり、鮮明に覚えています。
科学が発達しても手の施しようがないのが自然災害なのでしょうか。やはり人間は自然の前では謙虚であるべきだとつくづく思うことです。