中学バレー
昨日(27日)は久しぶりに中学男子のバレーボールを午前中見ました。岐阜県の某中学校から見てほしいとの依頼を受けていたので市内の某中学校へ行きました。
10:00から12:00頃までゲームを見ながらチーム状況を見ていたのですが、直接指導することが出来ませんでした。
この時期には出来ていなくてはならないことがあります。バレーボールはまずサーブカットとその約束です。その基本が出来ていないとゲームになりません。
何事においても基本が出来ていないとその上に建物を建てるわけにはゆきません。私はバレーボールには五つの領域があると思っています。サーブ・レシーブ・オーバーパス・スパイク・ブロックです。
私は新人戦が終わると11月から2月いっぱいの4ヶ月間は、サーブ・サーブレシーブ・レシーブ・オーバーパスを徹底的に指導します。この間セッター練習の相手としてのアタックはします。
3月中頃からスパイクの打ち込みと総合練習に入り、5月頃からブロック練習をします。決して目先の試合を追わないことが大切だと思っています。そうでないと夏(7月)に仕上げることは出来ません。
要は、仕上げに向けての分析とその計画が重要ではないかと思います。
こんな事を、ゲームを見る前に教官室で岐阜の指導者には話しました。帰宅後気付いたことは電話で伝えました。
いよいよ明日から3月です。各地で練習試合も盛んになってきます。東西交流杯も27日~29日まであります。いろんなチームを見ることが今から楽しみです。
銀メダル
今日(26日)13:00からNHKテレビを見ました。バンクーバー冬季五輪のフィギュアースケート女子のフリーを見るためです。
最終組の5名の練習にはいるとなんだか胸がどきどきとしてきました。日本選手二人が心配だからだと思います。
韓国キム・ヨナ選手の演技はさすがでした。堂々としていて貫禄すら感じました。ジャンプ・表現・精神力どれをとっても見事でした。結果は228,56点でダントツの金メダルでした。演技終了後の涙には、演技の満足感と過去の様々な物事が去来したことだと思います。
真央ちゃんは私の見る限り、堅さを感じていました。演技の中に少しのミスがあり残念ながらトータル205,50点で銀メダルでした。彼女の演技終了後の悔しそうな顔は心中を総て物語っていたと思います。しかし見事な銀メダルには拍手を送りたいと思います。
ロシェット選手は21日に突然母親を失うという大きな不幸に襲われました。しかしその悲しみをしっかりと心に受け止め、SPもフリーも見る者に感動を与えました。見事な銅メダルだと思います。
安藤・鈴木両選手も見事に入賞しました。日本のレベルの高さが改めて世界に示されました。日本選手達は本当によく頑張ってくれました。感動を有り難う!
北教組から・・
昨今北海道教職員組合の裏金1600万円が民主党衆議院議員;小林千代美氏の選挙資金に当てられていると云う疑惑が出ています。札幌地検は、これは政治資金規正法が禁じている、企業・団体から政治家個人への献金に当たると見ているようです。
そもそも北教組には幾つかの問題があります。
・06.1月に江部乙小学校6年女子児童がいじめによる自殺をしました。06.12月、道教委はいじめ実態調査を実施します。北教組は21支部の学校に調査に協力しないように指導する。
・AEDの学校への配置について、07年北教定期大会において、「一方的な導入に反対する」との方針を表明する。
・08.11.28に機関紙「北教」に、「竹島問題は韓国の主張が正しく、島根県などが竹島の領有権を求める行為は、日本の侵略・植民地支配を正当化する不当極まりないものである」と厳しく非難している。
※この問題については、2月23日産経新聞26面に「韓国側論拠崩す文書」が新たに見つかったと報道。
・その他にも、71年の道教委と組合の労使協定では、「勤務条件に関わるものは総て交渉事項とする」「長期休業中の帰省の場合は自宅研修扱いとすること」等々、考えられない事項があります。
日教組が推薦する国会議員は組合の意のままに動かざるを得ません。そんな日教組系といわれる国会議員が社会党崩壊後民主党に入り込み、輿石東氏を筆頭に現在10人前後います。これは大きな勢力です。
日教組の「教師の倫理綱領」は10項目から出来ています。この4番目には「教師は科学的真理に従って行動する」とあります。
この≪科学的真理≫とはマルクス主義です。そのマルクスの言葉には、
“青年に対し祖国の前途に対する希望の灯を奪い祖国を呪詛する精神を扶植することが革命の近道である”とあります。
恐ろしいことではありませんか。こうした考えに基づいて急がず時間を重ねて教育してゆけば、何時の日か国民はその方向に向いてゆくでしょう。
現実問題として、「夫婦別姓法案・永住外国人地方参政権付与法案・人権侵害救済法案」が、国民的議論がないままに国会に提出されようとしています。これらはいずれも日本解体に向かう法案以外の何物でもありません。
国民が知らない間に法案が作られ、「気が付いたときには既に遅かった」では済まされません。国民がしっかりと耳目を開いて、国内外の動きから目を離さないことが重要な時期ではないかと思います。
今こそ、日本人の知的レベルが問われているときではないかと思います。
愛国心なき暴言
先日の長崎県知事選挙、町田市市長選挙何れも民主党推薦候補が敗れました。しっかりと現状を見ていただいた県民・市民の判断に拍手を送りたいと思います。
その後小沢氏は殊勝なことを言っていますが、何処までが本心やら?彼はやっと手に入れた権力にとことんまで執着することでしょう。
今日(23日)は、先日雑誌で読んだ、アルピニスト・野口健氏の「世界に発信された愛国心なき暴言」の一部を紹介します。
“小沢氏の言動に対して疑問を感じたのは600人を引き連れて中国訪問しました。その時自分を人民解放軍の野戦司令官に例え、「解放の戦いはまだ済んでいない。7月に最終決戦がある」と発言したことです。
人民解放軍は国家の軍隊ではない。共産党の軍隊である。第二次天安門事件で民主化運動を武力弾圧したのが人民解放軍であった。新教ウイグルやチベット侵攻も武力を背景にした事実上の併合である。
参議院選挙で「民主党が勝利することで解放される」と言うが、そもそも「解放」とは何のことか。民主主義の日本は、共産党一党独裁の中国より「解放」されていないとでも言うのだろうか。
大訪中団の団長山岡賢次氏は、上海国際問題研究院との共同シンポジウムで「日中関係を強固にし(日米中の)正三角形が築けるように問題を解決して行くのが、現実的プロセスだと思っている」と。
この発言には「米国よりまずは中国」という民主党政権の外交姿勢がうかがえる。普天間問題などで日米関係がぎくしゃくしているのは、社民党の反対ではない。民主党そのものがアメリカとの摩擦を増幅しているのだ。
そんな小沢氏や側近の言動に、日本に対する愛情を一切感じないのは、私だけだろうか。”
弓削道鏡が皇位に着こうとしたとき、命懸けでこれを阻止したのが和気清麻呂でした。平成の和気清麻呂が民主党にはいないのか?
数におぼれる独裁者小沢一郎の言動と、そのマリオネットである鳩山由紀夫首相の刻が続けば、この先さらに日本を危うくするでしょう。私はとても心配しています!
よろこびⅡ
一昨日(20日)8:30からスポ少「長浜パンサーズ」の練習に参加しました。私は様々な事情でしばらく(3回)練習に出られなかったのですが、久しぶりに出会う元気な子どもたちを見て、元気をいただきました。
遅ればせながら、バレンタインデーのチョコレートもいただきました。いつものことながら、本当に子どもたちは元気をくれます。
練習の途中から、二組の親子連れが参加してくれました。それぞれ小学校は違いますが何れも3年生の女の子です。
二人とも長浜パンサーズに入会したいとのことで、申込用紙に早速記入していただきました。その後2月・3月の練習予定表とパンサーズの規約をお渡ししました。このように団員が増えることは何よりのよろこびです。
“明るく・楽しく・元気よく”をモットーとする長浜スポーツ少年団「長浜パンサーズ」は、市内の小学校から新年度の男女団員を募集しています。皆様の最寄りに参加希望の方があれば是非お勧めください。なお、「長浜パンサーズ」は年中団員募集をしています。
よろこび
今日(21日)は町内の御門徒さんのご結婚という慶事でした。朝一番(8:30)に新郎新婦が新郎のお母さんと本堂へお詣りに来られました。幸多かれと念じつつ、我がことのような喜びでした。
10:00にご自宅に集合をして、その後移動をして式場はLINEAでした。私は今回初めての会場でしたが、なかなか素晴らしい式及び披露宴会場で、とても盛り上がっていました。16:00頃に帰ってきました。今もまだお酒が残っています。
式に参列する前(9:00)に新栄町に行ってきました。加納新町と新栄町を結ぶ南郷里小学校への通学路を見るためです。児童の安全確保のため、道路の拡幅を両町から依頼を受けていましたが、先週から工事にかかっていただきました。路肩の法面部分を拡幅していただくことで約1㍍程広がります。有り難いことだと思います。
昨日は、夕刻18:00から京都河原町御池近くの料理旅館で近畿の中学校男子バレーボール指導者仲間の「懲りない面々の会」がありました。
これは20年近く続く会です。昭和50年代から互いにバレー界で切磋琢磨してきた近畿の仲間と語り合い、若い人を励ます素晴らしい会です。そこで話題になったことは、「今年長浜市は90㎝も雪が積もったのか?」でした。説明はしっかりとしておきました。
昨日の会は、京都の中学校校長をこの3月31日をもって退職されるT先生のお祝いも兼ねていました。彼はバレーボールの指導も素晴らしい方でしたが、生徒指導においても京都を代表する指導者でした。
今日夕刻、結婚披露宴から帰ってくると庭の隅に咲く可憐な水仙が目に入りました。もうすぐそこに春が来ていることを改めて実感しました。
昨日今日と、喜びがいくつも重なった思いです。
但し、2日間飲み過ぎたかなという思いもあります。明日から少し控えようかな?と思っています。
後援会
今日(19日)午後19:00より、この7月改選になります新長浜市市議会議員選挙に関わりまして、私の後援会の会合がありました。雪の降る中、近隣より多数お集まりいただき誠に恐縮の極みでした。
先の市議会選挙で選対本部長をしていただきましたS氏の司会の中で、会議は進行しました。私はまず3年5ヶ月の議員としてのささやかな仕事の説明をさせていただきました。
次いで、この度の合併を推進した者として、子や孫の代に、あの時合併して良かったと言っていただけるまちづくりをしたい。そのために幾つかの課題があり、そのことに取り組んで行きたい旨をお話ししました。
皆様の賛同をいただけるならば、その実践のために引き続き市議会に送り出していただきたい旨をお話ししました。その結果、全員の皆様方のご賛同を得て再度挑戦することのご理解をたまわることが出来ました。
心新たに取り組ませていただく覚悟をしたところです。
日教組
先の衆議院選挙において、北海道5区選出の民主党小林千代美氏が北海道教職員組合から、違法な選挙資金を受け取っていたと報道されていました。これは政治資金規正法違反と見て捜査をしています。
資金は北海道教職員組合の裏金から1600万円が資金提供されていたとありました。聞くと組合教師が未だに資金カンパ・特定候補応援の電話作戦・戸別訪問・ビラ配り等を行っているといいます。教育をどこかに置いて、選挙活動に力を入れていては子どもたちが育つわけがありません。
今回の五輪で服装の乱れが話題になったスノボー選手、国母選手の出身は北海道です。長野オリンピックで金メダルを取り、国旗掲揚・国歌吹奏の時帽子を取らなかったことを指摘された里谷選手も北海道です。
国母選手も里谷選手も義務教育の間、国旗掲揚は無く、国歌を歌うことなく、社会で何が大切なのか、国を代表するとは如何なることなのかと云うことをまったく教えられることなく成長したのだと思います。全てを「児童生徒の自主性の尊重」で片付ける組合教職員(全教もまったく同じ)。私は彼らは教育の犠牲者だと思っています。
教職員組合が資金提供し小中学校の教職員が電話作戦に動員されていた事件が他にもあります。それは第20回参議院選挙で当選した、山梨県教職員組合出身の輿石東民主党参議院議員会長で民主党副幹事長がそうです。この時、罰金・停職処分を受けた者は26名に上ります。この時も資金カンパによる巨額のお金(6,000万円)が動いています。
彼は09年1月14日日教組の会合で「教育の政治的中立はありえない」と教育基本法第14条の規定を無視して、日の丸・君が代に反対する「反日偏向教育」を推進する日教組への激励とも受け取れる発言をしています。
今年の集会では、教育が夏の参議院選挙の争点となるとし、「いよいよ日教組の出番だ」と発言し、選挙活動を煽っています。
こうした状況を鑑みて、はたして現政権が本来あるべき日本の歴史と文化さらに伝統を重んじた日本の教育が推進出来るのか、はなはだ疑問でなりません。
「政治とカネ」についても、「秘書の責任は議員の責任だ」と自民党を厳しく追求してきた民主党が、ここに来てまったく自浄能力はありません。その上、日本の教育までも破壊しようとする政党が日本国の舵取りをしているようでは、この先日本はどのようになってゆくのでしょう?
今解ることは、少しずつ社会主義国家に向きつつあり、やがて中国に飲み込まれるのではないかということです。どうか杞憂で終わればいいのですが?深手を負う前に、日本国民が目覚めるところに来ているのではないでしょうか?
知覧の後
知覧で深く感動した後、翌日(12日)ホテルを8:30に出発し鹿児島市へ向かいました。目的は西郷隆盛最期の地「城山」です。途中黎明館(島津氏の鶴丸城本丸跡)に寄りましたが時間の関係上玄関まで行き取り止めました。写真は西郷隆盛が最後の5日間を過ごしたと言われる洞穴です。
城山の戦いは西郷軍372名と政府軍(官軍)70,000人との戦いです。およそ20日間の戦いの後西郷は自決します。西郷を介錯した人もその場で切腹しました。写真は哀愁漂う城山から見た桜島です。
その後、「維新ふるさと館」に寄り西郷隆盛・大久保利通など幕末から維新までの歴史を改めて学びました。
この後、坂本龍馬とおりょう?も参詣した霧島神社に向かいました。この神社は天孫降臨の地でもあり、1400年の歴史ある由緒ある神社です。境内に入ってみますと荘厳な雰囲気が漂っていました。写真は霧島神社と龍馬も仰ぎ見たという霧島杉です。(娘の合格祈願のお守りを購入しました?)この後一路宮崎のホテルに向かいました。
翌13日は8;30にホテルを出て宮崎日南の西武のキャンプ場へ向かいました。途中素晴らしい巨人のキャンプ場がありましたが興味がありませんでした。それより菊池雄星君を見ることに興味がありました。
片道約2時間近くをかけて行ったのですが、結果は既に満車状態で入れませんでした。キャンプ場は巨人軍とは雲泥の差でした。平地にネットで囲った状況でした。これを見て西武に勝たせてあげたいと思いました。
仕方なく帰路に着き、途中鬼の洗濯石?を見て宮崎駅に13:00前に着きました。後は大分まで電車に乗り、19:30発のフェリーで神戸に14日8:00前に着きました。写真は日南海岸鬼の洗濯石の様子です。
下は14日7:00前明石海峡大橋を過ぎたところの写真です。
知覧のことは以上で終了します。
知覧Ⅱ
知覧特攻隊で忘れることが出来ない人は、特攻の母と言われた富屋食堂の鳥濱トメさんです。会場にはトメさん生前のビデオがあります。その中で当時の思い出を詳しく語っておられます。ここでも涙が止まりませんでした。
そこで語っておられるトメさんの話の一つです。
“宮川三郎少佐20才(昭和20年6月6日出撃戦死)は、出撃の前夜、私の所に挨拶に来られ、「明日私は沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、帰ってきたときには、宮川、帰ってきたかと喜んでください」というので、「どんなにして帰ってくるの?」と尋ねたら、「ホタルになって帰ってくる」と言うのです。そしたら、約束の時間にホタルがやってきたんです。冨屋食堂の裏に小川が流れていたんですが、そこに、一匹の大きなホタルがやってきて、白い花にとまったのです。本当に大きなホタルでした。思わず、みんなに、「このホタルは、宮川サブちゃんですよ」と言ったんです。そして、みんなでそのホタルを見ながら『同期のの桜』を歌いました。
特攻の方が征かれるときはにっこり笑って、嫌とも言わず、涙一つ落とされませんでした。さぞ肉親の方々にも逢いたかっただろうに、日本を勝たせるためには、早く征かなければと、ただそればかりを言っていました。”
以上「新編;知覧特別攻撃隊」の特攻隊の母より抜粋
この『同期の桜』は、学生時代よく仲間と歌ったものです。その歌の歌詞の意味の一つ一つががこれほど理解できたことはありませんでした。開聞岳経由で指宿の宿に向かう車の中で何度も大声で歌っていました。
知覧に行って改めて先人の死を無にしてはいけないと心に誓いました。そして、決して戦争をしてはならないことも改めて心に誓いました。
人の世は/別れるものと/知りながら/別れはなどて/かくも悲しき 上原良司22才 昭和20年5月11日出撃戦死(手帳に、出撃直前の走り書き)
是非とも多くの方に「知覧特攻平和会館」には行っていただきたい。そして先人の思いをしっかりと受け止めていただきたいと強く思いました。