第2室戸台風の日
昨日(21日)に引き続き今日は第2室戸台風の日のことを記します。この台風は昭和36年9月16日9:00頃室戸岬に上陸しました。
当時大学2年生で、家には祖父と母がおりました。朝のラジオで超大型台風が近畿地方に接近中との情報を得て大学から直接京都駅に行き、11:00頃の電車に乗りました。懐かしいあのオレンジ色とグリーンの電車です。
席に着いていたのですが、石山付近から電車はのろのろ運転で、ほとんど進みません。時々強風で電車は大きく揺れることが何度かありました。
そのうち大相撲秋場所が始まりました。私の前の人がラジオを持っていたのです。電車は近江八幡付近からほとんど動かなくなりました。そのうち大相撲は最後の取り組みが終わりました。
やがて能登川駅に着いたのが19:00過ぎでした。電車はそこで止まり何時発車するかわからないとのことでした。私は下車して駅の外に出ました。
幌を付けた軽トラックが駅前にあったので、どこまで行くのか聞いてみると彦根まで行くとのことでした。お願いをして彦根まで乗せて頂きました。乗ってみると箱に幾つかのパンがありその車はパン屋さんのでした。
彦根の何処か?でおろして頂きました。お礼は言ったのですがどこのパン屋さんであるかは聞くことを忘れていました。台風は通り過ぎたようですがあたり真っ暗でした。その真っ暗な道をどう歩いたかは覚えていませんがとにかく彦根駅まで歩きました。
彦根駅からタクシーに乗り我が家へ帰りました。勿論着払いです。帰ってみると境内の松の木の上の部分が折れていました。翌朝松の木の片づけを一日がかりでしました。
本当に人間は自然の前では無力です。ただその前では謙虚であるべきだととつくづく思います。
あと、小学校2年生の秋に襲来したジェーン台風も覚えていますが記すことは止めておきます。ただこれらは総べて近畿地方を襲った歴史に残る台風です。今後これ以上の台風が何時来るかもわかりません。充分な備えをしておきたいのですが?
伊勢湾台風の日
昨日(21日)新聞を見ていると「伊勢湾台風50年」の見出しが目に入りました。その伊勢湾台風は昭和34年9月26日夕刻から夜にやってきました。その日のことを少し記します。
その頃私は高校2年生でした。朝は姉川に架かった国友橋を渡って学校へ行きました。学校では大型台風が来るということで授業は午前中で終わりました。
学校で弁当を食べ、帰りは友達数人で大映(朝日町にあった映画館で今は駐車場になっています)へ映画を見に行きました。確か石原裕次郎の映画だったように記憶しています。
途中から映画館のあちこちで雨漏れが始まり、間もなく館内放送で上映は中止するからお帰りくださいとの案内がありました。入場料が返金されたかどうかは覚えていません。
私たちは雨風の中を帰りました。帰った道は市役所の東から小堀・田附町に抜ける道です。当時は両側はほとんど田んぼでしたので、強風のため何度も田んぼに自転車ごと吹き飛ばされました。
翌朝いつものように学校へ向かうと、昨日の朝まであった国友橋が中央がV字状に折れ曲がり、川幅一杯に濁流が激しく流れていました。驚いてしばらく見ていましたが、やがて大井橋から学校へ行ったことを覚えています。
当時は情報が今日ほど発達していませんから、台風の被害状況さらに被害者の数等爪痕がわかったのは数日後だったと思います。
伊勢湾台風と第2室戸台風は私の学生時代のことで、それぞれに思い出があり、鮮明に覚えています。
科学が発達しても手の施しようがないのが自然災害なのでしょうか。やはり人間は自然の前では謙虚であるべきだとつくづく思うことです。