雪の鴛鴦(おしどり)
今年の前半はオイルマネーによる石油関連の高騰、そしてサブプライムローンさらに9月には米大手証券リーマンブラザーズの破綻によるアメリカ発の金融危機で「百年に一度の大津波」となり、それが世界を覆ってしまいました。
3ヶ月後には米国に一蓮托生の日本企業は瞬く間に影響を受け、それまで企業を支えてきた弱者(非正規職員)の切捨て。これは如何なものかと誰しも考えることだと思います。
生きるために必要なことは「働くことと食べること」であるはずです。それを奪われた人はどうすればいいのでしょう?
県下でも極めて財政力の乏しい長浜市にも気になることがあります。市役所職員(市民病院は別)の42,3%(全国平均28%)の人が非正規職員です。この人たちを低賃金で雇用し正規職員には近隣市は本より県職員よりも高額な給与(ラスパイレス指数99,3%)が支給されています。このような実態を知って市民の皆様は納得されるのでしょうか?
一方で上記の問題も作用しているのだと思いますが、無差別殺人やひき逃げ等悪質な事件が多発しました。
長浜市はもとより政府も雇用対策について再考するべきところに来ていると思います。
2009年は互いに尽くしあい仕えあえる真に豊かな仕合わせな社会になることを期待するものです。勿論私も尽力してゆきたいと思っています。
今年1年皆様には本当にお世話になりましたこと、有難うございました。
“仲良きことは美しき哉”と言います。
床の間に岡文涛の「雪の鴛鴦」を掛けて今年の締めにしたいと思います。
新年を赤海鼠で
今日(30日)は8:00過ぎに家を出て鳥羽へ直行し10:30頃につきました。今日初めて草津経由で第2名神を走ったのですが、結論は八日市で降りて鈴鹿越えで伊勢自動車道が最も早いと感じました。
さて、昭和48年頃から毎年この30日には鳥羽まで赤ナマコを仕入れに行っています。そのナマコは伊勢湾に浮かぶ神島周辺で潜水夫が素手で獲ったもので傷がなく幾分日持ちもいいのです。
今朝神島から7㌔鳥羽の港に届けてもらったものです。私は人生の半分以上このナマコを食べてお正月を感じています。
食べ方は極めて原始的で縦半分に切ってコノワタを出し、後はナマコを約5ミリ間隔で切ってお皿に盛り付けネギをかけて後は小皿にとってそのまま何も付けずに食べるのです。
磯の香りとネギの香りが交じり合い、海の塩味がわずかにしてなんとも言えない春の感じがします。
鮮度がよければこれが最高の食べ方です。コノワタは砂を抜いて杯に取っておき少し塩をかけてしばらくしてから頂くと酒のつまみには最高です。
今日も例年のように鳥羽までナマコを取りに行くことが出来たのは健康であればこそであって、ただ感謝するばかりです。
体育館の大掃除
今日(28日)は8:30過ぎに長浜小学校体育館へ行きました。今年最後の「長浜パンサーズ」の練習と体育館の大掃除です。
9:00から練習が始まり10:30に終わりました。
10:40から保護者の皆さんと今日出席の40名ほどの子ども達そして5名のスタッフで感謝を込めて恒例の体育館の大掃除です。
学年ごとに分担をして、窓拭き・掃除機を使ってのギャラリーの掃除・器具庫等の掃除と整頓・男女の便所掃除、最後にジムキーパー?をモップにつけてフロアーとステージを丁寧に拭いて丁度12:00に終了しました。
綿ボコリもなく、小さなほこりも取れてフロアーは見違えるほど美しくなりました。
これで長小体育館も新年を気持ちよく迎えてくれることと思います。
1年間本当に有難うございました。2009年も宜しくお願いいたします。
都道府県対抗中学バレー
滋賀県の男子チームは25日三重県・26日富山県と予選リーグを戦いました。いずれの試合も本当によく戦ったのですが残念ながら僅差で負け、決勝トーナメントには出られませんでした。
決勝トーナメントの山梨と熊本のゲームはフルセットに入っても手に汗握る戦いとなり、写真のような得点で決着がつきました。
今日はベスト4が決まり明日準決勝・決勝が行なわれます。私はベスト8が決まったところで帰りました。
会場では懐かしい沢山の昔の仲間に出会うこともできました。また、将来楽しみな選手も何人か目に付きました。彼らの今後の成長に期待をしてゆきたいと思います。
帰りの電車で気付いたのですが近江八幡あたりから彦根近くまでがとても雪が多く、彦根以北は雪がほとんど無かったことです。
◎下の写真は熱戦の風景です。
新年の準備
早いもので今日は師走の25日です。我が家も新年を迎える準備を少しずつしています。
先週から家内と手分けして時間のある時に一部屋ずつ取り掛かってきましたので、部屋の大掃除も余すところ玄関の内外と台所の床だけになりました。
そこで今日は9:00頃吉原接骨院へ行き腰の治療後 10:00頃から内玄関の大掃除をしました。要領を得ないので時間がかかり11:30頃に終わりました。外はハタキだけかけて28日にすることにしました。
午後は14:00過ぎから窓拭きをして今日は終わりです。
18:00から6人の仲間と今年の反省と望年会?があります。
明日~27日は滋賀選抜の応援と将来性ある選手を見るために、今日から始まった「第22回全国都道府県対抗中学バレーボール大会」に大阪(中央体育館及び府立体育館)まで行きます。
第22回全国都道府県対抗中学バレーボール大会
昨日(23日)今日(24日)と2日間パナソニックアリーナへ行っていました。それは表記の大会(25日~28日)に参加する石川・福井・滋賀の3チームがパナソニックアリーナで(23日~25日)最後の強化練習に入るためです。
各選抜チームは大会前で気合が入っていました。練習ゲームもしましたが見ごたえのあるものでした。
3チームの中には将来楽しみな選手もいました。
私も第1回・第3回・第4回大会滋賀県選抜男子チームの監督をしました。結果は1回・3回大会はベスト4、第4回大会は予選敗退でした。
◎写真上はパナソニックアリーナを背景とした滋賀選抜の選手です。下の写真は3チームの練習風景です。奥に見える写真は松下電器の創業者松下幸之助さんです。
気になる記事
最近のニュースで気になっていたことは、中国で18日1978年にスタートした改革・開放路線30周年記念式典が北京の人民大会堂で行われたことです。
胡錦濤主席の演説で、世界第3位の貿易大国となり国民生活が大きく向上したことを挙げています。一方で、政府役人の腐敗と貧富の差の拡大等で人民が満足していないことも挙げています。
そこで共産党設立100周年(2021年)までに「より高い水準の小康社会」を実現することを掲げています。
振り返ってみますと、中華人民共和国建設以来1950年代の大躍進計画の失敗により飢餓で2000万人から5000万人の人が亡くなりました。その後文化大革命で3000万人から7000万人の人が弾圧され虐殺されました。これ等は毛沢東の時代です。
その後6.4天安門事件では民主化を求める50万とも100万とも言われる群集の内、(中国政府発表では319人ですが)数百人から数万人の学生や市民が銃や装甲車でひき殺されたと言われています。【これほど死亡者数が不明確なのはいかにも中国らしい】
人類史上同じ国民(同胞)であるにもかかわらっず、時の為政者(共産主義)がその権力の座を守るため2億人とも言われる犠牲を出した国を私は聞いたことがありません。こののような事実がどれほど中国の国民に伝えられているのでしょう。
知識人による新たな民主化のうねりが胎動をはじめたようですが、期待したいと思います。
授業時数拡大
1970年代から日教組が長年スローガンとしてきた「ゆとり教育」と「週五日制」は平成に入り徐々に打ち出され、平成10年からほぼ完全実施されました。その結果、現行指導要領では学習内容が以前より3割削減され授業時数は年間100時間以上削減されました。
(実態は教員にとってはゆとりどころではなく多忙極まりないものです)
そして平成16年のOECD(経済開発協力機構)の調査では日本の学力低下が明らかになりました。
その後、安部内閣で「教育再生」のもとゆとり教育の見直しが始まりました。その結果学習指導要領の見直しがなされ平成23年から24年にかけて新学習指導要領による全面実施がなされます。
早速長浜市教育委員会は次年度(21年)4月1日より授業時数を増やすべく8月25日から31日までの5日間を新たな課業日(週休日を除く)として授業を試行実施することになりました。学校給食は26日から実施になります。
この取り組みについては私は早くから言っていたことですが、期待をしたいと思います。ただし、授業時数が増えてもそれが児童生徒の学力や心の成長に繋がるかは教員の力量しだいであることは肝に銘ずべきことです。
中国 初の“是正”
今日(18日)の産経新聞には「南京大虐殺記念館 信憑性乏しい写真3枚撤去」とありました。
以前から私もこの問題には関心を持っていました。
日本軍による極めて疑わしい南京市民30万人殺害事件や多くの合成写真、事実無根と言われている「百人斬り」、または日本軍と関係のない写真等々早くから問題が指摘されていました。
中国政府もやっとその誤りに気付き「南京大虐殺記念館」の3点の展示を撤去したことは当然のことでしょう。
そもそも南京問題がクローズアップされたのは反米反体制派の当時朝日新聞記者本田勝一のバック資料が極めて曖昧だと言われている「中国の旅」によるものです。これは1970年代から朝日新聞編集部が方針転換した反米親中路線に沿ったものだと思われます。
それにしてもあの中国が3点とはいえ誤りを認め撤去したことについては、我々も考える必要があるように思います。
気になることは日本の修学旅行生がその記念館を訪問していることです。
曳山博物館
昨日(15日)11:00過ぎに天気もよかったので曳山博物館へ行ってきました。
文泉堂さんの方から歩いて行ったので恥ずかしながら入り口がわかりませんでした。やっと入り口を見つけて入りました。
私は入り口で10分ほど仏壇やガラスの展示物を見ていました。その間受付には二人の女性が居られましたが、来館者に挨拶をすることもなく雑談(暇のもてあまし状態)をしておられました。
私以外に来館者らしき人は一人も居ませんでした。11:30頃コーヒーでも飲もうと喫茶室を見ても誰も居ません。そこで入館料600円を払って中へ入りました。まるで私一人の貸切状態でした。
一通り見て思ったことは、展示内容に比して入館料600円はいかにも高いのではないかということと、ここの経営はどうなっているのだろうということを強く感じました。残念ながら私には経営努力の姿は見えてきませんでした。
事務室を探していたのですが私にはまったく分かりませんでした。外から見てもまったく分かりませんでした。
ここの経営は指定管理者制度で営まれているのですが、果してこの状態でいいのか大いに疑問を持ったひと時でした。
皆様のご意見をお聞かせ願いたいと思います。