坂の上のアイドル

テーマ:曳山・歌舞伎
最近のTV番組の楽しみ、は何と言ってもNHKの「坂の上の雲」であります。個人的には司馬遼太郎氏の最高傑作だと思いますし、キャストもこの上ないオールスターの様相を呈しております。

とは言うものの、ドラマは昨日第2話を終えたばかり、まだまだ主人公達かくあり、という紹介の段階です。なので、ドラマの本筋について語る状況にはまだ達してはおりません。昨日の放映の中で目に留まったのは、東大の予備門に通う秋山真之や正岡子規や夏目漱石らが、息抜きに「娘義太夫」を見に行く場面でした。

ブログでご紹介しております通り、私は三役塾で義太夫を稽古し、垂井の祭やゆう歌舞伎に出場させていただいたり、素義会という発表会なども行なっております。この義太夫なのですが、実は江戸時代の安政年間(1772)から女浄瑠璃、つまり女性による義太夫が流行し始めたという歴史を持っているのです。

「坂の上の雲」の時代設定は日露戦争(1904年)の前後ですから、女義太夫が始まって100年少し経った頃というわけですが、学生達が若い女性が語る義太夫を、それこそかぶりつきでわいのわいの言いながら鑑賞しているところが番組に出て参りました。

太功記十段目という長浜の曳山歌舞伎でも最もポピュラーな芝居の中の「操(光秀の妻)のくどき」という部分を女義(女性の太夫)が唄い上げておりました。彼女たちは、この時代のいわば「アイドル」だったわけで、若い男達はこぞってこの娘義太夫におしかけて声援を送っていたそうです。

娘義太夫全盛時代の主流がこの「女形」=「歌い型」と呼ばれるもので、女義たちは絶叫して最後は簪(かんざし)を落とすほどまでに燃え尽きることから「簪落し型」とも呼ばれ、それを見て「どうする、どうする、どうする!」と声を掛けた男達は「どうする連」と称されたようです。

一方これに対して「男型」という「語り本位型」の女義太夫も存在し、こちらは現在もその流れが継続されているというわけです。以前に読んだ「知らざれる芸能史 娘義太夫」(水野悠子/岩波新書)という本に書かれていたことを、まさか「坂の上の雲」の番組の中で見られるとは思っておりませんでした。ご興味ある方は是非ご一読下さいませ。

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