ENEOS優勝

テーマ:石油
プロ野球、高校野球、そしてメジャーリーグの陰に隠れて、近年すっかり存在感の薄い社会人野球ですが、昨日都市対抗野球の決勝戦が行なわれました。何でそんな話するの?ということでしょうが、私どもの元売会社である新日本石油が13年ぶりに9回目の優勝を果たしました。

王子製紙に4-1で勝ったわけですが、優勝9回というのは実は日本最多であります。新日石は横浜市代表なのですが、神奈川県は東芝、日産等強豪が多く、予選を勝ち抜くのも困難な激戦区です。今回は田沢という絶対的エースが居り、日本のプロ野球をすっ飛ばしてメジャーに行くと言って話題になっていることをご存知の方もいらっしゃるでしょう。(そう言えば新日石ENEOSは北京五輪野球チームのオフィシャルスポンサーでもありました)

さて私、実は1983年から9年間、新日石の前身(三菱石油との合併前)である日本石油に勤務しておりました。最初の勤務地が東京・新橋の本社ビルの中にある支店だったのですが、当時は首都圏の本・支店・製油所に配属になった大卒新入社員は、都市対抗野球の応援団として活動する事が義務付けられておりました。

入社してほどなくすると、仕事は午前中で終了し、その後川崎市にある野球部の練習グラウンドに赴き、連日夕刻までそこで応援団としての練習にいそしむわけです。ランニングに始まり、大声をはりあげ、腕の振りをいつ終わるともなく繰返しました。日石は伝統的に慶応大学の応援パターンに倣っており、まさに数ヶ月間大学の応援部に入部したも同然でした。

前述の通り、日石は強豪だったわけですが、私が応援団に所属した2年間は丁度運悪く、2年連続神奈川県予選で敗退するという屈辱を味わいました。しかしその翌年の1985年(昭和60年)に日石は見事都市対抗野球優勝を果たしました。当時社員は、よほど業務に支障がない限り、後楽園球場へ応援に行くように促されました。本当に悠長なというか、いい時代でした。
この中に私がいます

昨日はテレビにかじりついて、スピーカーを通してかすかに聞こえてくる応援歌やコンバットマーチが当時と変らないことを確認し、思わず口ずさんでしまいました。どなたかご希望がございましたら、「フレー、フレー」とか応援団まがいのことやらせていただきますよ、今でも。いや、もとい!五十肩になりそうなのでやめときます。

それにしても、せっかく優勝したんですから、全国でガソリン値引きセールとかやれよ、とか思うんですけど、そんな話は一向に聞こえて参りません。特約店、販売店に御祝儀?それもないだろうな...。

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