世界遺産と遺恨

テーマ:よもやま話
ここの所、岩手近辺で大きな地震がよく発生いたします。6月に引続き、昨日も震度6強の地震が襲いました。一方で少し前に、まさに同地『平泉』の世界遺産登録が見送られたという報道がなされましたね。平泉の方はさぞ「憮然」とされたことでありましょう。

ちなみに今朝の新聞に、この「憮然」という言葉は「失望してぼんやりしている様子」という意味なのに、7割以上の人が「腹を立てている様子」として誤用している、と書いてありました。私ももちろん誤用していたことに「憮然」としております。

それはともかく、『世界遺産と地域再生』という本を読んでおりましたら、先の見送り報道がなされる前の平泉が取材されておりました。その中で気になったのは、「平泉は鎌倉に都を構えた源頼朝に攻め滅ぼされ、その後衰退したが多くの遺産が残された。もし今年世界遺産登録が認められれば、因縁の鎌倉を打ち負かして一足早く世界的に評価されることになる」といったような記述を目にした事でした。

これを見てある話を思い出しました。福島に転勤となった私の友人が会津の名士と飲む機会があった際、その人物が「先の大戦では...」と話を始めたので、当然第2次世界大戦(太平洋戦争)のことだろうと聞いていたら、どうも様子が違う。それは薩長軍と戦った戊辰戦争のことであった、という話。

意外と戦の遺恨というものは時間を経過しても次世代へ伝承されるようで、彦根城が世界遺産の国内暫定リストに入っていることを同じ滋賀県人なのに心から喜ばしいと思えないのも、「先の大戦」である「関ヶ原合戦」以降の彼我の関係が影響している事は疑いありません。

翻って、中国や韓国は一体いつまで日本に謝らせるつもりなのだと腹立たしくなる事もしばしばありますが、上記のことを鑑みるにつけ、いくさ、特に「やられた者」にとってその遺恨をぬぐうことがいかに困難か、そしてそれは学校教育に限らずとも、家庭や地域で根強く伝承されていくものではないか、ということを痛感した次第であります。

アーカイブ

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2008/07      >>
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2

ブログランキング

総合ランキング
2位 / 1569人中 keep
ジャンルランキング
2位 / 816人中 keep
日記/一般

フリースペース

HTMLページへのリンク

プロフィール

このブログの読者

お気に入りブログ

参加コミュニティ一覧