とがなくて死んだのは

テーマ:曳山・歌舞伎
昨晩、曳山博物館伝承スタジオにて竹本塾(義太夫・三味線修業塾)の素浄瑠璃発表会がございまして、不肖私めもその末席を汚させていただきました。私の演題は「仮名手本忠臣蔵三段目 殿中の段」いわゆる「松の廊下」でございます。

歌舞伎でありますと、セリフは役者さんがおっしゃいますので、太夫は浄瑠璃の部分だけ語ればよいのですが、今回は素浄瑠璃ですので、セリフの部分も太夫が語らねばならず、役どころに応じて声色や調子を変えねばならず、これはこれで大変です。高師直(吉良上野介に擬する)のセリフの部分が一番多いわけですが、性格が真っ直ぐでないせいか、語っていて違和感がないというか、自分の本性を見るようでこわい部分もあります。

さて「仮名手本忠臣蔵」は史実の赤穂浪士の敵討ちをいわば「ドラマ化」したものでありますが、四十七士をいろは四十七文字になぞらえ、、『忠義の家臣として武士の手本となる大石内蔵助を主人公とする赤穂浪士四十七士の物語を、かな文字で書いたようにわかりやすいお芝居にしてご覧に入れます』という意味がこめられているようであります。

「江戸川柳で読む忠臣蔵」という本におもしろいことが書かれておりました。つまり「いろは」を次のように七文字づつ書き並べて
 
いろはにほへ ちりぬるをわ よたれそつね らむうゐのお やまけふこえ
あさきゆめみ ゑひもせ

それぞれの末尾の文字を並べ直すと「とかなくてしす」=「咎なくて死す」、すなわち罪もなく死んでいった赤穂浪士を意味するというもので、「とかなくて死するをもって仮名手本」などという川柳も作られたようでございます。

一方、実際名君の誉れ高かった吉良上野介を弁護する立場をとる人も近年多く、どうやら浅野内匠頭(芝居では塩谷判官)が今で言う「キレる」危険な人物であったという説もあり、丸谷才一氏などは「刃傷事件がわけのわからない逆上だったからこそ、かえって逆に人々に畏怖の念を強めた」と述べています。

実際義太夫を語ってみて、上野介(師直)の人間味を実感した私。「とがなくて死んだ」のは彼だったと思うのです。

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