目医者に行ってきました
目医者に行ってきました。季節の変わり目にはよくあるのですが目が痒く、充血するときがあります。アレルギー性の結膜炎と前回は診断されたのですが、今回も同じようなもので皮膚が弱い人にそう言うものがあるみたいです。いかんせん私は仕事柄、朝が早く夜は遅いので日にあたる事が殆どありません。なお且つ、曳山祭りの先生方から昔、女形ができると言われたほどの色白ですから
それにしてもビックリしました。最近、見にくいというか重なったりぼやけて見えるようなときがあります。どうもブログを始めてからかな本日チェックしてもらってよかったです。このままだと、免許に通らなくなる恐れがありますので、目を大切にするようにして行きたいです。
思い出しましたが、我が母校では午前の授業終了後、校内放送で流しながらリラックス体操と言う、視力回復のために目の周りなどをほぐしていたことを思い出しました。今でもやっているのでしょうか?
今年はなぜか、医者へかかることが多く、医療費が馬鹿になりません。会社でも修繕費がかかっております。ある意味、生きてきて調度ガタが来たり、機械でも取り替えたり、大掛かりな修理が必要になってきているのかもしれません。それというのも若いころから手入れを怠ってきたツケでしょう。(反省)
昨日、時事放談で見た塩川正十郎さん(塩爺)はもう80歳を超えていますが、大変お元気で、話し方もはっきりしていますし、固い煎餅が大好きと紹介のフリップにでてきます。やはり若い時から緊張感を持って、やってこられたんでしょうね。よく昔の軍人の偉い人は、歳とられてもシャキッとしています。そういうところは見習って行きたいものですね。
ちょっと待って
自衛隊の田母神氏(珍しい名前ですね)の論文により、氏が更迭されたことに対して反論を唱えている人が何人かおられます。本日朝の時事放談で塩川氏と武村氏は田母神氏の論文に対し怒っていました。塩川氏は満州事変のニュースを少年時代に体験して感じたことをあげ、二人とも「あの体験を反省して日本の今日の繁栄を作り上げた。犠牲になった方たちに申し訳ない。」と言っていました。
昼休みにちょうど「たかじんのここまで言って委員会」でもそれを言う人達がいました。「自虐的な歴史観はだめだけれども、かといって正当化するのはおかしい。」というものでした。
私も、田母神氏の論文を読んでみました。確かに懸賞で300万円もらったそうですが、わかりやすく一気に読んでしまいまして、なるほどと思わせるものでした。
しかし、「相手の国の了承を得た。」とか「日本はまだ軍紀がしっかりしていたほうだ。」というのは誤解を受けても仕方ないと考えます。
確かに歴史では日本の侵略という風にとることがあります。日華事変の元になった盧溝橋事件は蒋介石の策略などありましたが、確かにそれの方が正しいかと思います。また、戦争の犠牲無くしてアジアの独立はなかったと言いますが、確かにこの戦争からアジアの独立が始まったと言えます。
私は、それらを認めても日本の戦争責任は免れないと思います。ただ「勝てば官軍」で東京裁判(今、日経新聞で連載されています。)では東條英機などの日本の指導者が処罰されたということで、インドのパール判事(「日本無罪論」)など正しい裁判をしたのはごく一部でありました。
私は、中学時代、花岡先生が言われた「第2次世界大戦は植民地の奪い合い」というのが正しいと思います。第1次大戦は帝国主義の世界で英仏に植民地の収奪に遅れたドイツが世界の再分割のために起こったものですし、第2次大戦はヨーロッパではドイツ、アジアでは日本が世界恐慌から疲弊した国を打開するためにそれまで、先に利権を得ていた米・英・仏・蘭との対立が元であると考えます。だから日本だけが悪くは無いのであります。
あまり、長くなるといけませんが、明治時代に日清・日露両方の戦争がありました。これらは当事国の国土は何の被害もありません。日清戦争は朝鮮が舞台で日本、中国(清)とも戦場にはなってはいません。日露も朝鮮と満州が舞台でつまり当事国同士の取り合いになったところが荒らされたのです。
確かに、日本が侵略で無茶苦茶したと自虐的になることはありません。しかし、戦争で他の国に迷惑をかけたことは忘れてはなりません。我々は、この貴重な体験を伝えていく、そして、自虐的ではなく「平和国家日本」として毅然とした態度で世界平和に貢献していくべきでありましょう。
パール判事の国、インドが「非暴力、不服従」で貫いたマハトマ(偉大なる魂)ガンジーのように。とにかく「国を護る」と言う美名の元で軍を正当化するのはいけないと思います。
身も心も寒い?
今週は2人のテツヤさんでした。私、間違えていました。正しくは筑紫哲也さん、小室哲哉容疑者ですね。私はテツヤのヤの字を昨日まで逆にしてました。訂正してお詫びいたします。
さて、今日は大変寒くなりました。なんでも、今日が真冬なら大雪になるほどの寒波がやってきているとか。いよいよ冬が近づいてきました。
そんなときに、寒くなるような事件の犯人が捕まりました。 大阪駅近くから3キロも引きずられたひき逃げ事件。犯人は捕まりましたがなんともならんやつでしたね。
また2年ほど前ですか、福岡の酔っ払って追突して被害者の車が海にはまり、幼い子供が亡くなった事件。あの福岡県職員、世紀の不当判決で助かりました。そのときのやつ(もう彼と言うのもばかばかしい)の態度、本当に腹が立ちました。公務員でもこんなやつがいるのかと思うと寒くなります。
寒いと言えば、国の無駄使い1253億円、これははっきり言ってうわべの金額、本当に民間なら考えられない無駄なことはまだまだあると思います。おそらく兆単位になるのではないですかね。これを無くし、年金や医療保険の充実などに回したほうがよほどいいと思うのですが。
今の日本は世界に占める地位が落ちて来ているとの事。私は経済的に金儲けで落ちるのは別にいいと思います。ヨーロッパの国、昔は栄華を誇っても今は相対的に落ちている国があります。しかし、その国らは、今滅びようとしているでしょうか?逆に文化や国のなんと言うか品度は落ちていません。むしろ、落ち着いた素晴らしい国であります(当然おかしな面もあります)。日本は、そういう国ですし、これからも、そうあり続けられると思います。
私たちの住むまちも、今流行の巨大な新しいショッピングセンターは、どんどん便利になっていますし、買い物のし易さなどは、はっきり言って商店街よりいいです。それでも、2~3年経ったら他の新しいショッピングセンターにお客さんを奪われていきます。華やかな面がでている新しい商業施設。落ち着いた文化性の高いまち。どちらをとっていくかは私たちが考えねばなりません。
寒い季節でも心の温かい商店街。身は寒くても心の温かい商売をして行きたいものです。
多事争論
ブログを書こうと思っていたら、携帯のメルマガのお知らせがなり、筑紫哲哉さんの死のニュースの号外が流れました。ニュース23が始まってからメインキャスターとして当時、テレビ朝日で人気があった久米宏さんのニュースステーションに対抗して頑張ってこられました。
ニュースを愉しく見るならニュースステーション、少し辛口ならニュース23、マスコミの営利目的がなく公正に見るならNHKという感じでした。私はどれも面白いのですがニュースステーションは特に最初の方の故小林解説員のコメントで、久米宏が面白おかしくいったものを上手にオブラートに包んで正しく伝えようとされていたのが印象的です。
さて、筑紫さんといえば番組の途中で彼が世の中の色々な出来事を噛み砕いてわかりやすく、彼のジャーナリストとしての持論を展開していた「多事争論」と言うコーナーが私は好きでした(今、変換したら総論になっていました。思い出して直しています)。ニュースは公平性が重視されるためアナウンサーなどが持論を展開するのはあまり許されていません。しかし情報の最前線にいるメディアの人間として、市民にどう伝えるかということは、とても重要なことで報道に携わる者の誇りと情熱がこのコーナーを作り出したのだと思います。
今はブログで国民全てがコラムニストといいますか新聞のコラムを書くような真似事ができるようになりました。こうやって、色々な情報を自分なりに意見を展開するのはいい事だと思います。しかし、同時に他人を傷をつけていないか迷惑をかけていないか、それをしっかり認識するのも重要になって来ました。筑紫さんのようなすごい者ではないですが、これからも自分のやっていること考えている事などを整理するのに最適のブログを書いて行きたいと思います。
最後に筑紫さんのご冥福をお祈りいたします。
素晴らしい大統領の演説
アメリカ大統領選挙、オバマ氏が予想以上の大差で勝利しました。実は選挙の2日前の夜にNHKのBSでアメリカ大統領の演説の極意について特集が組まれていました。オバマ氏もマケイン氏も素晴らしい演説能力の持ち主で、二人の違いも説明されていました。オバマ氏は2000人などの大聴衆を前に話すのが得意、マケイン氏は小さな対話集会で話すのが得意だそうです。
当選後のオバマ氏の素晴らしい演説が紹介されました。歴史に残る名スピーチでありましょう。今日の朝のニュース番組の新聞の紹介のコーナーでスピーチのあることばをトップに引用している新聞が紹介されていました。そのことばとは
「米国の真の強さは軍事力や富ではなく、民主主義と自由、機会、希望という理想が持つ不朽の力だ。」ということばです。そのあとには「米国は変わる事が出来る」と続きます。確かに名言だと思います。
演説のうまかった政治家としてドイツのヒトラーが上げられます。彼は本当に乗せるのがうまかったみたいです。日本では田中角栄氏でしょうか。わかりやすく、市民をひきつける話術がありました。また、物まねでもよくされたあのダミ声、普通は欠点なんですが長所にしていましたよね。
私が思うに、英語と日本語で英語はスピーチ向きのことばではないかと、逆に日本語は不向きかなと感じます。よく、日本語は最後まで聞かないと肯定か否定かがわかりません。それに敬語や回りくどい表現が使われます。英語はよく私たちがカタカナことばとして使うものでも、日本語に直せばちょっとニュアンス(カタカナことばですね)が変わるから使わざるを得ないときがあるように、結構、便利なことばであります。だから、演説の表現やリズムも、わかりやすく、共鳴しやすいのかもしれません。私は英語はわかりませんがオバマ氏の演説は聴いていて心地よいですね。
ともかく、衰えたとはいえ世界のリーダーのアメリカ、そのトップがどう動くかで世界は変わります。私たちもしっかり見て行きましょう。そして、変わり続けたいです「YES WE CAN!」