高校野球組み合わせ決定
順ちゃんさんも書いておられますが、夏の高校野球の滋賀県大会の組み合わせが本日決定いたしました。
順ちゃんさんの娘さんの伊香高校はバタコの母校でもありますが、少しつらい組み合わせですね。大津は春の大会で2勝していますし2回戦は米原。これも2勝しています。おそらく3回戦は滋賀学園。そして次は彦根東かな。大変なブロックです。
わが母校虎姫は1回戦は愛知。その次は、おそらく守山北。それに勝てたら次はおそらく水口。最近わが母校は勝っていないので、これくらいは行って欲しいですな。
実は今日、親父の墓へ色々と報告に行ってまいりました。そのあと、山東の方へ行ったのですが途中でバタコの妹からメールが入りました。バタコの甥が4番を務めるI高校が初戦でH山(隠してもわかりますかな・笑)シード校と対戦となったことでした。実は車の中で、「滋賀大会はいつから始まるんかな?組み合わせ抽選会はいつなんやろ?滋賀県高野連に電話してきこかな。」と話していた時でした。
早速携帯で見ますと、組合せ表が載っていました。まあ「日程も相手もシード校の中ではいい方だ。籤運良しとしようか。」と思いました。
今年の滋賀県は秋の大会や春の大会を見ても「絶対にここ。」という学校がなく、秋・春とも近畿大会では出た学校がいずれも1回戦負け。よく言えば混戦。悪く言えばどんぐりの背比べです。
私が高校3年の時は滋賀県が初めて夏の甲子園で勝利した時でした。湖北のレベルもそこそこで甲子園が狙える状態でした。それが今では近江などに選手が集まり、湖北勢はいつもベスト16にも残りませんな。湖東勢がいつも、ベスト8や代表校の大半を占めています。
I高校も秋の大会はベスト8で近畿大会に行った滋賀学園に惜敗(まあ、3塁も踏めなかったんですが)、春は1回戦で八幡商業に9回裏5-0からあわや逆転サヨナラまで行きました。そこそこ強いと思うのですが・・・。
おじバカの私。バタコにバタコの甥に「8月8日の午前(甲子園開会式)の予定を空けとくとメールしといて。」なんて言っています。
八幡さんのあじさい
私の家の近くは八幡神社があります。幼い頃と言いますか、中学生までは本当に遊び場でした。絵馬堂は取り壊されていますが、当時は八幡宮で奉納柔道大会が1回あり、参加者の名前が書いたものが飾ってあったのを覚えています(私は当時は柔道をしておりません)。
小学生の頃、キャッチボールをしていて、掃除をしていたおじさんに叱られました。私たちはカッパのおっさんと呼んでいました。池から西の方には遊戯具が今でもいくつか置いています。
さて、その八幡宮。私が仕事を始めたころ、25~26年前でしょうか、八幡宮をあじさいの美しい境内にしようと活動を始められたことを覚えています。それで自治会でも積極的に取り組んでおられ、特に高齢者の集まり、やわたクラブの方たちが毎年、廻りの除草などをして作り上げてきました。
先日、知り合いが入居している老人福祉施設を訪ねたら、八幡宮へ連れて行くということが書かれていましたので、その日に合わせて、私も訪れた次第です。
他の福祉施設も連れて来ておられました。
しばらく、ジ~っとあじさいを見ておられるだけでしたが、少しでも気分転換になればいいですね。
私が子供の頃のように元気に駆け回る子供は、ほとんどいなくなりました。八幡宮の風景も時とともに変化していきます。
八重の桜で涙
昨年の平清盛、大河ドラマ歴代最低の視聴率で終わりました。今年もそんなに知られている人物ではありませんが視聴率がとりやすい戦国物に続く維新物のためかそこそこの視聴率だそうです。
やはり平安末期の暗い時代を表した映像の清盛より、明るくかわいらしい綾瀬はるかさんが主人公であるところもいいのですかね。
私もそんなに見ていませんでしたが、王政復古から大政奉還、そして戊辰戦争に入っていく頃から見ています。本当に江戸時代は平和な時代で、戦争は3代将軍家光の時代の島原の乱以降、まあ強いて挙げれば大塩平八郎の乱ぐらいしか戦闘が250年近くなかった時代に、近代日本を目指しての内乱があったわけですね。当時の人たちがよく武器を持って戦えた(殺し合いをした)と思います。
今は江戸城が無血開城した後の会津戦争の場面です。先週は二本松城で少年たちが戦ったと言われる場面でした。年齢が13歳から15歳。当時は数え年ですから満年齢で11歳から13か14歳くらいの子供たちでしょうね。先週は丁度甥の誕生日の頃で彼が14歳になったころでした。甥くらいの子供が戦ったのかと思うと、涙がボロボロ落ちてきました。何でもこの戦いで生き残った人の証言では「戦いの前日は、まるで修学旅行に行く前のようであった。」と聞いてまた涙でした。
来週は有名な白虎隊が飯盛山で自決するところみたいですね。会津戦争というのは酷い戦いで会津の街は焼け野原になり死者などは、そのまま放ったらかしにされたようです。それで会津(福島)の人たちに恨みは残り、今でも戦後という言葉は福島の人にとっては太平洋戦争後ではなく会津戦争後だそうです。後の最後の内乱西南戦争では会津出身の兵が政府軍の中で一番働いたと言われています。
沖縄と福島がよく国に見捨てられたと言いますが、震災の復興に向けて本当に八重の桜のドラマのオープニングで子供たちによる傘が次々に開いていくように絆と輪を広げていきたいですね。
それにしても本当に涙もろくなった。歳とったんだな(笑)。
伯父バカ?
私に子供はないのですが、妹たちの子供が3人、甥がいます。いつの間にか大きくなり、中学生が2人になりました。
そのうちの一人がこの4月より中学生となったのですが、少年野球のリトルシニアに入りました。私たちの頃はリトルリーグ、小学生が軟球ではなく硬球で野球をやるというのは驚きでしたが、都会のことだと思っていました。今はそれが全国にあるんですね。ただ少子化でチーム運営が難しいところも多いようです。
中学生で硬球の野球を行うのがリトルシニアだそうです。これに入ると普通の中体連での試合には出られないようですね。けっこう真剣に野球をやるんですね。私たちの頃の野球は遊びでしたから。
さて、甥が入っているリトルシニアのチーム。HPはもちろん、ブログ、フェイスブックなどがアップされています。あまり更新はされないのですが、時々、大会や練習試合の結果が出ております。
先日見ておりましたら16日日曜日に行った練習試合。なんと1日3試合。見ていると4試合行った日もありました。この日は第1試合を勝利。第2試合と第3試合が同じ相手でいずれも勝利でした。変則トリプルヘッダーでしたね。その中で第3試合の記録でバッテリーの記録で3番手の投手として甥の苗字が。
HPでなぜか1年生は載っていないのですが、2・3年のメンバーに同じ苗字はありませんのでひょっとしたらと思い、妹にメール。甥は最後の1回を投げ、無事無得点に抑えたようです。初セーブポイントですな。
まだ1年生なのによく投げさせてもらえたなと思っています。これから何回か投げることもあるかと思いますが、成長して甲子園に行ってくれんかなあ(笑)。
ほんまに伯父バカですな(笑)。
世界は強い
本日の早朝(と言っても、ブラジル戦よりはゆっくりでしたが)、サッカーの世界一決定戦の一つ、コンフェデレーションズカップの予選リーグのイタリア対日本が行われました。
先日のブラジル戦は0-3の完敗。今日も激戦でしたが3-4で敗れて残念ながら1試合を残して予選リーグ敗退が決まりました。コンフェデ杯は翌年のワールドカップのリハーサル大会と位置付けられていますが、FIFA主催の世界一を決める大会ですからフレンドリーマッチ(親善試合)などとは違って本気モードで試合をします。今大会でブラジル、イタリアの強豪とロンドン五輪優勝のメキシコと本気で試合できるのですから今までにない機会ですね。惜しむらくは今日もし勝てれば決勝トーナメントでさらに強い国と試合経験ができたのにと思うと残念です。
本日香川が「勝たなければ何も得られない。」と言っていましたし、選手たちが健闘で喜んでいるのではなく悔しがっている姿を見て、日本のサッカーも強くなっていると思いました。
そしてイタリアを本気にさせたことは嬉しいことです。今まで日本に親善試合に来る場合は相手は観光気分です。だから、なるべく強い国へアウエイで戦うべきでしょうね。自国なら相手も負けるわけにいかないので先制されたら本気出しますから。
今大会、ブラジル戦、イタリア戦。こちらが点を取りたいところで、最後に軽く決められる所を見ていると、大きな差を感じます。
これからの1年間、金はかかりますが、キリンチャレンジカップなども国内ではなく相手国へ行って挑戦して世界との差を縮めて欲しいですね。