餅飯殿センター視察
本日は一応私の仕事は休み。それでも商店街の理事長、Kかぜ、K寿司の商店街の役員4人で奈良まで視察に行ってまいりました。
商店街で新しい事業を考えているのですが、そのヒントをあるコンサルタントの先生に頂きまして先生が関わられた近鉄奈良駅近くの餅飯殿(もちいどの)センター街にあるチャレンジショップの集合体「もちいどの夢CUBE」を見に行くことになりました。
このチャレンジショップは3年限定。2年前に第1期生10件が卒業され、1件はこの商店街内であとの店は近くで新たに商売を営んでおられるそうです。それで今は第2期生の店で8件が存在します。
「もちいど」の名前の由来は奈良時代に東大寺の高僧と共に、この土地の若者が餅と飯を携えて見事に大峰山の大蛇退治に成功したという伝説に由来しています。
近くには五重塔で有名な興福寺や猿沢の池があります。奈良町と言われるところで早餅付きで有名な中谷堂などもあります。ゆえに、以前はすごく栄えた商店街だったのが衰えて、色々と試行錯誤されて考えられたのがもちいどの夢CUBEです。
夢CUBE内にある事務局で理事長と事務長から、非常に面白い素晴らしいお話しを聞かせていただきました。また女性事務員の方がおられたのですが、お母様のお父様が長浜のご出身だと聞いてビックリ。何と世間は狭いのかと思いました(笑)。
そのあと昼食を夢CUBE内でお勧めのカレー店で食べました。女性がしておられるのですが、実におしゃれで美味しいカレーでした。
そのあとは五重塔の興福寺にお参りし、京都の商店街を見て帰りました。
商店街で親睦を兼ねて毎年研修旅行には行っておりますが。今回のように理事だけで視察に行くのは私も仕事を始めてから初めてです。
何か勇気をもらえるような、非常にいい視察でありました。
昨夜の金八先生
昨夜は本当は見たいテレビがありましたが、用事が二つあって、全部を見る事は出来ませんでした。(録画するものが無いのです・笑)
見たかったテレビはトームスさんも書いておられますが、「3年B組、金八先生さようなら(だったかな?」。金八先生シリーズ。第1回は私が高校生だったと思います。そのときの武田鉄也さんは29歳。若かったですね。最初の美人(マドンナ)先生は名取裕子さん演ずる沢田先生だったと思います。
そのあと、岸田智史が演じる先生が「1年B組新八先生」(新田八郎太)、さとう宗幸扮する「2年B組仙八先生」(伊達仙八郎)がありましたがそれぞれ1回で終わりました。やはり3年生、15の春というものは共感を呼ぶのかもしれませんが、何と言っても、坂本金八先生の魅力でしょうね。
私は1回目は見ていないのですが、2回目は少し見ていました。歌も1回目の「贈る言葉」、卒業式に使われる素晴らしい歌ですが、2回目の「人として」も大好きな歌です。
昨夜は、坂本先生の教え子がたくさん出てきたのですが、その頃の生徒は、当然ですが本当に歳をとりました。坂本先生は昔のビデオが出てこないと、わかりませんが、当時の生徒役は全然わかりません。当時のビデオが流れて「あ~、あの子か、面影はあるな。」と言う感じでした。
2回目は自ら命を絶った沖田浩之や加藤優役の直江喜一、伊藤つかさが出ていましたね。当時、中学は校内暴力がはびこっていました。私がいた大学の近くのK中学も本当にあれていました。
そのとき、加藤優らが前にいた学校に立てこもり、警察に逮捕されたときに金八先生と生徒側に立つ先生に対し不良生徒を排除しようとする先生、それに加えて保護司、PTAが話し合う場面がありました。
そのときの金八先生のセリフに私、本当に西田局長状態になりましたね。今でもあの場面を見るとそうなります。当時は妹たちに笑われました(笑)。
金八先生が「だから腐ったみかんは追い出せと言うことですか?(中略)私たちはみかんやリンゴを作っているんではないんです。人間を作っているんです。・・・生徒達を信じてやらなかったら生徒たちはどうすればいいんですか?教えてください。」と叫ぶ姿は心に残っています。
最後、逮捕された生徒らが釈放された時、警察官は「釈放前に君たちに言っておきたいことがある。今回釈放するのは、ここにいる先生や大人たちが君たちの将来を本当に一生懸命、真剣に考えてくれていたからだ。もし、今度それを踏みにじり、同じことを繰り返したら警察は今度は本当に黙っていないという事を覚えておきなさい。」と言った後に金八先生が生徒らに歩みより一人一人にビンタを食らわせます。そのあと抱き寄せて「お前たちは俺の生徒だ。忘れるな。」と語ります。いい場面ですね、何度見ても。
挿入歌の「人として」の最後のところ「人として一人(人に?)迷い、人として一人(人に?)傷つき、人として人と分かれて、それでも人しか愛せない。」は学生時代より今の方が何か深く感じます。
サマータイム
曳山祭りもどうなるのか?ねむりはかせさんがおっしゃるように「自粛ではなく萎縮」では困るし、幸いにも被害が少なく、東日本の経済活動が沈んでいる現在、西日本の我々が日本を守るために、しっかり活動することが私達が、なすべきことなのかもしれません。
今回の大地震。2週間経った今でも、次から次へと影響が出てきています。JR西日本でも部品が手に入らないので整備ができず、電車の間引き運転となっています。
関東では私は想像もつきませんが、相当大変な状態のようですね。
一番困り、経済の再建を困難にしているのは電力問題。実際にこの夏は大幅な電力不足が懸念され、政府は今様々な対策を考えているようです。
その不足分のカバーの対策として上げられるのは「サマータイム」です。
これは夏場の日が長い期間に時計を1時間早く進めて、長い日照時間を利用してエネルギーの節約に取り組むことです。欧米では取り組んでいて、韓国もサマータイム制をとっています。韓国は日本と時差がありませんが西にあるため冬に行くと17時でも明るいのです。逆に朝7時では真っ暗です。
韓国がサマータイムをとると、日本とほぼ感覚が同じになりますね。もしサマータイムをとらないと日が暮れるのが夜9時近くになるかもしれません。だから行なうのかもしれませんね。
私はアメリカに2回行ったことがあるのですが、現地でサマータイムに入るときとサマータイムから通常タイムに戻すときと2回経験しました。旅行中だったこともありますが、時差が1時間ということですから、すぐに慣れました。
日本では戦後3年だけGHQから命令されてしたことがあるそうです。
実際に、どれだけ節約できるのかというと、そんなに多くは望めないようです。逆に居酒屋やスーパーが営業を長くしたら、逆効果?になりかねませんということです。
私も以前、スーパー内に店を持っていたとき、もしサマータイムになれば、20時までの営業は全て21時までになるだろうなと思いました。だから反対でした(笑)。
ただ、日本が今、3分の1の経済がやられてしまい、いろんなものを賄うことが難しい今、国全体でリストラを行なう必要があり、日本の再構築のためにも今、何か考えられる手を打つことに乗り出す必要があるのだと思います。これが犠牲になった人達のためにも絶対にやらなければならないことだと思います。
それにしても、もしサマータイムになるとパン作りは涼しい時間が1時間多くなるので作りやすいかもしれません(笑)。
変な身なりで高校不合格
今日の夕刊に長浜市の人事異動が載っていました。私の同級生や先輩が数名課長クラスに昇進していました。年齢を感じさせられるこのごろです。
さて、今パソコンを開けた所、東京の都立蒲田高校で2007年と2008年に高校入試で校長が服装や髪型がおかしな者(所謂ヤンキーでしょうね)を不合格にするために入試の成績を改ざんしていたことがわかり、校長が懲戒免職になったというニュースが出ていました。
生徒達の成績は合格ラインに達していたのですが、それを改ざんして不合格にしたということです。入試では「服装なども合否に考慮する。」とは当然書いていませんので「入試の信頼性を失った。」ということで、そういう処分になったということです。
YAHOOのコメントがたくさん載っているのですが、校長を支持するコメントが多いですね。その中で「入社試験でヤンキーなかっこうしていたら落とされても文句いえんだろう。それくらいわからんのかな?」というのがありました。
「いくらなんでも懲戒免職は行きすぎ。」というものもありました。
私も校長の気持ちはわかります。「あなたは服装がふさわしく無いので不合格。」と言うべきなのでしょうが、それは通りませんからね。
格好で決めるのはよくないとは、一休さんでしたか、ボロボロの袈裟を着て行ったら追い払われ、立派な袈裟を着て行ったら大切にされご馳走が振舞われたので、ご馳走を袈裟に「お食べ。」と言ってこすりつけたのは有名な話しです。それでもボロボロの袈裟で行ったのは問題だと思いますけどね。
難しい問題ですが、校長にこういう生徒を受け入れて「これらの生徒と一緒に変化して見せる。」という気概を校長以下、先生方にもって欲しかったかなとも思います。
見始めると、やまらん
地震があって自粛ムードの中、祭りもどうなるか?今日の新聞によると4月1日の会合で決定するとの事。今年の総当番委員長は、いつも的確で未来につながる判断をされる方ですので安心しております。
さて地震で同窓会なんてという感じかもしれませんが、まだ先のことですので準備にかかっております。先日、高校の同窓会名簿。私、何を判断ミスしたのか(ここらへんが今年のH総当番委員長との違い)、名簿がありません。それで、先輩に借りてまいりました。
見るとまあ、やまらんもんですね。最初に同級生だけを見たのですが、一瞬ビックリ、「えっ、こんなに死んだんか?」と、よく見たら不明者が多いこと。実は住所不明者と物故者が隣り合わせに書いているのでした。以前は、不明者が書いていなかったのですけどね。ちなみに私の妹二人も住所不明になっていました(笑・ごとでないか)。
他の学年を見て行きますと1つ上の油甚さんや、くんさんが出てきます。また先輩方でよく出来た人達が、長浜で全国的にも有名な中小企業に勤めておられるのを見て、さすがにいい人材を、その会社はそろえておられるんだなと思いました。
後輩を見ても、何人か知っている人達が出てきまして、中には恥ずかしい思い出の人達もいました(笑)。今、幸せになっておられるのかな?案外近くに来てやあるんや、なんて思ったりして(笑)。
昨年北高は100周年でしたが虎高は90周年でした。第1回(そのときは虎中ですが)卒業の方で健在の方がおられるのかなと思ったら、おられました一人。嬉しいですね。
そのあとの回では確か何年か前に亡くなられたはずという方がおられました。何人かは名簿上は生きている方がおられるんでしょうね。
父は当然、物故者で載っておりました。少し上の学年を見ると、コブログの女王サマのお義父さんが載っていました。私が数学を習った先生(物故者・親父と同じ年に亡くなられました)などと同級生だったのですね。
見始めるとほんまにやまらんな~。