トラ年の集まり
昨日は私が以前所属していた長浜青年会議所の37年生まれの会が行われました。私が卒業したのは2002年、ワールドカップ日韓大会(正式には韓日大会)の年でした。韓国といえば虎。それにこの年は阪神は星野監督元年でBクラスであったものの、何か翌年に期待を持たせ実際に翌年優勝しましたが、何か虎の足音を感じさせる1年でした。まさしく寅年にふさわしい?卒業年でありました。
さて、青年会議所ではいくら優秀な人物であっても40歳の年をもって卒業です。それで卒業したら他の会を見ても同年や同期ということですぐに会を作りたがるのですが、そんなに集まるということはしません。しかし私どもの会はU君が積極的にがんばってくれているので毎年、1月に総会をして、卒業以来8年間で国内海外含めて4回も旅行に行っております。1年にこうして集まれることは経済人としての1年間の行動を振り返る意味でも同い年としての気楽さもあり楽しい会であります。
また私はたまたま同い年では一番早く生まれております(1月生まれ)ので会長であります(笑)。少しえらそうにしております(笑)。夕べも遅くまで楽しくいろいろと語り合いました。
昨年、当たり年を終え、次の当たり年は還暦。仲間は12人いるのですがその親も3分の1(8人)が亡くなっています(逆に、まだ健在な方がこれだけ16人おられるのは嬉しいことです)。何年かしたら親ではなく仲間の悲しいニュースを聞くことがあるかもしれません(不思議と自分は聞くほうで聞かせるほうではないと思っているのです、みんな)(笑)。
とにかく縁あって一緒に同じ団体で活躍の仕方には違いがありこそすれ、がんばった仲間たち。これからも仲良く、いろいろと相談したり、ぶつけあったりするいい関係でありたいものです。
大手門3姉妹
大河ドラマの江で3姉妹というのがクローズアップされています。私の友人のY君は年賀状にY家の美人3姉妹と書いておりました(笑)。
さて、大手門通り商店街にも3姉妹がおられます。本当は4姉妹なのですが1人は別に住んでおられまして3姉妹で仲良く?かどうかわかりませんが、静かに商売をしながらお暮らしです。そのなかで昨日、一昨日と、そのお店(IH屋)の2番目のM村M子さんが「弟」という題で滋賀夕刊に掲載しておられました。
M村さんの弟さんは昨年亡くなった私の伯父と同級生で旧制長浜商業(現・北星高校)の3年のとき海軍の航空部隊の志願兵に応募され合格。中退して軍に入られました。そのときのことが載っていました。終戦の1週間後に特攻隊としての出撃が決まっていたそうです。平成14年に亡くなられたそうですが本当に愛情あふれる文章でした。
M村さんは大手門通り商店街の行事にはいつも参加されます。そして、非常に歴史が好きでいろいろなところへ行っておられます。
M村さんのお店は曳山祭りの席の名前になっているところで、実際に昔は桟敷が構えられておりました。今そのことを知っておられる方は大手門通りには、おそらく、もうM村さんしかいないでしょうね。そのころは、まだ12基の山が出ていて最後は夜中の2時ごろになったことなどを前回の壽山のパンフレットに書いていただいています。
M村さんに妻が「いったいおいくつなんですか?」と聞いたら「私は甲子園球場と一緒。」、つまり十干十二支の最初でめでたいとされる甲子(きのえね)の年(1924年)で今年87歳になられます。ちなみに一番近い甲子の年は1984年(昭和59年)です。考えたら私の社会人1年生の年でした。
取り留めのない文章で申し訳ありません。何はともあれ大手3姉妹が元気でおられるうちに何か残しておきたいような、そんな気がいたします。
日韓よきライバル
何人かの方が書いておられますが、昨日のアジアカップの準決勝。日本対韓国はやはりすごい試合になりました。日本と韓国の試合は韓国がまあどのスポーツでもそうなのですが日本に対しては絶対に負けられない気持ちが強いですね。特にサッカーは韓国にとって国技。19年前に韓国に行った時にガイドさんが「野球は日本が強いかもしれませんがサッカーは韓国が強いんですよ。」と言われたのが印象に残っています。
また、ドーハの悲劇の時。あれからもう18年なんですね。日本が三浦カズがシュートを決めて1-0でワールドカップの予選で初めて韓国に勝利した時に韓国では「日韓併合以来の屈辱」と新聞のトップに出たそうですから。それにしても今回も試合場はドーハ。韓国にとってドーハでの日本戦は鬼門なのかな?
ただ今回の勝利はPK戦。普通は引き分けとなる試合です。日本が韓国に90分で勝ったのは、最近では私の記憶ではちょっとありません。
話しは変わりますが、ちょうど10年前の今日。東京の新大久保駅でホームに落ちた人を救おうとして当時韓国人留学生の李賢秀(イ・スヒョン)さんと横浜市のカメラマンが電車にはねられ亡くなられました。本日は最後の追悼式が行なわれたそうです。
ちょうど横浜のカメラマンということで先日記した私の義弟と間違えられた方がいました。カメラマンの方より李さんがマスコミに取り上げられるのですが、不幸な歴史と近くのものほど歪んで見える人間の特性から隣国の韓国とは何か対立関係が続いていました。隣近所がいがみ合うようなものですね。
何にしても日本は古代中国の文化を朝鮮を通して学んできたいきさつがあります。これからもお互いに磨き合えるよきライバルでありたいものです。
DVDマガジンの景品
今日、このようなものが届きました。
わたくしの大好きな大相撲。ベースボールマガジン社発行の国技大相撲というDVDの特集です。横綱貴乃花の最後の優勝の仁王立ちとか白鵬が尊敬する双葉山、白鵬や朝青龍などいろいろありました。全部を購入した人が添付のシールを張って送ると漏れなくプレゼントされるものです。応募者が確定してからの発送ということで、忘れておりました。忘れた頃に到着です。
中身は
右側が国技館の土俵の土、左側が力士が髷を結うときに使うビン付け油です。ふたを開けると
いい臭いがします。春場所を見るために数回、大阪府立体育館に行ったことがありますが、あのときの臭いであります。何でも女性はこの臭いに弱い?とか。大相撲の力士が美人の奥さん(金星)をもらうのはそのためか?
まあ、あっても何にも使えませんので飾っておくだけです。
大変忘れていた
1月も早くも半ばを過ぎました。いつものことながら早いもんだと思います。特に年齢が上がってからは本当に早く感じますね。
さて、油甚さんが記しておられるように今年は長浜市の物品競争入札の入札参加資格の審査があります。油甚さんは早いですね。私も出そうと思って準備はしているのですが、将来の怠けグセがあり、揃っていませんでしたので今日揃えました。明日は休みなので明後日に出す予定です。
また私どもの仕事の一つ学校給食も2年に1度の申請をしなければなりません。これは今月いっぱい。まあ、早いに越したことはありませんので同時に申請をしようと思っています。
それらの他に出さねばならぬものがたくさんありまして、今日当局から言ってきたものもありました。ほんまに頭が狂ってしまうわい。
そうこうして、昨日大変な事に気がつきました。何と神様のことを忘れていました。
私は父が急逝して喪があけた後から、毎月1日と15日は神棚のお供えをしております。その日に行なうと忙しい日もあるので今では14日と月末にお供えをしております。それが、なぜでしょうね、11日に鏡餅(といっても、例の中に入っているものですが)を鏡割りのためにお下げしたあと、何か空白ができて(手帳を見ると、あるものをもらいに行ってうっかりししているのと15日は、大津へ行っていましたね。)忘れてしまいました。
そこで本日、お供えしました。そしたら屋上にあるお稲荷さんの榊の花瓶が寒さで凍って割れていました。お供えにかかるのも遅かったので明日にでも花瓶を買ってこなくてはいけません。今日は代わりのビンでいきました。
歳をとって、忘れることが多くなりました。油甚さんがおっしゃるように、つまらんことはよく覚えているんですけどね~。何事も先先が大事です。