さびしい訃報

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 本日、元社民党党首の土井たか子さんが亡くなっておられたというニュースが流れました。85歳だそうで、亡くなった父と同じだったのかなと思っております。土井さんはマドンナ旋風と言って平成に入ったころ当時の社会党が躍進。参議院で野党が過半数を上回り、首班指名で参議院は土井さんが選ばれました。衆議院は自民党が過半数で結局衆議院の優越で海部さんが首相に選ばれました。その時に「山が動いた。」は有名な言葉でした。土井さんはその後、細川内閣の時に初の女性衆議院議長に選ばれました。議員を呼ぶときに「細川護煕さんを首相に指名いたします。」など「君」ではなく「さん」づけにされました。土井さんを目の前で見たのはちょうどそのころ。いとこが神戸で結婚式を挙げた時、新大阪駅で乗り換えを待っていた時に、土井さんがSP2人に守られて歩いてこられました。怖い顔をしておられましたね。


 今日は土井さんと御嶽山の噴火関係、そして大相撲のニュースが何回も流れました。


 そしたら、本日、商店街に本当にさびしく悲しい訃報が流れていました。実は大手門通り商店街の、のれんのTさんが昨日か一昨日かわかりませんが亡くなられたそうで本日葬儀だったそうです。昨日お店の前を通っているのに何で気が付かなかったのか。訃報は昨日朝配布されたそうです。


 Tさんは本当に商店街のことを思われ、商店街活動に尽力いただきました。Tさんは理事長ではなく長年総務担当副理事長として大手門通り商店街を守ってこられました。私が総務担当の副理事長をした際も先代ではなくTさんに教えてもらったことが多くあります。おかげで、総務の内容をわかりやすくできて、昨年私が辞めなければならない時もスムーズに引き継ぐことができました。



 最近、有名な人がよく亡くなられます。昭和を生きた、山口淑子(李香蘭)さん、土井たか子さん、その他著名な人の訃報をよく聞いておりましたが、身近な人で・・・・。悲しいですし、本当にさびしいですね。


 ある意味一つの時代の終わりを告げて言っているのかもしれません。人は時代に使われ時代に捨てられるのでしょうか。

ドカベン逝去

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 本日の朝、いつもより遅く起きたのですが、先に起きていたバタコが「ドカベン、亡くなったんやてな。」という言葉にびっくり。ドカベンとは水島信二さんの高校野球漫画ですが、明訓高校のキャッチャーで4番打者が山田太郎で、それにそっくりなのが、今回亡くなった香川信行元プロ野球選手でした。この明訓高校はこの夏にも出場した新潟の新潟明訓高校が名前のモデルです。


 今回思ったのは香川選手は私と同学年の選手だったのである意味、ショックを受けました。滋賀県が弱く、比叡山高校が選抜で完全試合を食らった時に、2年生ながら「ドカベンそっくり。」として注目をされていたのが浪商高校(現大体大付属浪商)の香川でした。その年はあっさり負けましたが、翌年の選抜に出てきまして、牛島(のちの横浜監督)香川のバッテリーで快進撃。この年春夏連覇を遂げる和歌山県の箕島高校に決勝で敗れました。夏は大阪大会でPLに勝利して出場。この年の大阪大会決勝はNHKで全国放送されまして、電気使用量がピークに達したと言われました。そして香川は「選抜の再現をやろうや。」と箕島の選手に言ったそうです。


 そして、この年夏の大会滋賀県勢初勝利の比叡山と準々決勝で対戦。10-0と叩きのめします。聞くところによると試合前日に宿舎の前で素振りをしていた比叡山の選手の前を通った浪商の選手たちが「お前ら明日ワシらに勝つつもりでいるんけ、やめとけやめとけ、わしらこれからゲームセンター行くんや。」と言ったそうです。


 比叡山に完勝した浪商でしたが準決勝で徳島の池田に敗れました。この時の香川の力を落とした涙の姿はよく覚えています。



 そうこうしてドラフト会議があり、牛島は中日に1位指名、香川は南海に2位指名でした。そして12月だったかな、私は母校の推薦入試を受けるために宿舎に同級生と泊まっていました。テレビをつけると牛島と香川の入団会見でした。私は同級生に「えらい違いやな、こいつらは入ってくれと言われて入団、こちらは大学に入れてくれと入試を受けるんやでな。」といったことを覚えています。この時は残念ながら2人とも不合格で、私は2月に一般入試で母校に合格しました。別に憧れていたわけではありませんが、再度受けなおしてリベンジでした。



 こうして香川はプロ野球に入りましたが、あの体ではプロでは難しかったようです。プロ入り初打席で当時の近鉄の井本から本塁打ですから打撃は非凡なものでしたが、あれでは守りなどは高校ではできてもプロでは無理でした。よく考えたら平和な時代で香川は減量の為に入院していましたね。


 そのあとはいろいろな事業をやって破産したこともあったらしいですね。


 余りにも若すぎる死に、同級生?の私もさびしいですね。

 私の学年は本当に薄い学年で1つ上の偉大なる先輩くんさんや油甚さんのような濃い学年と違って、スポーツなどではそんなにめぼしい成績を上げていません。その中で数少ない有名選手の一人の香川。残念です。ご冥福をお祈りいたします。

アジア大会開幕

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 夏季アジア大会が韓国の仁川で開幕しました。

 韓国で夏季アジア大会が開かれるのは、1986年ソウル、2002年釜山に続いて3回目だそうですね。特に2002年は日韓ワールドカップが開催された年。韓国が2つの大きな大会を本当に無事開催することができるのか?疑問に思われましたが、何とか開催されました。


 アジア大会は、夏季五輪の開催年の中間年に開催されます。30年ほど前から冬季のアジア大会も開催されていますね。


 私が初めて見たのはちょうど中学1年生の1974年のイランのテヘラン大会でした。中国が初の参加。それまで日本がアジアでは五輪の米国状態だったのが中国により少し金メダルが減らされました。次のインドニューデリー大会は日本が金メダル1位でしたが1982年タイバンコク大会でメダル総数は1位だったものの金メダル数1位の座を初めて中国に明け渡しました。そして1986年ソウル大会では球技の金メダルはゼロ。金メダル数も韓国にまで抜かれ3位になりました。その後、94年広島大会では開催国として金メダル数2位になりましたが、その後は中国、韓国の後塵を拝しています



 アジアの人口は約40億。世界人口は60億超ですからアジアは人口が大変多いのですが、スポーツのレベルははっきり言って低いです。水泳や陸上で放送があったとき、WR(世界記録)より+何秒という風に出てきますね。世界記録というのはほとんど見ません。


 昔強かったバレーボールもアジアで優勝すれば五輪に出ることができますが、五輪では勝てませんね。


 そういえば学生時代、アジア大会で水球の中国との決勝をやっていました。ロス五輪の出場がかかった試合で、この時日本は初めて中国に敗れ、ロス五輪の出場がお預けとなりました。その後世界予選でも敗れ、出場を逃すのですが、社会主義国がロス五輪をボイコットしたために繰り上げ出場となりました。

 その試合の放送中に「日本のゴールキーパーはF。」と言っていたので、よく見ると、長浜商工から日体大へ行った同じ町内のF君でした。試合は接戦の末負けて、非常に残念でした。

 あれから30年以上たちますが、中国は日本よりはるか向こうで、アメリカ、ロシアと並ぶ昔の東ドイツの様なスポーツ大国になってしまいました。


 今大会も、日本は恐らく金メダル数は3位でしょうね。へたしたら、旧ソ連のカザフスタンなどにもやられるのかな。


 とにかく最初は日本だけが飛びぬけて強かったアジア大会も中国が出て、韓国がソウル五輪を機に強化して、ソ連が崩壊して旧ソ連のカザフスタンやウズベキスタンなどの国が入り込んできて、サッカーは豪州がアジアですけど、このアジア大会は関係ないのですがもし入ったら、ローカル大会ではなくなります。


 韓国は柔道世界選手権を棄権してこの大会にかけています。一線級を送ってきています。日本柔道は2番手です。サッカーは五輪を見据えて日本は21歳以下でやっています。

 韓国は以前野球もプロ選手。日本は社会人でした。かけてくるものが違うのかな?


 とにかく日本選手団頑張ってください。しばらく楽しんで観戦しましょう。


 

文武両道

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 昨日の関西学生野球で京大の田中投手がプロ志望宣言を出しました。野球は日本人の大好きなスポーツの為かプロとアマの交流が意外と難しく、以前はプロがアマを指導することは難しい状況でした。よく言われたのは長嶋茂雄さんが息子の一茂選手とキャッチボールすらできないということでした。だからスカウトが選手と接触することは難しかったのですがこの志望届が出たことで自由に接触ができるようです。



 さて、学生野球の世界で東京6大学の東大と関西学生の京大は少し特別です。なんといっても日本の最高峰の大学で私なんぞは逆立ちしても入れませんでした。それが上手な選手を集める私学と並んで試合をするのですから優勝どころか1試合でも勝つことすら難しい。現に東大は現在連敗を続けています。私が高校の頃、虎高出身の国友さんが連敗ストップの投手になり、その後、東大が早稲田大学を連続完封したときの2戦目の投手になられました(1981年赤門旋風)。いくら文武両道とか学業とクラブ活動の両立が美とされても大学スポーツとなるとセミプロに等しいので両方をトップクラスに行くことは至難の業です。



 そんな中で京大のアメリカンフットボールはスポーツ推薦で選手を集めることが困難な国立大学で大したものですね。もっともアメリカンフットボールは結構頭を使いますから、頭のいい大学は結構いいのかもしれません。関西でも神戸大学が強いですし、関東では東大や一橋大学も結構強いですしね。



 柔道界では京大や阪大が結構強いです。七帝柔道に現れるように少しルールが違う柔道ですから、天理や東海と当ると一蹴されてしまいますが、私が学生時代強い先輩も「京大はそんなに強くないけど、ネチコイいやらしい柔道だから油断できん。」と言われていたのを思い出します。



 私が中学時代、よく言われたのは「スポーツができる人は勉強も良くできる子が多い。」という言葉でした。私はその言葉をずーっと信じていましたので、大学に入ったころ、わが母校の柔道部は強かったのですが文武両道の素晴らしい選手ばかりだと思っていましたが、それは幻でした(笑)。確かにそういう選手も数人いましたが、大多数の選手は、下手したら自分の名前も書けない選手がいるなど、およそ普通では入学できない学生でした。



 しかし、こんなことを言っては叱られますが、最後は頭のいい学生が勝ちました。本能のままやっている選手は上に行けば勝てなくなりました。


 やはり一つのことに集中することはいいのですがそればかりやると、伸びなくなるようです。いい意味での文武両道で学生スポーツはやっていただきたいものです。


 高校野球、彦根東のように虎高も強くならないかな(笑)。




 

無条件降伏の日

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 本日は亡父の誕生日。もし生きていれば85歳です。亡くなって9年が経ちました。亡くなった日は8月8日でしたので満75歳。数え年で77歳で喜寿でした。享年というのは数え年で計算するものだそうで、墓の墓標には享年77としてあります。母がそれの方がかっこいい(?)というのでそうしました。


 父が亡くなった年は平成17年、昭和80年です。つまり戦後60年でした。法事の前にあったサンデーモーニングで日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏をし、アメリカ軍戦艦ミズーリ号の艦上で日本の重光葵外相が降伏文書に調印した日が9月2日であることを言っておりました。


 そのとき、「ああ、親父は当時旧制中学(現・虎姫高校)4年生、ここから、店の復興に頑張ったんだな。」と思うところがありました。父は4人兄弟で唯一、大学を出ておりません。不思議なもので子供が他の伯父(叔父)は長女・長男の順で2人なのに、父は長男・長女・次女の順で3人です。また、他のおじは子供(いとこ)が大学を浪人しているのに父の子は全て現役合格でした。まあ、どうでもいいのですが、親父はその中でよく頑張ったものだと思います。本当に父に申し訳ない思いです。


 父はよく「わしは、兄貴や弟と違って大学出てんやろ。ほんで会社潰したらドカタになるしかなかったんや(工事現場で働くことはつらい仕事だということです)。だから歯を食いしばって頑張ったんや。ホンで勝ったがな!」と言っていたことを思い出します。



 この苦しかった時代を切り抜けてきた日本。戦争での尊い犠牲を礎に築き上げた平和国家日本。どこかのバカが「平和ボケした日本人。」と言いますが、当たり前のことなど何一つ存在しないこの世の中。戦争の仕方も変わっております。再軍備をするのではなく、しっかり歴史を学ぶべきだと思います。


 日本がアジアの人々を苦しめたことは、しっかり学び反省するべきですし、逆に終戦間際のどさくさに紛れて北方領土を不法に占拠し、たくさんの民間人を虐殺し日本女子に暴行したソ連軍の悪行などは、しっかり学ぶべきです。そして戦争は2度としてはいけないということを、誓い、世界に誇れる美しい日本を築いていく誓いをするべきなのでしょうね。

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