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明日から市街地は禁煙

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 このほど、長浜市の条例制定により市街地が指定場所以外での喫煙を禁止することになり、明日から実行されます。先日の油甚さんのブログにありましたように道には既に禁煙区域を示すシールが張られています。

 先ほどテレビを見ますと本日5月31日は世界禁煙デーだとか?そういえば最近はタバコを吸えない場所が増えました。私のように嫌煙家に取っては嬉しい事ですが、愛煙家にとってはたまらないでしょうね。よくスモーキングカーなどが都会では見られますが、あの中で吸うのは他人の煙も吸うので非常に不味いそうです。

 

 私にとってタバコは父が吸っていましたので幼い頃から父が吐いた煙を吸っていたのだと思います。私が小学校1年か2年の時だったと思いますが、当時は家にまだ火鉢がありました。そこに父が吸った吸殻がありまして、いつもあまり美味しそうに吸うのでどれだけ美味しいのかなと子供心に興味を持って、吸殻に火をつけ吸ってみました。

 その瞬間、目の前が煙か何かわかりませんが真っ白になりゴホゴホ。あたりまえですね。それ以後、タバコは吸わなくなりました。その後は覚えそうな機会はありましたが、不思議と口にする事はなく現在にいたっております。だから、社会人になって会合などを設営するといつも忘れるのが灰皿でした。

 最近では禁煙会議が多いので、ありがたく思っています。

 

 当社では以前は愛煙家だった者も現在はタバコをやめていて、社員でタバコを吸うものは一人もいません。数日前にすぐ辞めたのですが愛煙家が入社してタバコの臭いにみんなが困惑した事がありました。事務所には灰皿はありますがふだんは片付けていまして、訪問者もタバコを吸うことはありません。おかげで空気はきれいです。車もパンの臭いがするそうです。しかし、タバコを吸われるとそれは一気に消えてしまいます。

 

 国鉄の頃は汽車の中でもタバコは吸えました。その頃は京都ー西明石間が快速になるため禁煙でしたが普通区間はタバコが吸えました。だから、車内が汚かったですね。駅のホームの下の線路は灰皿でした。今ではもう考えられません。タバコもポイ捨てがなければ、禁煙区域を広げなくてもいいのかもしれませんね。しかし、これは無理なことですからやはり禁煙区域が必要なのだと思います。

 とにかく、トラブルがない事を祈ります。

番頭はんと丁稚どん

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 またも、昨日の修学旅行の続きでごめんなさい。タイトルは滋賀県出身の作家、故花登コバコ(どんな字か忘れました)さんの小説のタイトルの名前です。

 昨日の修学旅行、丁稚弟子入り体験といいますが、生徒に聞くと丁稚という言葉は知らないという事。今日、当社で本当にまじめな若いいい子がいてくれるのですが、その子に聞きますと「でっち羊かんのでっちですか?」とのこと。意外と知らないんですね。というか、死語になっていました。

 私とその上の世代の人は、丁稚というのは、日常用語の一つであります。番頭や大将などはもう使わないんでしょうね。私達も知りませんが、こいさんやとうはん、わかります。どちらが長女だったかな?

 大阪商人、特に船場では家憲といって、男が生まれたら養子に出せ、女が生まれたらよい、番頭を婿養子にもらえといいまして、バカな息子に跡を取らすより、優秀な番頭手代を婿養子に迎えたほうが商売は後々まで繁盛すると言われました。相撲部屋は今でもそうですね、息子が大関で違うものが横綱なら横綱の方に部屋を継がせますから。

 そんな事はさておき、丁稚になると朝早くから夜遅くまで働きながら、商売を覚えだめなものは途中で去るも、いい才覚があるものは、仕事を盗んで覚え、自分なりの考えや夢をしっかり確立して暖簾分けしてもらって独立しました。独立でなく最高のナンバー2を目指すものは、そこでとどまり、お店の繁栄に貢献しました。

 この、丁稚奉公から手代、番頭と延びて行く過程、これは社会の時間に教えてもいいと思います。商人道、これ道といいます。先述の花登コバコさんも人格共に優れた近江商人の道をたくさんの小説で語っています。

 変にわけのわからない使い方をせずに、本当の教育に丁稚という言葉を使って欲しい気がします。

丁稚弟子入り徒然日記

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 本日、横浜市の荏田南中学の2人の生徒さんが丁稚弟子入り体験に来られました。実は観光連盟から「丁稚弟子入り体験」と「修学旅行就労体験」の2つの札をもらいました。どう違うのか聞いて見ますと「丁稚弟子入り」は横浜市の「登録商標みたいなもの」だとか。

 

 

 ちなみに中学生に丁稚と言う言葉を知っているか尋ねて見ると、二人とも知らないとのこと。私達は自然と覚えて使っていたような気がしますが、今ではハッキリ言って死語なんですね。そんなことで、折角この言葉を使うのなら学校も教えておいて欲しいと思います。

 

 

 今日は2人とも朝から掃除、申し訳ないのですが当社が普段できていない自動販売機の所などをきれいに掃除してもらいました。それと車を1台掃除してもらいました。パン作り体験は一応生地を作っておいたのにチーズロールとクリームパンを作ってもらいました。クリームパンは本来の菓子パン用の生地ではないので美味しくないかもしれません。ごめんね。

 

 少し残った時間を利用して、馬車道経由で姉川古戦場から当社の黒米田舎パンの黒米を作っている虎姫のY農園の田んぼへ行きました。かえるが1匹いて、彼らが見つけて珍しそうでした。それにしてもかえるがいなくなりました。

 

 その後、山内一豊が初めて所領した唐国を経由して湖北町へ入り、山本山の近くを通って水鳥ステーションへ浮島や竹生島をみて、湖岸道路経由で帰りました。

 

 「長浜と横浜、どっちに住みたい。」訊くと「横浜の方が便利でいい。」やはり若い子はそうなんですね。

 

 明日は午前中、各店へお礼状を渡して自由散策。食事をまちなかでしてから帰るということです。

 

 気になったのは米原から新幹線に乗るのではなく、名古屋までバスで移動して名古屋から新幹線に乗るということです。途中はどこにも寄られません。横浜から来るのも京都までのぞみで来て、観光してから長浜へバスで入られました。確かに電車だと乗り換え等で生徒さんの管理が大変だからでしょうね。

 

 新幹線は殆どがのぞみでひかりは1時間に2本内一つが米原停車です。東京方面から来られる方は、のぞみで京都、新快速でバックの方がひかりで米原下車よりも便利なのかもしれません。名古屋からのアクセスをよくするため特急しらさぎを長浜常時停車させることなど陳情するといいかもしれません。

 

 今日の日経の関西欄に但馬空港が利用率が上がっているとありました。びわこ空港は意味がありませんが新幹線が便利な湖国・滋賀はのぞみの停車が無理なら、特急しらさぎの利用などで関東方面からの長浜への鉄道アクセスをよくしておく必要があると感じました。

 

 

 

 

お手本になれるかな?

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 明日、今年で4回目の横浜市・荏田南中学校が修学旅行で丁稚弟子入り体験としてこられます。メイさんの文に、ようやく送られてきたプロフィールカードを見て「不安などが一変しました。」とありました。

 

 

 私は正直、この子達に何を持って帰っていただけるか今でも不安であります。先日の打ち合わせ会の資料を再び読ませていただきましたが、本当にいい事が書いています。来た時の子供たちが、体験し感動し人が変わる。そして互いが高まる。「体験を通じて子供たちの高まりを実感しよう!!」なんと美辞麗句。

 

 

 明日わずか6時間で、変われるほど人間は甘くありません。

 ただ、この縁は大切にしなければと思っています。私の小学校6年の担任だった饗場茂司先生が「一期一会」と言う言葉をよく使われました。

 小学校の国語でノーベル文学賞の川端康成さんが書かれた文でハワイのカハラ・ヒルトンホテルのプールサイドのテーブルの上のグラスが朝日によって美しく照らされている。後に今日はどうだと見ると、どうもいけない。という文が出ていて、それらがつながりあって、何か私に残っています。

 

 

 この一期一会の出会いを大切にする修学旅行であって欲しいなと思います。そのためにはハッキリ言って今回のような対応では生徒たちがかわいそうな気がします。やはり、各お店も自店の仕事とは関係なしにボランティアで応対されますので、そのあたりの礼儀などを先日も言いましたがしっかりやっていただきたく思います。

 

 

 さて、ていくさんが本日、「子供のけんか」と言った昨日の党首討論。補正予算の選挙目当てのバラマキの中にアニメ資料館でしたか、討論の中で出てまいりました。何でも版権がからんでランニングコストが想定外のものが出てくるとか。官僚の欲に付け込んで一儲けしようというものの提案で色々な事が出るのでしょうね。

 

 京都にある「わたしの仕事館」赤字で困っているそうですが、仕事を体験させて人間を変わらそうと言うなんとも高尚な施設なのですから、厚生労働省と文部科学省がしっかり連絡を取って、こういう修学旅行に使えばいいのにと思います。

 

大往生

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 パンの話しがいっこうに出てこない。また身内ネタでごめんなさい。身内ネタはあまり書くなといわれているんですが、今回は書いてしまいます。

 

 

 昨日、新聞を読んでいますと、おくやみ欄に見た事のある名前が。ゆうこりんさんのおうちの近所である母の叔母が96歳で亡くなりました

 私の母方の祖父の妹にあたる人ですが不思議と名前は知りません。その理由は実は地蔵さんを挟んで南にもう一人母の叔母がいました。両方とも苗字はIさんなので、母は二人を「***の叔母ちゃん」(***には叔母さんのご主人の名前が入ります)と呼んでいたからです。私は不思議と長男さんの名前を知っていたので、亡くなられた事が、わかった次第です。

 

 

 ちなみにもう一人の叔母さんは104歳でまだ健在です。御主人が亡くなられて子供たちが独立した後も一人で96歳ぐらいまで酒屋を続けておられました。さすがに今では大阪の息子さんたちと一緒にお住まいです。今回の葬儀もお越しになる予定でしたがインフルエンザの影響で皆が止めたという事です。ちなみに長浜北高等学校の健在の卒業生(当時は長浜高等女学校)の最高齢者だということです。これもすごいですね。

 

 

 2年前の祖母の法事の時に、祖父の大正から昭和に変わる頃の日記がでてきたそうです。それによると、妹にあたる叔母さんを非常に大切にしていたことがわかるそうです。また当時京都に奉公に行っていた叔母さんが戻ってくるときの事が書いてあり、今は京都は簡単に行き来ができますが当時は一仕事でのんびりしたものが感じられました。

 

 この日記をお二人が健在なうちに読ませて上げたいと叔父がパソコンに打ち込んで一部ですが仕上げて送ったそうです。読んでいただけてよかったなと思っております。

 

 私が子供の頃にお会いするとあの京都の奉公で身につけられた非常に上品なお振舞いで優しく実の孫のように愛情を注いでくださった叔母さんの姿は忘れる事が出来ません。ご冥福をお祈りします。

 

 

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長浜の大手門通りの米嘉席のところで「正しい材料、正しい方法、正しい姿勢」をモットーにパン作りに励むパン屋です。

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