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今井雅之さんの訃報

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 びっくりしましたね。ついこの前にがんであることを告白されたばかりなのに、それだけ進んでいたということなのでしょうか。



 私が若いころは、がんであることを告知することは、死の宣告で、告知するにはどうあるべきかなどが言われていました。今では、2人に1人は、がんは治るそうです。まあ1人は死ぬということですが、発見が遅かったりするとどうしようもないようですね。



 4年ほど前だったと思いますが、私共の業界新聞の社主Yさんが、大腸がんで亡くなられました。Yさんは誕生日が私と同じ。年齢は6年上でした。亡くなられる1年ほど前に入院されて、一旦は退院しましたが、その後再度入院。息子さんが大学に入学が決まった後だったと思います。そして亡くなられました。


 実は、業界の集まりの役員会がありまして、そのあと、心斎橋の方へ食事にみんなで行きましたらYさんに会いました。いつものように飲みに歩いておられたのです。私はあまり状況を知らなかったのですがYさんに「あかんで、おとなしくしてんと、ホンマに死ぬで。」と言ったら1か月後、本当に死んでしまいました。びっくりしました。



 酒とたばこが好きな人でしたから、肺がんかと思ったら大腸がんだったそうです。



 私は糖尿病でしたが、本当に危ない時でした。何か守っていただいている気がします。人間いつ死ぬかわかりません。一生懸命社会の役に立てるようにしたいものです。間違っても人を不幸に陥れることはしないように。

生ビールが飲みたい

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 暑いですね。まだ5月なのに、あちこちで30度を超える真夏日を観測する観測所が出ています。大分県の日田市では34度くらいでしたか、7月中旬並みだとか。



 さて、これだけ暑くなってくるとついいけないこととはいえ、食欲がわきませんので、冷たいものを食べたり、水物を食する、いわゆる飲み物中心になります。


 そんな中で、偉大なる先輩くんさんがよく投稿しておられる生ビールなどの飲み場。



 以前はビアガーデンなどが流行っていましたが、飲酒運転の検問が厳しくなってから、あまり流行らなくなりました。あのころは皆さんどうして飲んでいたのか不思議な気がしますね(笑)。




 私も病気をしてから家で酒を飲むことはほとんどなくなりました。何かで外食をしたときしか飲むことは殆どありません



 皆さんはビールはどうして飲まれますか?私が酒を覚えたころは、ビールは殆どビンでした。S酒店さんからビールを配達してもらい、飲んでいたと思います。それが年々缶ビールに変っていき、欲しい時にいるだけ買って飲むようになってきました。ビンは始末が大変ですからね。今では外で飲む時ぐらいでしょうか。



 それと酒を飲むことが難しくなった今、ビールはやはり生で飲むことが多いですね。そんなに飲むことはできませんので、貴重なビールです(笑)。



 あの、森元首相が首相時代にサミットか何かを終えて帰国したときに、記者団から日本に帰った今何がしたいですか?と聞かれて、

 「美味しい生ビールを一杯飲みたいですなあ。」と言ったのを覚えていますが、やはり生はいいですね。そして美味しく入れてくれるところとそうでないところがあります。美味しく入れてくれるところを、また偉大なる先輩に聞いておこうと(笑)

法政三羽ガラス

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 昨日は皆様温かいコメントをいただきありがとうございました。こんなにも大事に思っていただき、私は幸せです。しっかり頑張っていきたいと思います。



 さて、スポーツ評論家になってしまったと油甚さんに言われてしまった私ですが、先程スポーツ界の訃報を目にしました。山本浩二(元広島、前WBC日本代表監督)、田淵幸一(元阪神・西武・ダイエー監督)とならんで東京六大学リーグの法政大学で活躍し、プロ野球でも活躍した、富田勝さんが亡くなったそうです。



 富田選手は法政大学を卒業後、南海に入団。1972年にあの長嶋の後継ぎとして川上監督がトレードで獲得長嶋引退後の巨人の中心選手として期待された選手でした。しかし、74年に長嶋が引退、75年に長嶋監督で巨人は初の最下位。富田選手は長嶋の後継者としてのプレッシャーか不振にあえぎ活躍しないまま終わります。



 私は姓が同じということで、期待しておりましたが残念でした。


 そして巨人は4番打者が必要ということで、あの張本勲(サンデイモーニングで”喝”を言っている人です)をトレードで獲得するために富田をトレードに。富田は日ハムに移籍します。その時、三羽がらすの他の2人から励ましを受けたそうです。日ハムに移籍した富田は、ようやく芽をだし、あまり目立っていませんがオールスターに出たり、3割を3シーズンもマークするなどして、後に中日に移籍して引退します。



 私が中学から高校にかけてのころだと思いますが、この法政三羽烏と明治から中日の星野仙一が長嶋・王の後のプロ野球を引っ張って行ったと言えるでしょうね。




 その、王・長嶋・野村・張本の世代と江川などの中間世代の名選手が早くも逝去するとはさびしいですね。富田選手のご冥福をお祈りいたします。

ご挨拶と報告

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 今日で記録が残る最後の投稿となるそうです。皆さん本当にありがとうございました。そして、この2~3年は色々と御心配をおかけいたしました。


 偉大なる先輩くんさんから「パン屋さんでない、ぱんやさん。」と書かれてしまいましたが(笑)、信じていた者たちに嵌められたこととはいえ、私の不徳の致すところと言うにはあまりにも大きな代償を払う行動を起こしてしまい、2年前の今ごろは本当にこの世を去ろうかとも考えていました。


 よく酷いことや命が縮むようなことが起こると、「わるなる!」と言いますが、当時は身体も本当に悪くなり、糖尿病に。2年前の7月末、ちょうど彦根東高校の甲子園初出場に沸き立つ頃に入院することになりました。当時の血糖値は530、ヘモグロビンA1Cは14.6。生きているのが不思議なくらいでした。


 退院後も、この大きすぎる問題に相談相手もなく、何ともできず、「俺ってこんなにあほやったんか。」と苦しんでいた頃、妹たちから「兄貴しっかりせい。」と言われ、商工会議所などに相談。まちの人たちからの温かい声などがあり、おかげで金融機関や建設会社も協力・支援してくれ、ビルは完成。引渡しを受けて、無事会社は存続しております。

 これも、いろんな方の支援がありましたが、その中でも入院時、皆さんから頂いた温かいコメント、これは今でも残してありますが、これがなければ、今の私はなかったと思います。


 とはいえ、会社は本業であるパン屋をすることは金銭面でも、そこまでは支援を受けることができませんので、休業(実質廃業)状態となってしまいました。


 パン屋を営業再開することができず、私と家内は他所に仕事をしなければならなくなりました。それでも私は歳を食っていて、そんなにすごい能力があるわけでもありませんので勤め先などあるわけがありません。

 中小企業家同友会の知り合いのつてで、彦根市の河瀬にある社会福祉法人の共同作業所で臨時職員として障害を持つ仲間と焼き菓子の製造にかかわりました。そこで私は生まれて初めて、人に使われ、年下の上司から叱られて、人の気持ちが少しはわかるようになりました(と思います)。年下の上司に人間的にも否定されたときは悔しくて悔しくてたまりませんでした。自分が悪いんですが、他人の置かれた状況などを理解しようとせずにやみくもに叱ったりしていた以前の私。本当に当時の社員たちには申し訳なかったなと思い知らされた次第です。


 契約が切れた今年の1月、送別会で泣きながら別れを惜しんでくれる障害を持った仲間達を見て、人の役に立てることの素晴らしさ、商売は社会を幸せにするものでなければならないということを強く感じた次第です。実際に私が社長として掲げていた「幸せ空間一助業」というものを実現するために本気で努力してこなかった、口だけで偉そうに言っていた報いがこれだったのかなと思い知らされました。



 今は、同じ社会福祉法人の別組織でパンの製造に関わらせていただいています。しかし年齢が行っていて正式職員ではありません。私が今までやってきたことは大したものではないですが、できる限り生かして何か社会にお役にたてるものを作っていきたいと考えています。


 勤めていても、年齢的に定年というものがあり、今の私は、定年を無事迎えることは許されません。会社を存続させて、借入を返していかねばなりません。自分が皆様に生かせていただいてこんなことを言う資格はないのですが、自分のできることを活かして何か社会を幸せにできるものを作って、それを生業にしていくことで自分も生きていきたいと思います。


 会社は倒産したと思っておられる方もいるようですが、お蔭様で皆様の力強いご声援のおかげで存在しています。これは私よりも亡父のおかげで皆様からの支援があるのだと思っています


 授業料というにはあまりにも大きな代償を払ってしまった私ですが、これを本当に無にすることなく、以前とは違う形にならざるを得ませんが事業の本業を再開できるように頑張っていきますのでこれからもどうぞよろしくお願いいたします。



 コブログ閉鎖に当たっての最後のご挨拶と、ご報告とさせていただきます。暗い報告で申し訳ございません。ありがとうございました。


 次のブログはじげブロになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

最後の伯父バカ日誌

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 身内ネタはアカンのですが、最後の伯父バカ日誌です。昨日、私の甥が所属する中学生の硬式野球のリトルシニアの大会。リトルシニア日本選手権関西大会が開幕しました。


 リトルシニアは3年生が引退した後の新チームで秋季大会。そして、新学年前の選手で主にやる春季選手権があり、それぞれ、滋賀ブロックや京都ブロックを勝ち抜いたチームが関西大会を戦い上位のチームで全国大会が行われます。2つも全国大会があるのですが、この大会はそれとは別に、集大成とでも言いましょうか、関西の全チームで大会を行いその上位チームがこれまた日本選手権を戦うまさに中学生の全国制覇を目指した大きな大会です。


 甥の所属する高島リトルシニアは、2年前初めて関西大会の1回戦に勝利。昨年も2回戦まで進んでいますが、強豪の壁を打ち破れずにいます。


 今年は甥の学年3年生はわずか3人。今年1年生は有望な選手が多く入団してきたようですが、3か月前まで小学生だった選手に多くは望めません。滋賀県でも弱いチームです。今回の相手は東大阪。先日1年生大会で当たり、抽選負けを喫しました。


 今回のフルチームでの対戦はハッキリ言って相手は前回の春の大会で関西大会に出た強いチーム。こちらは滋賀ブロックで最下位争いのチーム。私は、5回コールド負け(5回以降終了時7点差以上で成立)を覚悟していました。スタンドの義弟やPTAと「せめて7回(中学生は7回戦です)まで試合して欲しいな(笑)」と言っていました。
太陽ヶ丘入口
会場の太陽が丘球場(京都市宇治市)。バスが合わず、入り口から球場まで歩かねばなりません。広い。希望が丘の端から端までぐらいかな。

大阪舞洲で開会式を終えて、第2試合の試合です。
試合前の挨拶
高島先攻で1番のK君。なんと先頭打者で初球を目の覚めるようなレフト前ヒット。何か行けるんじゃないと思わせます。そして、甥が
ヒット
チャンスメイクのヒットで先制のチャンス。相手のワイルドピッチで先制。そして、ヒットで2点を先取します。しかし、大量点のチャンスもここで終了。
その裏、高島の先発は先日まで小学生の投手。2番の選手にライトスタンドへ放り込まれました。しかし、その後をかわし1点で切り抜けましたが、2回に逆転されました。

3回に高島は同点に追いつきなおもチャンスでしたが得点ならず。4回に力尽きたのか3点を取られ3-6.そして6回相手の攻撃が終了し、7回は本日当たっている1番から。期待が高まりましたが、試合時間が2時間を超えており、コールドゲーム。3-6で敗れました。


 甥は、この日はエラーが多く、投手としてもストライクが入らずでした。しかしエラーの後は落ち着いて処理し、エラーのすきを狙って次の塁を狙った相手を見事にさすなどのプレイをしました。草野球ですな、これを喜ぶまさに伯父バカです(笑)。
終了時スコアボード
残念ながら、敗戦。これで3年ぶりの1回戦敗退です。

これで大きな大会は終了。甥はどこの高校へ行くのだろう?今日、大阪桐蔭に勝った彦根東へ行けたらいいけど、そこまで勉強はできんし通えんか(笑)。虎姫来たらすぐレギュラーやけど弱いしな。

 近江などへ行ったら3軍か4軍で、試合には出られないだろうし、可能性があるチームで試合に出られる高校に行ってほしいですな。


 今の私は、これくらいしかもう楽しみがなくなってしまった、バカな伯父です(笑)。



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長浜の大手門通りの米嘉席のところで「正しい材料、正しい方法、正しい姿勢」をモットーにパン作りに励むパン屋です。

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