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あれから22年

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 今日は年度末の3月31日。よくこんな日にしたなと思い出します。

 昭和63年つまり昭和最後の年(厳密にいいますと翌年の1月1日から7日だったかな、昭和64年であります)のこの日に全国から注目された長浜楽市が開業しました。

 

 当時としては新しい形態のショッピングセンター(SC)で「まちをつくる」というコンセプトで広域からの集客を狙ったものでした。そのため当時カナダのバンクーバーの万国博覧会で展示されたワンダーウオーズという宇宙戦争体験ゲームなどを設置。そのあとには洋蘭園やパーティハウスなど当時としては珍しいものがありました。

 

 オープニングには当時人気があった沢口靖子(たんすにゴンの人です)や桂三枝も来てテープカットを行ないました。私は当時は開店で忙しい最中でした。

 

 SCとしては今までにない形態でしたので全国から視察にたくさんの方が見えられました。また、他府県ナンバーの車も多く、観光のような感じで来られたお客様も多かったです。お客様の中には、博覧会をやっているのと勘違いされ

 「このイベントはいつまでやっておられるのですか?」と聞かれる方や中には長浜市が合併して「ながはまらく市」になって、その記念イベントをしているのだと思った方もおられたようです。(嘘のようなホントの話しです。)

 

 

 あれから今日でちょうど22年。そのとき生まれたお子さんが大学を卒業するような年月であります。

 「長浜の町中はゴーストタウンになる。」といわれたのがそうならず、地元の店の集まりだった長浜商業開発は数年前に解散しました。各店舗の西友はアメリカの世界最大のスーパーであるウオルマートに買収されました。

 

 商業開発の店舗の中にはこれをステップに大きくなった会社、逆に後継者がなく廃業した会社、解散を機に郊外店を構えた会社、閉めていた商店街の店を再び開けた会社、そのまま西友のテナントで残ったお店。いろいろありますが、何か深い思いが残るショッピングセンターであります。

 

 

あの景色はどこ?

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 どなたか知っておられたら教えてください。MBS4チャンネルの毎日放送の早朝に流れる画面です。

 

 番組開始前にテスト画面や阪神高速の様子を映している(真夜中でもけっこう走っていますね。)のもありますが、毎日放送ではCMがないこともあるのかな?

 音楽と共に先ずはどこかのお寺の僧侶たち数人が白い息を吐きながら歩いていく場面から始まります。

 そして奈良の若草山でしょうね、鹿が緑豊かなところで草などをついばんでいる場面。

 どこかの交差点の雑踏、祇園祭で何かをばっさりする場面で私が知りたいのは

 冬の美しい伊吹山を背景に鷺か白鳥が田んぼの中のものをついばんでいる場面です。

 

 おそらく、長浜でも東の方か浅井町あたりの田んぼだと思うのですが、虎姫だともう少し伊吹山の横の部分が良く見えたと思いますし。

 

 どなたか知っておられたら教えていただけませんでしょうか?

 

 

 

葬式は人生の通信簿

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 一昨日、昨日と当社が所属しているパン業界の団体の例会があり行って来ました。今回は当会の顧問をしていたある業界新聞の社長が54歳の若さで先日亡くなりその直後の例会ということで冒頭に黙祷がささげられました。また、生前交流が深かった会員が持ち込んだ遺影を席に置いて例会が進行されました。

 

 

 葬儀はたくさんの人が参列したそうで彼の生前の交際のすごさがわかります。また、他の方が遺影を持ち込み「このあとの懇親会でも、一緒の会場においてあげよう。」という人がおられるのもすごいことだと思います。

 

 「葬式は人生の通信簿」(今回は葬式ではありませんが)、これは数年前に色々な問題を起こした高級料亭Kの次男の方の取締役(ささやき女将の横にいたのは長男です、「パートが勝手にやった。」といった人物です)が事件の3年くらい前に当会の例会の講演に来た時にいった言葉でした。

 

 次男の取締役はKの創業者であるお祖父さんの元へ夏休みになると行かされ、そこで色々と薫陶を受けられたそうです。創業時の苦労、お客様への感謝など初代の魂を叩きこまれた次男3代目は話し方も素晴らしく、いい講演でした。(そのあとまさかね~)

 

 そのKの創業者の言葉が「葬式は人生の通信簿」というものです。子供がすごい人物で参列者が多いということもありますが、それでもそんな子を産み育て上げたということも立派なことです。

 

 

 今回の業界新聞の社長の逝去後の周りの人の動きはまさに彼の人生はすごかったんだなと感じます。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

教え方の上手な先生

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 小学校の卒業式も終わり、間もなく中学生になられます。先日日経を見ておりますと教え方の上手な先生ということで思い出のアンケートが載っておりました。

 

 小学校では体育や音楽、家庭科など一部先生が交代する事がありますが原則としてクラスの授業は担任の先生がやるのに対して中学からは教科ごとに先生が変わります。私も中学・高校時代はどの先生が受け持つのかなと新学年になると注目していたのを思い出します。

 

 

 教え方のうまい先生に当たると「良かった!」と大喜びしたものです。それとは別に人間的には大好きな先生でも教え方はどうも合わないという先生もおられました。

 

 数ヶ月前の油甚さんの記事にもありましたチブル先生(村居先生)の社会科は本当に愉しくわかりやすかったですね。油甚さんのようにできると、どの先生も「わかりやすい授業の先生」でしょうけれど、わたくしのように苦手教科がある者は先生によってそれぞれ良きにつけ悪しきにつけ様々な思い出があります。

 

 

 不思議とつまらないどうでもいい事を覚えるのが得意の私ですので、高校時代苦手教科でも先生が雑談で言われた事を良く覚えていて社会で役立った事があります(笑)。

 

  同級生で良く出来た生徒はやはり、あたりまえですが良く勉強していましたね。予習復習はあたりまえ。虎姫高校時代の故・福本先生は英語の授業中、予習して来なかったら「授業は第1回目の復習ですよ。」と叱られました。

 

 考えたら授業をされる先生も毎年やっているから教科書を見なくても授業をする事が出来ますが、それでも日本史や国語、英語の先生は1時間の授業に対して2時間は予習されるそうです。

 

 その事を理解して一生懸命勉強して欲しいですね。きっと役に立ちますから。

悲壮肝脱出

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 昨年夏の健康診断で肝臓の機能が衰えているとの事でした。これではいかんと9月に日赤に行きました。そのときに予約が取れたのはB先生。診断の結果を見てエコーをとるように言われました

 

 エコーの結果は完全に大きな脂肪肝。血液検査の結果はというと、最近はパソコンの画面上に出てきます。その結果はまあ見事なまでに赤で塗りつぶされた数値ばかり。先生は言葉は丁寧ですが大きくきつく聞こえる口調で「やせなくては駄目です。やせられますか?」と聞かれました。「もし出来ないのなら薬を出しますけど。」

 

 私はどうもそれらの薬が合わなくて副作用というほどではないのですが、調子が悪くなりがちです。その旨伝えると「わかりました。それでは3ヵ月後に来てください。そのときに血液検査を行ないます。」あとでわかったことですが、実は脂肪肝の治療はこれといった薬がなくやせるしか方法がありません。

 

 3ヵ月後の12月。結果は思わしくありません。「もう一度チャンスを与えます。」ということで「しかし今度だめなら、薬を服用していただく必要が出ますね。」ということになりました。泳ぎに行こうかと思っていたのですが、なぜかブログも書けなくなるほどになりましたので「悪なるくらい。」の生活を送っていました。

 

 そして「あ、忘れていた。」ということで予約。先ほど述べたようにきつい口調(それでも偉そうではなく言葉は丁寧ですよ)の先生で人気がないのかな?(笑)。すぐ予約が取れました。

 

 血液検査の結果は赤いところが殆ど消えていていて先生は「もう大丈夫ですね。しかし油断したらまた元に戻りますからしっかり健康管理に気をつけてくださいね。これで一旦終了とします。」といわれました。

 

 忙しさがよかったのでしょうか?仕事をそれだけしていなかったのでしょうか?まあ、それはともかく健康管理には充分気をつけて行きたいですね。

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