西田局長?
本日、仕事を中断して(というか勘定をあとにするだけなのですが)、加藤登紀子さんのふれあいコンサートに行ってきました。昨日加藤さんは滋賀県出身と言いましたが正確には中国のハルビンだそうです。戦後帰国して京都の上賀茂におられたそうで今おられるのは千葉県の鴨川、そこに流れているのは加茂川。
また、加藤さんの祖祖父は守山におられたそうで、比叡山を守ると言う意味で守山だそうです。それが滋賀県との接点だそうです。上賀茂と守山は比叡山を挟んで対照にあります。不思議な縁を感じておられました。
さて、今日のコンサートは文芸会館では狭いくらい集まられました。加藤さんが「皆さんの顔が全てわかる。」といわれるくらいふれあいコンサートでした。それにしても知らない歌が多かったですね。加藤さんの歌は百万本の薔薇、知床旅情ぐらいしか知りませんでしたが、歌詞もいいのがありました。
その中には涙が出てくるものもありました。涙腺が本当に弱くなりました。命があと少しなのでしょうか?(笑)。アロマ大使さんご夫妻が同じ席だったのですが用事があり第1部でお帰りになられました。もしおられたらボロボロでしたでしょうね。
また、加藤さんの歌だけだったらあまり感動はなかったかもしれませんが(加藤さんごめんなさい)、けろっぴさんの奥様が指導される長小合唱団やさんらいずさんが頑張っておられる西中PTAの合唱団が一緒に歌うのはまた感動的でした。加藤さんが「涙があふれる」とおっしゃっていましたが、まさしくそうでした。本当に子供たちの純粋で綺麗な合唱は心を打ちます。こういう形が「長浜らしい」コンサートではないかと思います。
妻が「局長。」と言ってハンカチを差し出しました。「いらん。」と返しました。なるほど、西田局長ですか(笑)。笑えて来ました。
ご存知の方も多いと思いますが金曜深夜の長寿番組「探偵ナイトスクープ」で局長を務める西田敏行さん。なぜかよく泣かれるんですよね。もし、この場におられたらボロボロと泣かれたでしょうね。
泣き虫と言えば思い出すのが泣き虫先生の山口監督(ラグビー・伏見工業)。よく考えたら私が文芸会館のホールの観客席に座ったのは2002年の青年会議所の公開例会以来でそのときの講演が山口先生でした。
そのときも涙でした(山口先生が泣きながら講演されるのでもらい泣きすることもあるのですが)。私が文芸会館に行くと西田局長になってしまうのかな(笑)。
明日、加藤登紀子さんのコンサート
明日の夕方、文芸会館で加藤登紀子さんのコンサートが開かれます。教育行事の一環で長浜に来られるそうで、その流れからコンサートが開かれることになったようで関係者の方は一生懸命にやっておられました。何でもたくさん前売りが売れたそうで良かったですね。
加藤さんは滋賀県出身。琵琶湖周航の歌や百万本の薔薇などが代表曲ですか?私が初めて知ったのは紅白などに出られた滋賀県出身それも東大出身の歌手ということでした。加藤さんが東大に在籍された頃は、ちょうど学生運動が盛んな頃。ただ詳しい事は知りません。
昨年の十日戎に嘉田知事と一緒にお参りに来られたそうです。嘉田知事は埼玉出身ですが京大卒で滋賀県の事をものすごく思っておられて、そういうことで意気投合されたのでしょうか?
それでも明日は大河ドラマを見なくてはならない日。もうすぐシズガタケ(どうしても変換できませんごめんなさい)の合戦になるとお市の方も消えてしまう(鈴木保奈美が見られなくなる。本当に保奈美さん綺麗ですね)。明日は帰ってきたらBSで見るか。ああイソガシ。
金釘流
本日、私宛に郵便局から配達証明のはがきが届きました。
書留で送ったものを相手先に届けた証明に相手先の住所名前と私の名前が手書きで記されているのですが、年々、字がへたくそに(郵便やさんご免なさい)なっていっているような気がします。
やはりワープロ(死語か)で書くのが当たり前になっているからでしょうか。ちょっとした手紙なども手書きだと確かに時間がかかるし、結構疲れるのに対してパソコンだと直したり書き足すのも楽ですからね。
そんなことで「ミミズが這ったような」文字が当たり前になってきました。私の母は祖父が私に字を書いた額をプレゼントできるくらい上手だったので、その教えからか上手な字です。最近は歳をとったので以前ほど優雅さがなくなりましたが、それでも結構上手です。
わたくし!私はタイトルの通り、「金釘流」です(笑)。字のへたさを表す言葉として先ほど記した「ミミズが這ったような文字」と言う言葉があります。
私の字は線がまっすぐ美しく降りていないとか、変に跳ね上がっているなどしています。釘を抜いたりしたときに釣り針のように曲がったりする形によく似ていることから母が「あんたの字は金釘流や。」とよく言いました。本当は釣り針流かもしれませんね(笑)。
字が綺麗だと人格までよく見られます。履歴書などでも字が綺麗な人だと信じてしまいます。それでも字が綺麗でなくても丁寧に書いた人といい加減(悪い意味ですよ)に書いた人ではやはり印象が違います。
字はしっかりと丁寧に書きたいものですね。そうでないと恥じをかきますよ。
NZでの日本のマスコミ
ニュウジーランドのクライストチャーチの大地震。本当に大変な災害になりました。富山の外国語学校でしたかまだ不明者が居るみたいですね。人間が水なしで生きられるのは72時間(3日)、そして明日から雨の天候ということで「救助がスムーズに行くのは今日1日が勝負」と救助に関わるレスキューの皆さんは必死になっておられます。
それに対して本日の昼にニュースを聞いていて、とても残念に思った事があります。日本のマスコミ陣の恥ずかしい行動とインタビューです。もちろん危険と背中合わせで一生懸命取材しておられる方もおられます。しかし被災者の気持ちを踏みにじるような取材が多いのも確かです。
何でも今日、病院へ無断で取材に入り、身柄を拘束された日本のマスコミがあったとか。病院は今、大変な時。変な人物が入らないよう当然規制があります。それをパパラッチみたいな行動。情けないですね。
また日本の救援隊の隊長へのインタビュー。本当にもう少し考えて欲しい内容の問いかけがいくつかありました。その中で「ビルが完全に崩れており、絶望的だという話しもありますが?」というバカな問いかけに対して「私達は一人でも多くの人々を救い出したいと考えております。結果が出るまで最善の事を行なう・・・。」とか言われていたのが印象的でした。
本当に救援隊の皆さん、よろしくお願いします。
それと富山語学学校の生徒で助け出されましたが片足を切断する事になってしまった人がいました。家族に向けて「心配いらないよ。」とピースサインをしているのには本当に涙が出ました。
マスコミの皆さん、芸能みたいにスクープを狙うのではなく、日本にいる人達に安心と勇気を与える取材をしてください。日本の恥をさらさないで下さい。お願いします。
同窓会開催の集まり
2日前の21日。近くの居酒屋のHさんで私達、長浜西中の第30回卒業生の内で男子5名、女子3名が集まりました。私達が学年同窓会を開催したのは平成5年1月。もう18年も前の事です。
西中は校舎が私たちの時から新しくなりました(もう20年近く前ですが)。当時の面影をとどめるのは前庭の花壇と同級生のOさんが命名された「やわらぎの池」です。まあグランドは位置がそのままですが。
さて18年前ということで当時の資料を探して見ますとH君がPC(当時はWindousの前)で作成してくれた名簿と私が保管していた当時の参加者に見せようと思って用意した返信ハガキのファイルブックでした。
その後、結婚・離婚などで住居が変わっている方もおられますので調査する必要が出てきました。結構大変な作業になりそうです。
さて、当日の発起人会ですが、結構みんな懐かしい話しや同級生たちの近況などが出てくるとすぐに脱線してしまいまして、うっかりすると決めた事を忘れてしまうところでした。(笑)本当に同級生の集まりはいいものですね。すぐにそのときに帰ります。
19時に始まった集まりも気がつけば23時30分。居酒屋Hさんは迷惑だったでしょうね。(笑)
さて同窓会も私達の学年は268人です。1年はG組までの7クラスでしたが2年生になるときに270人を切ったためF組までになりました。私達が卒業したあとの学年でH組までが必要になったためアルファベットから1組2組の数字に変更されたようです。今では考えられませんね。
先生方も歳をとられました。商売をしておりますと何人かお会いできる先生もおられます。お元気なうちに何回か同窓会をしたいものです。
一つ上の油甚さんの学年のようにマメにやらないといけませんな(笑)。実は先日、先輩の事はよく覚えているので、そういう話しがよく出ました。
楽しい同窓会を開催したいものです。