元スタープレーヤーの逝去
昨日、ブログを書こうとしてPCをあけたら元阪神で日本ハムのコーチの小林繁さんが57歳の若さで急死したことが出ていました。何でも16日には元気に日本ハムのイベントに参加していたそうで梨田監督は「まだ1日も経っていないのに・・・。」と悲痛な面持ちでした。
小林さんは長嶋監督が90番の背番号をつけて監督を務めたときの巨人のエースでした。あの独特のサイドスロー。振りかぶって、一度止まって、帽子を落としながら投げる。よく考えたら全く無駄な投法で今なら通用しないかもしれませんが魅せる投手でした。
私達にとっては怪物江川と言われた江川投手が大学卒業後、ドラフトでクラウン(現在西武)に指名されたものの「どうしても巨人に行きたい。」と言って1年浪人。
翌年、出来たばかりの西武が権利のある間、頑張りましたが期限のドラフト会議前日に断念宣言。次の日、いわゆる空白の1日をついて巨人と江川が契約しました。
これを勧めたのは作新学院の当時の理事長で後に衆議院議長も勤めた船田中代議士。自民党は当時からこんなあほなことを勧めていたんですね。
なぜ空白の一日があるかと言うと、前年の交渉権が消滅した後の整理のためと言われていました。それを悪用したんですから始末に終えません。こんな後援者では江川も可愛そうでした。
それを解決するために当時の金子コミッショナーの「協約違反だが将来のためへのつよい要望」でその年ドラフトをボイコットした巨人に代わり江川を指名した阪神とのトレードで小林が阪神に行ったのです。そのときのインタビューもかっこよかったですね。絶対に悪口を言わない。「ベンチがアホやから」などと言った同じ頃在籍した阪神の投手とはえらい違いです。
翌年の小林はまたかっこよかったですね。私はアンチ・巨人阪神ですが小林は好きでした。出来たらカープに来て欲しかった(笑)。巨人に8連勝。この年の巨人ー阪神は魅せる試合でした。巨人はこの年、5位に終わり翌年の長嶋解任のステップとなります。
引退後の解説も当時の他の人に比べわかりやすかったですね。特に顔がいいのでテレビでキャスターとして栄えていて説明の明快な解説は大変よかったと思います。いつの間にか消えていて、どうしたのかなと思っていたら亡くなったんですね。
昨年の三村や土井に比べ華やかな面もあった小林投手。私達の往年のスターが消えていくのは残念です。
誕生日と震災の日
昨日は年男である私の?回目の誕生日でした。例によってまた家におりませんでした。当社は明治乳業の代理店でもありますので昨日は総会で大津の紅葉に行って参りました。懇親会では前日に日石の会で行かれた油甚さんのブログから情報を得ておりました俳優・佐々木蔵之介の実家の佐々木酒造の「紅葉」をお願いしました。皆に得意がって話していますとある会員が佐々木蔵之介の兄が東大で三男の弟が継いでいるということを教えてくれました。とにかく、これでいいコミニケーションがとれました(笑)。油甚さんありがとうございます。
さて、一夜あけて今日は阪神大震災が起こってからちょうど15年目の日であります。私も仕事の関係上、神戸にはパン屋さんや業者などで数名の知り合いがおります。これらの人は有名店で比較的経営力などもありましたので早く復興しましたが、ダイエーなどのように企業の命を縮めた方も多いようです。
現在でも長田区の方などは復興がまだ充分ではないところも見受けられます。
あの日は私はまだ独身でした。ある先輩と旅行に行くために名古屋にいまして、なぜか寝られず、早朝に25秒ぐらいの長い揺れを感じたことを覚えています。「東海地震かな?」と思ってテレビをつけますと名古屋・震度3、彦根・震度5の表示を見て慌てて家にホテルから電話(当時は携帯をもっておりませんでした)をしたことを覚えています。何でもそのときに「震源地は淡路島くらいと思う。」と言ったらしくて妹が「兄貴は鯰(なまず)か。」と言っていました。
平成8年に阪神高速なども復興して神戸もある程度、復興しました。同年10月に私達のグループの勉強会がメリケンパークオリエンタルホテルで開かれ当時の代表幹事のTさんが神戸の有名ベーカリーなのですが「皆さんどうですか神戸の街は?」と開口一番言われたことを覚えております。
数年後、Tさんは「阪神大震災でマズローの欲求5段階を身をもって体験しました。」と挨拶の中でいわれたことも覚えております。
実は1月17日は平成3年に中東戦争が勃発した日でもあります。ある八百屋さんに「お前が***へ誕生日の頃行くと、ろくなことがないのう。」と言われました。
なぜか色々と忘れられない出来事が起こる誕生日と1月17日であります。
千代大海引退
一昨日、元大関・千代大海は長年のライバル魁皇に送り投げと言う私も聞いたことがない決まり技で敗れ、今場所初日から3連敗で来場所の大関復帰が困難になり引退しました。私が大好きだった故・元大関・貴ノ花の不滅の記録と思われた大関在位50場所を大きく上回る65場所を勤めました。
先場所、大関陥落が決まった時点で引退かと思いましたが、魁皇と相撲を取るために今場所も勤めたのでしょうか?
その魁皇は幕内通算勝利数の新記録をこの千代大海戦で決めました。何か作られたような美学ですね。魁皇は幕内在位99場所目。来場所で前人未到(今でも記録なのですが)の100場所目となります。ただし、このまま行けば今場所負け越しで100場所目はカドバンとなりかねません。何とかそうならないように頑張って欲しいものです。
さて、日本人の優勝は栃東が最後に達成して以来、4年間出ておりません。大関も琴光喜と魁皇だけ。このまま行くと日本人の横綱どころか大関も消えます。なんとか、稀勢の里あたりに頑張って欲しいものです。
日本人力士が弱くなったのは、学生相撲出身力士が増えた事もあると思います。野球のマー君と佑ちゃんみたいな感じではないかな?彼ら二人はまだわかりませんけどね。力のある選手が大学で伸び盛りに持て余す事があるのではないかと思います。
何はともあれ日本人力士に頑張って欲しいものです。そうして大相撲の美しさを取り戻して欲しい。外人でも白鵬はいいですね。私は内館牧子は大嫌いですが、「朝青龍はスポーツ選手としては一流、でも横綱としては認められない。」これはうまく言ったなと、思います。
ワイドショーから
昔、TBSのブロードキャスターという番組があり「お父さんのためのワイドショー講座」というものがありました。普段はお勤めで朝にゆっくりワイドショーのようなものがみられないお父さん達に今週は何が話題になったのかを知らせるコーナーです。
今日、私は久しぶりに休みで朝テレビをつけワイドショーを見ていますと滋賀県の柔道の強い秦荘中学でおこった事件のレポートがありました。柔道の練習中、まだ初心者に近かったM君(当時12歳)が顧問の27歳のI講師にリンチのような稽古をつけられ死亡したものです。
これだけではなく何年か前に女子中学生が休憩したら男子の部員が怒って稽古をつけ、頭から落とすなどして死亡しなかったものの意識不明のままになったという事件もありました。
柔道は格闘技ですから危険がないとはいいませんが正しい練習方法をとればボクシングのように殴る蹴るということがありませんので血が出たり顔が腫れ上がるということは少なくきわめて安全なスポーツであります。
また「道」という名がつくように精神面を鍛える上で大変効果があるものです。柔道の創設者・嘉納治五郎師範は「精力善用・自他共栄」の精神で柔術から柔道と名前を変えたのです。つまり「単なる格闘術にとどまらず人間として進む正しい道」これを大目標にしたのです。
番組でのレポートにあった当日の稽古内容はかなり激しいものでした。I講師は、かつては100キロ超級の有望選手であったようです。M君が喘息持ちで練習の態度があまり積極的ではなかったのかもしれませんが時津風部屋のようなことをすれば死ぬのはあたりまえです。これでは油甚さんが以前書かれたようにJUDOではなくJADOです。
教育委員会は一部父兄が聞いたら誤解を招くような「落とすまで締めろ。」のI講師の発言(私は馬鹿だと思いますけど)の中学生の証言を報告書から消すなどしてよけいに不信感をあおっているようです。中には「M君が動けなくなったのは道場だったが、もし下校途中なら、このようなことにはならなかった。」という信じられない言葉を吐く者(こんなやつ先生というのも、あほらしいですね)もいました。
教育委員会とI講師は自己保身ばかりを計るのではなく誠心誠意、亡くなったM君と一人の母親に対して償いをしていただきたいものです。そうでないと柔道は邪道になり、「柔道に恩返し」と言って一生懸命子供たちに教えておられる片桐先生などの足を引っ張ることになるだけでなく、学校で柔道が教えられなくなります。
行列の出来る十日戎
本日は十日戎の本戎ですが、長浜市では成人式が行なわれました。市長も大変ですね。合併したため長浜市では会場がいくつかに分かれて行なわれました。
旧長浜市ではロイヤルホテルで行なわれました。私達の頃は今では柵が張り巡らせてある市民会館でした。それから10年後、ロイヤルに移った年にパンの注文を受けましてお届けした時に係りの方から「もう始まりますから早く会場へどうぞ。」と言われました。普段着でエプロンをして行きましたが、私が、それだけ若々しかった(ばかばかしかった)のでしょうか(笑)「いや違います。私はもう10年以上前にすませてます。」と言ったらビックリされていたのを昨日のように思い出します。
全国では荒れる成人式が数ヶ所あったようですが大人の日本人として恥ずかしくない行動をして欲しいものです。その点、長浜は君が代さんの投稿によると素晴らしい成人式であったようです。
さて、新成人の門出を祝福するように天候も回復し十日戎も本戎。たくさんの方がお参りに来られました。宝恵籠行列はたくさんの人出。私は今日も遅く3時ごろからご祈祷をしていただき、ご奉仕に入りました。本殿から鳥居まで参拝待ちの行列。これはここ数年珍しいことです。やはり前日が悪天候で今日にされた方が多かったのでしょうね。
新年が始まってすぐに十日戎。本当に湖北長浜は豊かな心の土壌があると思います。明日の残り戎。どうぞお越しくださいませ。