新しいパソコン
先日、新しいパソコンを買いました。今入力しているのは以前からのもので入力していますが(笑)、新しいのはさすがに打ちやすい感じがしますね。
以前からのものは2003年に購入したものではなかったかな?確かそのときは曳山祭りの出番であったのを覚えています。
長く使わしてもらったな~と思います。3年ほど前に一度、煙が出まして、メーカーに電話しますと、親切にすぐに基盤などを交換に来てくれました。
ビスタが出てから買い変えようと思っていたのが流れに流れて8年。Aの文字が消えています(ゆうこりんさんも同じようなことが、ありましたな)。
これだけの年月が過ぎると、「やっぱりサラがええな~。」と言葉が出そうになる(もう出てる?)のですが、今までよく頑張ってくれたパソコンに感謝したいものです。
JIN~仁~とお江
昨夜はまつりと週末も無事終えて表題のドラマを見ました。何でもBSでの大河ドラマの再放送がないとのことで、残り僅かでしたが江では江が佐治勝成と結婚したものの離縁され秀吉に食ってかかるところだけ見ました。
そのあと、楽しみにしていたのがJIN。これは2年前に放送され、いろんな人から面白いと聞いていました。特に昨年の大河ドラマの龍馬伝の前に放送され、内野聖陽の坂本龍馬役が素晴らしかったので福山雅治にはプレッシャーだと、ある者が言っていたことを覚えています。
現代の脳外科医が幕末にタイムスリップして様々なことに出会います。それにしても佐久間象山が現代にタイムスリップして、その後戻るなんてよく考えましたね。
このドラマの面白いところはあくまでも史実に忠実であるなかで、うまく現代の人物をかみ合わせているところだと思います。
今回の大河ドラマの江はあまりにもドラマであり過ぎるので少し非難が多いようです。実際にドラマに限らず、歴史ミステリーなどでは「春日局は徳川家康のめかけで3代将軍家光は2人の子であり、江は国松(後の徳川忠長)を将軍にしたがっていた。」というような説が流されたりします。
でもこの説も歴史を深く知っていれば考えてもおかしくないのです。基本が大切であくまでも史実に沿って考えられることでドラマをしたてていることが面白さを呼ぶのだと感じています。
実際、歴史上の中では未来からタイムスリップして来る者が過去にもいて今でもいるのかもしれません。彼らは歴史を壊す(例えば日本が太平洋戦争で勝つようにもって行くなどする)のではなく、世の中をよい方向にもって行くために、様々な発明をもたらしたり偶然の発見をもたらせたりするために。地球がいい方向に行くために。
それにしても、今私がしようとしていることをすればどうなるのか?未来から来てうまく導いてくれる人物がいて教えてくれないかな?でもそんなことしたら人生面白くないだろうな。
本日(ほんび)徒然草
昨日は曳山祭りの本日(ほんび)。自粛ムードで人出を心配しましたが、本当に多勢の方が来てくださいました。当店の前は米嘉席。二番と四番が芸を行ないます。いつものことながら、たくさんの方が当店前で見物されますが、当店を迂回路として利用されますので、例年は東側の入り口を通行止めにしておりました。しかし今年は雨で、雨宿りをしていたのと曜日も金曜日で本当にまつりを見に来ておられる方が多かったためか、そういうことをしなくてすみました。これも珍しいことです。
昨日は油甚さんやスエヒロさんが書いておかれるように暇番の山組で山を曳きました。大手町は宮町、呉服町と一緒に春日山(本町)を曳きました。
私は昼間は山を曳かず午後2時から曳山番でした。今年は当・大手町の壽山が博物館に展示されていて広場側にありますので公開展示が行なわれていました。負担人のS酒店さんが詰めておられるところに行ったのですが、お客様が来られて色々と質問をされます。S酒店さんはさすがに上手に説明しておられました。私?私は行事なら何とか説明できますが、曳山の文化財的なものはよう説明しません。(笑・ごとではないか)
そして夜の戻り山で山を曳くことに。他の山を曳くのは初めてです。春日山は後方進行(つまりバック)用の綱がついていないんですね。また駅前通に山蔵がありますので、車が多く、これらも止める必要があるので大変でした。
今年はいつもと違う雰囲気であったのに加え、博覧開催中の週末で何か曜日感覚が狂っております(笑)。
自粛の中で例年とは違う形でまつりを行い、ある意味、良い事の発見もありましたし、普通に行なわれる事の有難さなども味わいました。まつりは変化して行くもの。まつりが出来る事に感謝して来年に向かってまた取り組んで行きたいものです。
静かな登り山
今日は曳山祭りの夕渡りです。それの前に午前中に自町狂言を行った後に午後から四番山から順に八幡宮へ上る、登り山が行われました。当店の前の米嘉席を通過するのは北町組の青海山、田町組の月宮殿です。田町組など駅前通りより南の山組の町は猩々丸(舟町組)、万歳楼(瀬田町組)のように山がつきません。そして出番の年はみんな別です。
そのため、これらは三山連合といいまして、お互いが出番の山を引曳くことになっています。今日も舟町や瀬田町の人達が曳いていました。
それと今年はいつも協力をいただく自衛隊が震災の復興活動のため出られません。よって、新三山連合ではないですが今年の出番ではない暇番(かばん)の山組の町が曳くので春日山を大手町や宮町が曳くことになっています。
私は今日はいいと言われましたが、明日の戻り山は曳きに行かなければなりません。また大手町は来年出番で今曳山博物館にわれらが壽山が入っています。明日はそれを公開展示されます。私は14時から曳山番という事になりました。つまり警備です。
それにしても今日の登り山は最小のしゃぎりだけでした。静かにスーッと米嘉席を通過していきました。
そして夕渡り。静かだなと思っていたら、しゃぎりや役者の紹介の放送はなしとのこと。
今年は仕方ないのですが、しゃぎりなどがあまり聞けないため、何か明日祭りだという気がしません。それでも、天候がもって「本当にいい祭りだったね。」と言う声が出てくる祭りにしていきたいものです。
曳山祭り始まる
静かな裸参りと起こし太鼓でした。大手町の起こし太鼓は自町から出ないように練り歩くような感じで行ったそうです。ですから日付変更線を超えるまでに終わりました。会社の宿直室で聞いていて、上手になったな(笑)と思っていました。
曳山祭りは14日の登り山・夕渡り、15日の本日(ほんび)、16日の後宴狂言、文芸会館観劇会がポスターには掲載されていますが実際は13日の御幣迎えに始まり17日の御幣返しで終了します。
今日はねむりはかせさんが書いておられるように、その御幣迎えがありました。そして昼から籤取り。いつもなら結構にぎやかで、どこが何番かを言うのですが、今日は静かでした。何でも春日山(本町組)が一番だったそうです。
そして、先日の交替式に続いて当商店街では道路に板貼りです。写真は交替式のものです(ごめんなさい撮り忘れました・笑)
今回は曳山が通るのにわかりやすい目安をつけるために白いテープを張っています。
明日は登り山で夕渡りですがしゃぎりはあまりならない静かなものになるそうです。でも、ヨイサヨイサの声は欲しいですね。当社の前を必ず通過するのですが、居合わせたらつい「ヨイサー、ヨイサー。」と言ってしまいます。
粛々としたいい祭りになりそうですが、やはりまつりは春を迎えた喜びと感謝のもの。元気を出すために、いい祭りにしましょう。皆さんも祭りに来て、大いに楽しんでください。