昔の服が着られました
昨日、大阪へ行った話を書きましたが、その時のことを今日も書きます。
昨日は業界の例会、当然スーツ着用で行きます。そこで、ふと思ったのが、結婚したころに母がプレゼントだと言って作った背広がありました。かれこれ18年前。それが俗に言う幸せ太りで、すぐに着られなくなりました。1年くらいでだめになったのかな?特にすぐにダメになったのがズボン。
私は足が太いのとお尻が大きいので通常の人より少し大きめのものが必要でした。それで、当時、こんな手があるとは知らなかったのですが、通常のズボンでウエスト部分を少しだけ広げることができたのです。ただ、その時に、それをしてしまったので、太った後は、もう直すことができませんでした。
母には申し訳ないのですが、ずーっと衣装ケースにかかったままでした。それが今回結構細くなったことで、ふと思って着てみると何と、少し小さい気はしても別に窮屈ではなく穿けるではありませんか(歓喜)。上着もピチットした気はしますが着ることができます。
会場へ着いたとき、先日の幹事会であった人たちからは「この前はゲソッと痩せた気がしたけど元に戻ったな。」と言われましたが、以前の服が着られたことを言うと笑われました。
ほんま、もう太らん様にもっとやせるように気をつけよ。
さようなら大阪の老舗ホテル
本日、私どもの業界の例会が大阪で開かれまして、大阪の中津にあるラマダホテルに行ってまいりました。今回の例会はいつになく盛り上がりました。また、ラマダホテルも最後ということで、奮発してくれたそうで、懇親会もいいものになりました。私は懇親会は出る予定ではなかったのですが、最後ですから出たくなり、出席予定の人が急きょキャンセルになったので席が一つ空きましたので出させてもらいました。本当は泊まりたかったんですけどね(笑)。
最近、食品材料の偽装か誤表示かという話題で持ちきりの大阪のホテル業界です。阪急阪神ホテルホールディングスではお客さんに返金する費用を約1億円ぐらい予算立てているそうですが、何年か前に北海道で西友が返金すると言ったら「私も買った。」と嘘の申し出が相次ぎ、売り上げの4倍の返金が出たそうです。今回も「阪急ホテルのレストランで私は50回食事した。」なんて嘘を言う人が大勢出そうな気がします。
さて、そんな大阪のホテルの中でも昔は御三家と呼ばれた老舗ホテルがありました。1999年に閉鎖した、大阪駅の隣の福島駅の近くにあった大阪ホテルプラザ。ロイヤルホテル(現在のリーガロイヤルホテル)、そして今回閉鎖するラマダホテル(旧・東洋ホテル)です。ホテルプラザは昔のラブアタックだったかなフルコースディナー早食い競争でのディナー提供やディナー付き宿泊券の提供などがありましたね。1998年の暮れに私は青年会議所の近畿地区出向で一度会合が開かれ、このホテルプラザに行ったことがあります。その時に、もう閉鎖すると言われて「もったいない。残念だね。」と思いました。
あれから14年。関西のホテル洋食の元であるとマンガの包丁人味平に書いてありましたが、旧東洋ホテルのラマダホテルが閉鎖します。何年か前に外国資本が入りラマダホテルと名を変えました。このホテルも古くなり45年経ったので耐震などで手直しをするのに金をかけても回収が困難と判断され閉鎖になったそうです。
大阪の中津ですからけっこう便利なところにあり、新大阪にも梅田にもすぐにいけます。宿泊もJALの客室乗務員さんも泊まっていました。日航ホテルでないんやなと思い見ていました。価格もリーズナブルで料理などの内容もいいホテルでした。今回の例会をするのにも日航ホテルとラマダホテルでは全然価格が違いますのでラマダを使うことが多くなっていました。
懇親会の最後にホテル関係者から挨拶がありました。時代が動こうとしている、それを感じる例会でした。
ハロウインパーティ
コブログの中にも何人かハロウインについて書かれています。最近、流通業界でもクリスマスやバレンタインらと同じようなマーケティングチャンスとされてデパートなどへ行けばいろんな販売促進をやっていますね。
このハロウイン。私が初めて目にしたのは中学2年の英語の授業でした。当時は当然誰も知らなかったと思います。カボチャを使った装飾やオバケの格好などの仮装。英語の先生が説明をされても写真などはなく教科書の中の挿絵だけでしたから、ピンとはきませんでしたが、そういう楽しい行事がアメリカではあるもんだということを知りました。
何年か前にハロウインを楽しんでいた留学生の少年が何を間違ったのか怖がった現地の人に銃で撃ち殺される悲劇が起こりました。そのころは楽市やデパートなどでは、ひっそりとハロウインの売り出し企画がされていましたが、皮肉にもこれで結構知られたんじゃないですかね。
実は昨日26日は、私たちの結婚記念日だったのですが、当時新婚旅行先のロサンゼルスなどはハロウインの真っ最中でした。グランドキャニオンへ行ったとき、なぜか出てきた悪魔などの格好をしたものにビックリ。現地の人は「ハロウイン。」と言ってにこにこ笑っていました。一緒に記念写真を撮ったことを覚えています。今もその時の写真はあります。
私が中学の頃はアップダウンクイズで「10問正解で夢のハワイへ。」と言っていた時代ですから海外へ行ってハロウインを知るということはありませんでした。それが今では海外へ行くことが当たり前になり、ハロウインを現地で知る人が多くなり、ハロウインが当たり前になりました。
私たちが子供の頃、欧米は憧れの世界でした。だから英語を習っても使う機会はほとんどなく「中学・高校・大学と4年習っても英語は身につかない。」と言われました。今ではサッカーなどは海外へ出ていく選手が多く、言葉も向うの言葉で話してます。私が歳をとるころには、もっと世界のいろいろな風習がはやっているのかもしれません。
残念滋賀県勢初勝利ならず。
今日からプロ野球の日本シリーズが開幕しました。
セリーグは巨人、パリーグは楽天とともに優勝チームが出てきました。巨人は日本で一番古い球団で優勝回数、日本一回数ともにプロ野球ナンバーワンです。片や楽天は2004年に誕生した平成生まれの21世紀生まれの一番新しい球団。日本シリーズは初出場と好対照な組み合わせとなりました。
さて、昨日驚かせたのが、日本シリーズ前の監督会議で両チームとも投手が予告先発で行くことになり、楽天は連勝中の田中マー君ではなく、滋賀県出身の則本が先発でした。
試合は惜しかったですね。わずか4安打の巨人が2-0で10安打の楽天に勝ちました。巨人の投手は内海。彼は京都府城陽市出身で敦賀気比高校を出ています。滋賀県勢の甲子園の行く手を阻み続けた京都、福井出身の内海に多賀町生まれで八幡商業高校出身の則本が負けたのは残念でした。
滋賀県出身の投手の日本シリーズ出場は、やはり滋賀県のレベルを象徴して少ないんです。1982年の中日の都(堅田高出身)は3試合ほど投げていますが1敗。1981年に日本ハムの間柴(比叡山高出身)が今年田中に破られるまで記録として残っていた開幕15連勝を引っ提げて出ましたが第2戦で惜敗、第6戦でKOされ、2回とも敗戦投手でした。
今日の投球は見事でしたね。8回を終わってテレビでスコアボードを見ると巨人が4安打で2点、楽天が8安打で0点ですから。
解説者らは楽天が押していたと言いますが、巨人の強力リリーフ陣の前に抑えられたという感じでした。まあ亀井の超美技にやられた気がしますが。
明日の試合でシリーズが決まるでしょうね。楽天が勝つとしたら7戦までもつれ込む展開か?そうなると則本は4戦と7戦に先発が予想されます。滋賀県勢初勝利を願って。頑張れ則本。
ドラフト会議
明後日からまだ日本シリーズが始まるのに、プロ野球はもうストーブリーグの話。本日ドラフト会議が行われました。これは昭和40年から始められているらしいですね。楽天の星野監督などはドラフト経験者です。王、長嶋などの時代はドラフトがありませんでした。だから人気がある巨人に行ってしまったんでしょうな。
これは巨人などの特定の球団に選手が集まってしまうのを防ぐために、順番に選手を指名していくという方式がとられました。
私が高校の時は怪物と言われた江川投手。高校時代は阪急(現・オリックス)が指名しましたが大学進学の方針だった江川は拒否。巨人に行きたかった江川は大学卒業時はクラウン(現・西武)が指名したものの浪人してアメリカに行きましたね。それで母校作新学院の理事長でもあった自民党の大物代議士・船田中の「空白の1日戦略」で巨人が強行指名。翌日のドラフトで阪神が指名して巨人のエース小林とのトレードで巨人入団と言うことがありました。まあ、船田氏は汚れきった自民党代議士のシンボル的な人物でしたから、こういうことをしますね。
原監督の甥、菅野が浪人の末、巨人に入団。それに活躍されてしまう他球団も情けないですな。
ドラフトは選手の希望する球団を選べないというところが問題ですが、巨人からスカンを喰らった清原が日本シリーズで巨人を破るとき泣いたのが忘れられません。大活躍して、フリーエージェントで巨人に行きましたね。この時の巨人王監督、清原、桑田。あれだけ巨人に憧れたのに最後はみんな巨人で終えられなかったんです。巨人なんて入るべきではありませんな。こんな冷たい球団ではいけません。
ドラフトで長嶋が競合して松井を引き当てたときの顔。忘れられません。
今年もドラフトは色々な顔があったようです。それにしてもイチローなどは4位指名でも、あれだけの凄い選手になりました。スカウトの目は素晴らしかったということでしょうか。
一度滋賀県から2名がドラフト1位で選ばれました(西崎と田嶋)。また、今の長浜高校の監督はドラフト2位で巨人に指名されました。何でもONの跡継ぎに考えていたとか。残念ながら芽が出ずに終わられましたが、貴重な経験を今の球児に伝えているのだと思います。
本当に、ドラマがあるドラフト会議。その中からどんな選手が出てくるのか楽しみです。