昭和の日
先ほど車のラジオを聞いていたら「今日は昭和の日」と言っていました。そしてこの日ができたのはつい最近のことであると。2007年に祝日法の改正で「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」とした趣旨です。昭和天皇が崩御されてから以前の天皇誕生日を昭和天皇が生物学者であり、この湖北にも昭和50年でしたか全国植樹祭で来られましたね。そういうことから「みどりの日」でしたが、5月4日の国民の休日をこれにされたんでしたね。
そういえば4月29日は競馬の天皇賞と柔道の全日本選手権が行われた日でした。天皇賞は昨日でしたが、柔道はこの日が以前から変わりません。
私たち柔道をかじったことがあるものなら、五輪や世界選手権と並んで憧れる大会です。特に体重無差別で一番強い選手を決めるので、世界選手権もこういう無差別の大会をしたらいいのにと思いますね。
そしたら引退を先に表明した穴井選手が本日見事に優勝しました。まだ28歳と若いのに。ロス五輪優勝で国民栄誉賞の山下さんを思い出しますね。山下さんも確か28歳で引退でした。違うのは大会前に表明しなかったことです。
大相撲の小錦が引退を表明して本場所の残りをファンにお礼を言いたいながら送りたいと言ったら対戦相手に失礼と、その日限りで引退させられました。プロとアマは違うのかなと思いますが、どうなんでしょう。
それでも今日の穴井の試合運びは見事でしたね。世界選手権の後に引退をして欲しいなと思いますね。
それにしても天気のいい、気持ちのいい昭和の日でした。
初の1日葬式2つ
歳がいくとそうなることも多いのでしょうか?本日は2つの葬式に参列させていただきました。
2日前に出張から帰ってきまして駅前の平和堂で知り合いの店に寄りました。そうしたら「T君(私のこと)、葬式が3つ一度に来てもた。」と言われまして、訊いてみると、1つはその方の自治会内での葬儀。もう2つは私にも関係のあることでした。
そのうちの一つは、当社所属のうだつ会の会員であるM商店さん。もう一つは私の母の従姉にあたるFさんでした。
これを聞いたので家に電話すると母は既にFさん宅を訪れていました。後で母jから聞いたのですがM商店さんとFさんはFさんのご主人の葬儀の時もM商店さんの先々代(先代は今回亡くなられた方です)のときも同じ日でした。まだホール葬ではなく自宅葬の時代で両方とも大店ですので、葬儀用のしきびが不足したということです。何か因縁を感じますね。
私は昨日は大津方面に出張のため、本日の告別式に参列させていただきました。葬儀時刻違いで同じホールでした。
今回のお二人は関係者が重なる人が多いので同じような方がおられたみたいですが、中には今日3つという方もおられたようです。政治家の方などはそういうことが多いので大変ですね。
Fさんは母の従姉で母親である私の母の叔母さんによく似た上品なふるまいをされた方でした。昨年の暮れだったでしょうか、商店街にあるFさんの親戚の店に来られた時に偶然お会いさせていただいたときは、お元気な様子だったのにと。
お二人の残念な逝去ですが、この長浜を守っていくように私なりに頑張ってやっていきたいです。お二人のご冥福をお祈り申し上げます。
都バスの24時間営業
東京都の都バスや都営地下鉄が24時間運転ということが話題になっていますが、さすがに東京ですね。大阪もあとに続くんでしょうけれど。東京の地下鉄は東京メトロ(営団地下鉄)と都営と2つあるのが以前にびっくりしましたけれど、JRや私鉄(JRも私鉄ですが)との相互乗り入れもあり都会の交通は便利ですね。もし24時間化したら相互乗り入れの私鉄はどうなるのかなと思います。
以前、国家公務員の残業が過ぎてタクシーで帰るのをうまくごまかしたりする人がいましたけど、それもしにくくなるんでしょうね。
さて、長浜にも以前、23時45分長浜駅発木之本駅行きのバスがあったことがあります。夜遅くなる人にとっては本当にありがたいバスでした。当時、青年会議所の理事長が木之本の人だったことがあるんですが、その方は本当に忙しい人でした。木之本まで夜だとタクシー代は5000円以上かかります。いくら金持ちの彼でも毎日のようにタクシーでは負担は大きいのでバスが走った時は本当に喜んでおられました。それでも、すぐにこのバスは消えてしまいましたね。やはり利用する人は少なかったようです。
コンビニだけでなくスーパーも西友などは24時間営業です。以前、どこかのコンビニのCMで「開いていてよかった。」と言うのがありましたが、地域に一つくらいは遅くでも開いている店があるのはいいことでしょうね。
この24時間営業は色々と思いがありますが、ほどほどにという感じがします。
熊メール
しらしがメールに登録しておりますと、色々な災害などの情報があります。今回お知らせするのが「熊メール」。
最近は熊さんが多く出没しますね。熊は冬眠するので冬の間は大丈夫ですが、あたたかくなって目が覚めると熊さんが人里へ降りてくることも多いようです。
今日熊メールが来ましたので今年に入って2回目かな?早いうちに長浜の浅井町で草野川を歩いていたそうです。今日は西浅井で発見されたらしいですね。先日母を連れて海津などを訪れた話を書きましたが、菅浦や奥琵琶湖を通っていくと熊が出そうな環境が多くありましたな。
高槻の西野隧道を見学しに行くと「熊に注意。」の看板が上がっています。山の近くは動物が出ることが多いですね。当社の社員で浅井町の木尾の人がいましたが、最近はイノシシや猿がせっかく育てた畑などを荒らすので、もう畑を耕す気が起こらないと言われました。こうやって農地が荒れていくのかと思いました。
岐阜方面に伊吹関ヶ原経由で行くと鹿や猿を見ることがありますね。浅井町でも高山方面に車を走らせると猿が下りてくることがあります。
以前神戸のパン屋さんと話していて「猪が街の中によく出る。」と言われ冗談だと思っておりましたら本当ですね。夜静かになると出てくることが多いようです。神戸へ行ったとき六甲山のドライブウエイ入口で猪が平気で人前に出てくるのを見たことがあります。
最近の熊で怖いのが肉食に変化しつつあるものがいるということです。熊はどんぐりの身を好みます。それが少なくなって山を下りてきているんですが、ハンターが猟をしてそのままにしたシカ肉などを食べることで肉食化しているということです。死んだふりなんて格好のえさになるということですね。
以前のお盆の夜9時ごろに松の岩公園へ墓参りに妻と行ったことがあります。確かに怖いのですが後で気が付いたのは「よう熊に遭わんかったなあ。」ということでした(笑)。
山に入るときは鈴をもっていかないといけませんね。お江博の時の小谷の山で番をしておられた人が鈴を大きく鳴らしておられたのが印象的です。
もう30年
油甚さんが書いておられますが、長浜城が再建されてもう30年がたったのですね。当時の私は大学4年生でした。この年は中曽根内閣が「戦後政治の総決算」と称しまして、春の統一地方選挙と参議院、そして暮れに衆議院と3回も大きな選挙が行われた年でした。
黒壁(当時はカトリック教会)の前が2時間で「犬1匹とネコ2匹。」と称されるほどさびれていた頃でした(ただ近くの当店でも1日最低500人はお客さんは来てくださっていましたから、オーバーかなと思いますが)。
何しろその時に開催された出世まつりは本で見てビックリしたのですが全国の行事での人出で7位くらいに入る27万人だったかと思います。大成功に終えたイベントでした。
豊公園埋立地(自由広場)にステージが特設され、石川秀美や倉田まり子なども来ましたね。倉田まり子さんは私より1年上。美人で歌も上手でファンだったんですけどね(笑)。後に投資ジャーナルの滋賀県出身の中江氏に利用され引退せざるを得なくなりましたね。
あとで知ったのですがパレードが行われ、長浜としては異例の凄い人数のパレードだったようです。
この後長浜は、翌年だったと思いますが、私が仕事を始めた年に着物園遊会が行われ、これも予想以上に出場者があり、現在でも続いています。今の参加者で当時を知っている人はまずないんだろうな・・・。
あとは、アート・イン・ザ・ホーが豊公園で行われ現在ではアートインナガハマとして行われています。
平成3年にはJRが長浜まで直流化され、秀吉博など3回も大河ドラマの博覧会が開かれたり、長浜ドームができたり。
先人の人たちに感謝しつつも、負けないで、頑張っていきたいものです。
それにしても早く月日は経ってしまう。