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メジャー観戦の思い出5

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 よこちんさんが過分なるお褒めの言葉をくださいました。当時メジャーの試合を生で見た人はそんなに多くはいなかったとは思いますが、本当に気持ちのいい野球観戦でした。試合がおもしろいかと言うと、はっきり言って巨人対阪神や、広島戦を見た方が選手の名前を良く知っているし、面白いとは思います。



 皆さんから、アホみたいによく知っていると言われる私でも、当時はそんなに大リーグの中継などはありませんし、たまにポストシーズンのワールドシリーズやプレイオフぐらいしか放送がなかったと思います。今のようにメジャーの試合がよく見られるようになったのは野茂が大リーグに挑戦したころからでしょうね。


 私が小学生のころは巨人が9年連続日本一の黄金時代ですが、野口英世、豊臣秀吉と並んで偉人ものの伝記でよく読まれたのが「野球王・ベーブルース」でした。そのころはメジャーリーグと言わず、大リーグと呼んでいました。マイナーリーグも知られるようになったのでメジャーリーグと言う呼び方が定着したのでしょうか。




 さて、先程の私が観戦したヤンキース対インディアンスの試合。よこちんさんがコメントして頂いている通り、鳴物の応援がありません


 だから気持ちよく見られます。ヤンキースのホームで、スタンドは殆どヤンキースファン。甲子園でも阪神ファンがビジターチームにプレッシャーをかけます。甲子園では3塁側の外野席にはビジター応援席があってビジターチームを応援してくれますが、そういうものがヤンキースタジアムには全くありません。だから、ビジター側が本塁打を放っても拍手は全く起こらず、静かなダイヤモンド1周です。


 応援は声援と口笛、それとよくあるのは、ヤンキースが攻撃の時に球場全体でファンファーレがなり、手拍子を促します。日本でも巨人の東京ドームでよく見られますね。



 それと最近日本でも当たり前になりましたが当時新鮮だったのが、観客のウエーブ。昨日書きましたようにこの日はアンブレラディ。傘を広げてヤンキースのマークをくるくる廻して応援しているのですが、時折ヤンキースのチャンスなどに、どこからともなくウエーブがおきまして、一緒にウエーブを楽しんでおりました。



 メジャーの野球観戦のスタイルはバドワイザーのビールを片手にポップコーンを食べながらの応援がなぜかよく似合うものです。甲子園はスーパードライが似合うかもしれませんが、メジャーはバドワイザーですな。味は別にして。



 当時は日本やアジア系の選手が一人もいない、アメリカとカリブ海諸国の選手ばかりのメジャーでしたが今ならまた感じが少し違うのでしょうね。



 最近は滋賀県の皇子山や彦根の球場も芝生などがきれいになりましたが当時の日本の球場の状態はプロ野球でもあまりきれいでない球場でした。それがメジャーのように広くなり綺麗になりました。


 彦根球場でも今では両翼が99Mありますね。当時は89Mだったと思います。後楽園でも90Mでしたから。



 長々と書いてきましたが終わります。一度日本人選手が出ているワールドシリーズを見に行きたいものですな。WBCもサッカーのワールドカップのようにもっと世界的に広がってやって欲しいし、それを見に行きたいなと思う今日この頃です。

メジャーリーグ観戦記4

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 さて、ニューヨークに再び戻った私は、また地球の歩き方でホテルを捜し予約しました。そしてホテルに行くと、やはり地球の歩き方を見ている人が多いのか、日本人が多く泊まっていました。そのうちの一人と話していて、ヤンキースタジアムでヤンキース対インディアンスの試合があることを話しますとその人は翌日見に行かれたようです。



 翌日、再びその人と話しますと、嬉しそうに観戦してよかった話をされました。そしたらもう一人日本人が入りまして、翌日一緒に、ヤンキースタジアムに行くことになりました。


 そして当日、試合はデーゲームです。その日は、「アンブレラディ」と言って、応援グッズの一つのヤンキースのマークが入ったペプシコーラ提供の傘が無料で配られたのでした。今でもその時の傘は保存してあります。





 一人では怖いニューヨークの地下鉄も二人なら恐くない、地下鉄でヤンキースタジアムへ行きました。



 チケット売り場は早くも行列でした。言葉がわからないので、ボックスシートと書いてある席を取りましたが、外野席でした。外野のほぼセンターです。



 入場したら席を案内してくれます。そして席に座って練習などを見ていました。



 場内アナウンスでヤンキースの選手とインディアンスの選手が握手してすごい声援です。


 私は「あの選手は誰だ?」と近くの人に聞くと、「ウインフィールドだ。」と言います。彼は当時のヤンキースの4番を打つ、今でいうとジーターやAロドリゲスのような選手。「あれがウインフィールドか!」と言うと、アメリカ人観客は「そうだ、グッドプレーヤーだ。」と言いました。



 試合はインディアンスの先発が前年までヤンキースにいたフィル・ニークロ。ナックルボールで有名な選手です。先ほどウインフィールドと握手したのはニークロでした。



 試合はヤンキース優勢でしたが、後にインディアンスが本塁打を打って逆転。試合はメジャーでは珍しく長く3時間かかりましたが6-7か7-8でいわゆるルーズベルトゲームに近いスコアでインディアンスが勝ちました。


 ここはヤンキースのホームグランド。アメリカは都市間の距離が長く相手チームのファンは殆ど来ません。ですからインディアンスの選手が本塁打を放っても拍手一つなし、私はファールだったのかなと思ったら選手がダイヤモンドを走っているので本塁打とわかりました。



 この話は今から29年前の話。当時は日米ともにお互いの野球はほとんど理解していませんでした。球場のショップやボストンのクインシーーマーケットなどの商業施設に行ってもブロマイドなどが売られている有名な選手は当然メジャーの選手。当時でもベーブルースやジョーディマジオ、ミッキーマントルなどの伝説の選手の写真などが売られていました。

 日本人で知られているのはごく一部で王選手だけ。長嶋選手などは誰も知りませんでした。



 今日はここまで。

メジャー観戦記3

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 昨日間違った記述をしておりました。ニューヨークのペンステーションでワシントンーニューヨークのメトロライナーの予約をしたと書きましたが、そこまで余裕があろうはずはございません。その時は時刻表だけもらって、のちにワシントンD・Cのユニオン駅で指定席を取りまして、後に早いのに切り替えたのが、その時のメトロライナー乗車の様子でした。



 さて、ボストンで1泊した翌日、天候は雨でした。そしてやはり北です。寒い。4月下旬でしたが3月中旬のような気候でした。ボストン観光した後、レッドソックスの本拠地、フェンウエイパークへ行きました。そこのスーベニアショップでなぜかシンシナティ・レッズのペナントを買いました。



 その日はレッドソックスとどこの試合かは忘れましたが、19時半試合開始でしたが、誰もお客さんらしき人は16時頃でもいませんでした。その日、遅くなると宿を探すのが難しいし、天気予報をテレビで見ると、ナイアガラの方は雪のようなことが言っているようでした。ワシントンへ行こうと思い、バスに乗ることに。バスがニューヨーク経由でワシントンへ向かいました。バスの中からフェンウエイパークが見えました。試合をやっている様子でした。すごいなこんな雨でもやるのか。


 ニューヨークへ真夜中に着き、しばらくしてワシントンに、朝つきました。桜はもう散ってしまっていました。そこで、アメリカ人と色々と話しました。ようやく英語に慣れてきました。


 私も少しは賢くなりました。例えば「ここはどこですか?」と聞けば「***。」と答えますが、その***をしっかり聞けば何とかなるのです。そうやって流れで理解するようにしました


 2日間ワシントンで過ごし、メトロライナーに乗ってニューヨークに。途中で、隣に座ったのがマツダのアメリカのサラリーマンでした。彼も日本語を少し習っていると言って、「オメニカカレテウレシイデス。」と言ってくれました。


 私が「マツダは日本にプロ野球チームを持っている。」と言うと、彼は「カープ!」と答えました。広島がオリオールズと試合したことを言うと、知らなかったようで(それくらい日本の野球は当時関心を持たれていませんでした)。広島が第1戦は勝ったが、2.3,4,5戦と敗れた話をすると彼は「日本は野球の歴史が浅い、何年かすると追いついてくるだろう。」と言いました。



 そうして、色々と楽しい話をして、ニューヨークへ着いて別れました。



 さて、ニューヨーク。ヤンキースとインディアンスの4連戦で1回だけでも見ようと思いまして、次回、ついに憧れのヤンキースタジアムに行きます

メジャー観戦の思い出

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 アメリカへ渡った私は、自分の英語力のなさに改めてびっくりしました。3年前に大学を卒業する前にわが母校の同窓会主催のヨーロッパ旅行に参加し、英語が大の苦手科目であった私の英語でも意外と通じることに面白くなりそこそこは行けると思っていましたが、それから3年の月日は大きなブランクでした。


 ニューヨークのケネディ空港に降りて、どうしたらいいか、警察官に聞くと、彼の英語がさっぱりわかりません。警察官は日本人を捜し、その日本の方が親切に、その日泊まるホテルへ行く方法を教えてくれました。そのあと、警察官は「私は東京へ行ったことがある。東京とニューヨークの夜は全然違う。ベリーベリーベリー・・・ケアフリー。」と言いました。


 ホテルに着いてホテルの従業員にクーポン券を見せると、不愛想に応対します。そしてホテルマンが部屋を案内してくれました。「日本人か韓国人か?」と聞くので「日本人。」と答えて部屋に行くと、知らん顔をする私にチップを要求します。


 翌日、親切なホテルマンがいて、今いる場所をしっかり地図上で教えてくれました。そして、ニューヨークの街を歩いていると、私の好きな格闘技の聖地でもあるマジソンスクエアガーデンがありました。そしてそこの地下にペンシルベニアステーションがあり、当時のアメリカの新幹線というか特急列車のメトロライナーの乗り場でした。そのとき、午後からのボストン行きのバスに乗ってボストンへ行き、ボストンの後ワシントンへ夜行バスで行き、そしてニューヨークに戻る計画を立てました。というのは、私が見たいメジャーの試合が、その日からボストンでレッドソックスの試合、数日後にニューヨークのヤンキースタジアムでヤンキース対インディアンスの試合が組まれていたからです。それに合わせてワシントンーニューヨーク間の指定席を取りました。



 そして、私はボストンへ。バスに乗るとおばさんがどこから来たのか?ボストンへ行くのか?などと聞いてきます。そしてボストンへ向かいました。夜遅く、20時か21時にボストンへ着きました。バスを降りた瞬間に思ったのは、喧噪のニューヨークの後でしたので別世界。「なんと落ち着いたいいまちだな。」と思いました。さて、本日泊まるとこを探さないと。地球の歩き方を見て、めぼしいホテルを探します。YMCAがみつかり、電話をしました。相手が出て「しまった。英語で話さなアカン。」必死にしゃべり、ホテルを予約。さて、そこまでいかなアカン。学生らしいカップルに尋ねると相手の言葉がわからん。二人はバスを教えてくれ、運転手に最寄りの停留所に着いたら教えるように言ってくれました。着いて降りると他の外人が親切にまた教えてくれました。


 YMCAに着くと、キーと朝食券をくれ、シャワーを浴びました。ちょうどボストンマラソンが終わったころでしたので完走者の名簿が貼ってありました。また、NBAのプレーオフのころでテレビで放送していてアメリカのプロバスケットの迫力に魅了されていたところでした。


 翌朝、また学生に聞くとわからないので、親切にバスターミナルまで乗せてってくれまして、これでボストン観光をしました。(続く)



 

メジャーリーグの思い出

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 先ほどテレビを見ていたら、私にとっては永遠のスーパースター長嶋茂雄さんと一緒に国民栄誉賞を受けた松井秀喜さんがヤンキースの元同僚で昨年引退した名選手・ジーター選手を故郷の石川県に連れてきて案内し、松井家の日本のおもてなしをするという企画が放送されました。



 私が結婚した1995年。阪神大震災や地下鉄サリン事件など、日本を本当に悲しみのどん底に落とした事件が多い年に、日本から一人アメリカに渡り、ストで送れたメジャーリーグで活躍したのは野茂英雄投手でした。打ちひしがれていた日本人に本当に勇気を与えてくれた彼の活躍でした。
 その年に、私はなぜか結婚式の日取りを決める際にメジャーの日程を組み入れるのを忘れまして、新婚旅行でメジャーの試合を見るということができませんでした。着いて、トラブルでバックを置き引きされるという災難の日にメジャーのワールドシリーズでブレーブスが優勝した瞬間をガイドさんの車の中のラジオで聞きました。



 そのころは日本でもBS放送が当たり前になっており、メジャーリーグの試合中継が当たり前のように見られるようになっていました。


 それでも今でも思い出します。29年前のことです。
 パン学校を卒業したばかりの私は現場に私が居なくても差支えがないこの時期にアメリカへ行こうと思いました。当時、東工大大学院へ行っていた友人がアメリカ一人旅をした話を聞きまして私も行きたいと思ったからです。それとメジャーの試合を見たいと思っていたからです。


 当時はインターネットが普及していないころ、地球の歩き方を見て、東京にそのころは居たので、皇居近くにあるアメリカの観光局に行きまして「大リーグの日程がわかる資料はありませんか?」と聞きますと、出してくれまして、それを高いコピー代を払ってコピーして来ました。


 そして旅行社に行きまして、大阪発のニューヨーク行のエアーオンリーの旅行プランを予約しました。そうして、29年前の今ごろだったと思いますが、アメリカへ旅立ったのでした。


 メジャーリーグは当時は大リーグと呼んでいたと思います。日本とメジャーの力の差はかなりありました。私が小学生時代にONなど全日本が作れるチームの巨人でも大リーグのオリオールズなどには全く歯が立ちませんでした。観光気分で来ていたメッツやロイヤルズにいい勝負をしたくらいでしたかね。レッズなどには全日本でやっと勝てたくらいでした。


 私が行く2年前にプロ野球50周年の企画で日米ワールドシリーズと銘打ち、前年度大リーグチャンピオンのオリオールズとその年日本一の広島が対戦。5回勝負で初戦は広島が勝ちましたが残り4戦は負けという結果でした。


 そんなこんなでアメリカへの一人旅の始まりでした。続きます。初の連続シリーズです。
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